真・日本の国史を求め

我々が教えられた歴史、それは歪曲とねつ造のシロモノだとご存じですか。史実の探求で日本の精神を探究していけたらと願います。

日本の始まり〈 第七回〉

2020-05-24 13:53:00 | 日本史
日本の初めはいつでしょうか。

「天地の初めの時」と記紀に有りますが、物質宇宙の始まりは幾ら何でも遡り過ぎですね。138億年前と言われていますから。やはり精神宇宙の始まりの時が日本の始めでしょう。それは何年前か。はっきりとは分かりません。しかし例えば人類が地球上に誕生してから現在までの間で、日本人の記憶の限り遡れる時点、そこが日本の始まりの時と考えることは出来ないでしょうか。

日本にはいくつもの古い時代を記した書が有ります。記紀や各地の風土記そして万葉集などがそれらの編纂された時代より更に古い時代の記憶を書き記しているのです。例えば古事記にある大国主命と因幡の白兎のエピソードや天照大御神の孫の邇邇芸命の皇子の妃である豊玉毘売命の話では和邇(わに)が登場しています。日本に野生のワニはいないのに和邇と書かれています。



古事記から一旦離れ、人類の進化の過程を人類学っぽく整理してみようと思います。人類は昔からどの様に繋がって来ているのか図で見てみると、


大体こんな感じです。厳密には色々な説がありましょうが、これで見ると一番下の現世人類というのが我々ですね。我々は「ヒト属」であり、ヒト属には我々の他に原人、旧人と呼ばれる種もいました。彼らも人類ですが我々の種ではありません。一般的に有名なジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人やデニソワ人及び未知の人類がまだいるかもしれません。

ヒト属の上流は「ヒト亜族」と言い、ヒト亜族にはヒト属の他に猿人と呼ばれる「アウストラロピテクス属」と「パラントロプス属」があります。

ヒト亜族の上流は「ヒト族」ですが、ここはヒト亜族とチンパンジー亜族が別れた所ですので、ヒトの始まりを見るときにここまで遡らなくても良いでしょう。ヒト亜族以降で考えたいと思います。

「アフリカ単一起源説」という説が有ります。簡単に言うと、約20万年前迄にはアフリカで誕生していた現世人類ホモ-サピエンスが8~5万年前にアフリカ大陸からユーラシア大陸へ進出し世界中に広がりながら各地で遺伝的な変化(進化)を繰り返して今日の多様な人々になっていったというものです。(アフリカ大陸内で誕生したホモ-サピエンスが世界に広がった)

それとは別に「多地域進化説」と言うものがあって、これも東アフリカで200数十万年前にはホモ-ハビリス(図のヒト属の一番上)が誕生していたという考えはアフリカ単一起源説と同じなのですが、アフリカを出た時期がもっと早く、150万年前までにはユーラシア大陸に拡散して各地で並行的にそれぞれの原人や旧人からホモ-サピエンスが分岐し進化したというものです。(アフリカ大陸外へ出てからホモ-サピエンスが誕生した)

(上の図ではヒト属は同時期に個々の種に分岐したように画いていますが、詳しい各種間の系統や分岐時期等が分からないのでその様に画いているだけです)

ホモ-サピエンスがアフリカで誕生してから出アフリカを果たしたにせよ、出アフリカを果たした後に各地で(アフリカも含みます)ホモ-サピエンスへ進化したにせよ、同時期に地球上に存在していた複数の種が交雑(異種交配)していたことは遺伝情報から分かっているそうです。例えば我々ホモ-サピエンスのゲノム(全遺伝子情報)の2%前後はネアンデルタール人のもののようです。しかし現存している人類はホモ-サピエンスのみでその他の種は絶滅しています。

どちらの説をとっても元々はアフリカから広がっているのでユーラシア大陸を数万年かけて或いは数十万年かけて西から東へ移り日本へやって来たことでしょう。その間にも進化(遺伝子の変異)をなして更に枝分かれしていました。

人類の拡散経路

進化というより突然変異を想像する方が分かり易いかもしれませんね。あるグループに突然変異をした個体が誕生して、その個体の遺伝子を受け継いだ子孫が遺伝的に新しいグループになるのです。こういったグループをハプログループといいます。

日本の地で誕生したハプログループや、日本にだけ残されたハプログループなどがあって日本人の遺伝子は近縁のはずの他の東アジアの地域との違いが分子遺伝子学等によって顕著に示されてきています。

日本独特のハプログループの傾向は日本の歴史を通して様々な要因の影響を受けた結果です。その様々な要因は全て日本の地理(国土)に起因することでしょう。気候、食料供給、国民、国民性、社会、文化など全てが恵みある日本列島に育まれ発展し続けるこの国は神々に愛された楽園であり故に神国なのです。この神から預かった国土を一片たりとも譲ったり貸すようなことがあってはならないのですけれどね。

次に、考古学の側面から日本を含む東アジア及び世界の出土品を参考に日本の歴史を探ってみます。

縄文時代といえば誰もが聞いたことはあると思います。約16000±500年前~3000年前迄がその期間です。そして土器と弓矢の発明をもって縄文時代の始まりとしています。それ以前の時代を土器が作られる前の時代なので先土器時代や旧石器時代(日本に人類が暮らし始めてから縄文時代に移る迄)と呼ばれています。

日本に人類が暮らし始めたのはいつ頃なのでしょうか。先土器時代とは日本における縄文時代の前を指すのに対し、旧石器時代とは世界の考古年代での石器文化の時代区分を言います。日本の先土器時代は旧石器時代の中期及び後期(約30万年前~1万年前頃)に当たります。前期旧石器時代は最古の人類(ヒト属)の存在が石器によって確認されている260万年前~石器の作り方や使用方法に変化が見られる30万年前迄ですので、日本には未だアフリカから辿り着いていないと考えられますが、既に居たかもしれません。しかし既に日本に居た物的証拠が有りませんので居たとも未だ言えませんね。

現在日本列島(北海道から沖縄県)には旧石器時代から江戸時代までの遺跡が約46万ヵ所で発見されています。この中で旧石器時代のものは7565ヵ所、縄文時代のものは9万531ヶ所有ります。まだまだ増えるでしょうし世界最多でもあります。未知の事実が眠っているかもしれません。

人類の石器は大きく二つに区別できます。打製石器と磨製石器です。打製石器は石を割って出来た鋭利な部分を刃物として使用した石器で、時代を下る程に加工技術の進歩で小さい物も作られています。磨製石器は打製石器を更に滑らかにし意図する大きさや形に加工された革命的と言える道具です。

それぞれの石器の確認されている最も古い年代は、打製石器は260万年前、磨製石器では3万8千年前です。

最古の打製石器が見つかったのはタンザニア北部オルドヴァイ渓谷で、複数の石器を組み合わせた使用も観られるので人類の最古の物と見なされています。割られた石を単に使用していた痕跡はもっと古くにあるのですが、そういった石は意図的に割られたかどうかも分かりませんし、現在の猿にも観察できることなのです。

一方、世界最古の磨製石器が発見されたのは貫の木遺跡(長野県信濃町)、石の本遺跡(熊本市)など日本です。この年代の最初の発見が岩宿遺跡(群馬県笠懸村)であったことから3万8千年前から縄文時代の始まる1万6千年前迄を先土器時代と呼ばずに岩宿時代と呼ぶこともあります。日本の地で世界最古の磨製石器という革命的発展があった背景にはその比較的穏やかな気候による豊かな環境で食料確保の容易さがあるように考えます。食料調達に掛ける時間が省け、生活上の様々な活動に余裕を持てたのではないでしょうか。

磨製石器の出土は日本以外では古い順にオーストリアで2万5千年前、オーストラリアで2万2千年前、ロシアで2万年前、支那で1万4千年前の遺物が発見されています。これらは早い方で、世界では概ね1万年前辺りの遺跡に磨製石器が多く見られます。

ちなみに世界最古の釣り針はサキタリ洞遺跡(沖縄県南城市)の貝整の釣針です。

前回〈倭国 第六回〉で3万8千年前を日本の歴史の始まりとしましたが(それでもまだ謙虚に言ったつもりなんですよ)日本人の記憶はそんなものじゃないと考えています(個人的にですよ)

6~2.5万年前頃の日本列島

3万8千年前は磨製石器の最古ですが、打製石器の日本最古は12万年前の物で砂原遺跡(島根県出雲市)で見つかりました。ホモ-サピエンスのものでないかもしれませんし、定住者でなく獲物を追って移動しながら一時的に滞在していただけかもしれません。何とも言えないのが本当のところではないかと思います。

大陸と地続きであった日本列島には人類以前に動物が生息していたことは化石などが出土していますのでその発見された地層から年代を特定することができます。日本にいた哺乳類の化石で最も古い物は1億年以上前だそうです。人類は未だ居ませんから記憶も有りません。ならばいつ頃日本に人類が居たかを知る術として最も古い客観的記憶を古事記に記された和邇に結び付けられないでしょうか。日本列島で人類がワニと遭遇していても年代的に何ら不自然ではありません。兎は今もいますから物語に現れても自然ですものね。

さて、マチカネワニ(待兼鰐)と申します。東京オリンピックが行われた1964年、大阪大学豊中キャンパスがある待兼山丘陵の55万年前~35万年前と考えられる地層からほぼ完全な骨格化石で全長約7メートルの大型のワニが発掘されました。生息当時の環境は温暖湿潤気候で内陸部の沼地にマチカネワニはいたとされています。同時期の哺乳類にはトウヨウゾウ、シナサイ、オオツノジカ、オオカミやネズミの仲間等がいました。

現代の我々にはワニの現世種が熱帯から亜熱帯気候に生息域を持つことから日本での生息は考えにくく、日本にワニはいなかったと言わずもがなの常識だったのかもしれません。

(この発見も磨製石器の発見も民間のアマチュア考古学者さん達でした。凄いですね日本のアマチュアは。勿論、専門の調査が入って研究されました)

マチカネワニ出土地から東へちょうど7キロメートルの地点に日本万国博覧会EXPO’70のシンボル「太陽の塔」があります。岡本太郎さんは、侘び寂びを伝統とする日本美術を覆しそれまで無かった縄文のダイナミックで独創的なデザインを取り入れました。縄文時代の土器には機能性は勿論のことデザイン要素が加えられています。その理由はそこに呪術的意味があるからです。土器や土偶はただ使うものとしてだけでなく、美しく心溢れるものに仕上げられているのです。岡本太郎さんの言葉に「芸術は呪術だ」とあります。縄文土器が豊かな装飾が施されているのは生活の隅々に縄文人の思いが込められているからなのです。縄文は単なる時代というより文化または更に文明と言っても過言ではないのではありませんか。日本の源流は縄文にあり、縄文の源流は岩宿時代にあります。マチカネワニ出土地と岡本太郎さんの太陽の塔がある万博記念公園がすぐ近くというのは運命的にも感じます。



話をもとに戻しまして、これら動物を追って人類がその当時に日本へ渡ってきていても不自然ではないと思います。数十万年前の話です。

ホモ-サピエンスは他の人類と交雑(混血)していますし、原人や旧人はホモ-サピエンスより昔から世界中に暮らしていましたから、その頃の膨大な記憶は古事記が編纂された頃まで残っていたとすればどうでしょう。伝達手段が分かりませんが、例えば歌、画、踊り等、文字でない方が長く伝え残されることもあるでしょうから。

因幡の白兎は隠岐島から出雲国へ海を渡るために和邇を並ばせて背の上を跳びましたね。現代解釈訳された古事記ではワニでなくサメと置き換えてあります。ワニはいないと考えているか、マチカネワニのことを古事記が記すはずがないと考えているからでしょう。これは現代人の驕りと言えないでしょうか。昔より現代の方が博識であると。むしろ現代人の方が無知蒙昧でありましょう。

白兎の逸話も出雲、日本最古の打製石器が見つかったのも出雲。偶然かもしれませんけれど。また豊玉毘売命(トヨタマヒメノミコト)が鵜葺草葺不合命を生む場面で和邇に姿を変えています。
ちなみにマチカネワニの学名はToyotamaphimeia machikanensis
(トヨタマフィメイア マチカネンシス)
です。

またはこんなニュースも有りました。島根県隠岐の島で2千万年前の地層でワニの背骨の化石が見つかりマチカネワニの仲間と見ているそうです。

(古事記の和邇はマチカネワニかも。日本の人類はワニを見ていたかも。その記憶が伝えられていたと考えられなくもない)とは単に希望的観測に過ぎませんけれどね。次の見方がより自然かもしれません。

古事記編纂頃の渡来人からワニについて聞き及んでいたのかもしれませんし、それを得体の知れないものとして描写されたとも考えられます。兎が和邇を並べた様に、ワニが並ぶ様子も知っていたのでしょう。

記紀編纂当時の8世紀頃は唐とイスラム帝国の二大勢力が世界を二分していてお互いの往来もありますからワニの情報もイスラムから唐経由で日本に届くことは十分考えられます。実際に唐に朝貢していた国々の使いは同時に玄宗皇帝に謁見する機会もありました。日本、吐蕃(チベット)、大食(イスラム)、新羅等です。この時日本とイスラムは直接会っています。唐とイスラムの前にも漢とローマ帝国の時代も世界情勢は比較的安定していましたから人々の往来も盛んに行われていたことでしょう。


これらのことから日本の記憶を古事記の和邇とマチカネワニに求めたいのですが今のところ何せ証拠がありません。と言うことで日本の初発たる精神宇宙の自発は岩宿時代の初期3万8千年前から支那の易の創始者伏羲(ふぎ)に言霊原理を支那の言語や自然観に則した抽出で教授した5千年前頃の間の何れかの時点となってしまうのです。日本の言霊宇宙の精神はムハンマドはおろかイエス、釈尊、さらにはモーゼにさえ影響を与え得た人類の宝であることは推して知るべし、なのであります。




天之御柱と八尋殿〈 第六回〉

2020-05-15 16:54:00 | 日本史
②と③
天沼矛で「修理(つく)り固(かた)め成(な)した」磤馭慮島(おのころじま)へ伊耶那岐命(岐ノ命)と伊耶那美命(美ノ命)は天から降りてきて「天之御柱(あめのみはしら)見立て、八尋殿(やひろどの)見立てたまひき」とあります。

「見立てる」とは、ここでは「みたてる」の使い方ですので、意味としては、「本来はを示したいけれど出来ないのでの代わり用いてを表す」ということですね。例えば「ミラーボール見立てる」って感じですね。しかし天之御柱八尋殿見立てているのかは書かれていません。

では天之御柱と八尋殿とはいったい何を表しているのでしょうか。

何に見立てているのかを書いていないということは古事記のそれまでの文章の中に既に一部紹介されているということです。冒頭の「天地の初発のとき、高天原に成りませる神の名は、天之御中主神、…」から「…天之御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき」迄に隠れるように登場しています。それは岐ノ命、美ノ命までの十七柱の神々の名に秘められた「言霊」です。天之御柱と八尋殿をそれらに見立てているのです。

我々は物質世界に生きています。宇宙と言えば、夜空を見上げて遥か彼方まで広がる空間を思うでしょう。その世界を構成する最小単位が色々な性質を持つ元素で、元素の実質的な究極単位は原子核と電子です。この究極単位で全ての物質が形作られていますね。



記紀には宇宙が画かれています。しかしその宇宙は頭上にはありません。人間の心の中に広がっている宇宙が記紀の宇宙なのです。その宇宙を構成する究極単位が言霊なのです。原子で全ての物質が形成されるように、言霊で全ての心の(精神の)有り様が形成されるのです。

言霊とは言葉に霊(魂)が宿っているというような抽象的で掴み所のないものだけではありません。結論から言うとそれは日本語の五十音です。その一音々々に定められた意味があります。


誰がどういう原理で五十音一文字づつにそれぞれの意味を与えたのかは分かりません。ならば文字との意味付けの信憑性が疑わしいですね。しかしその正しさを証明する唯一の方法が有るというのです。

言霊は五十音有ります。その全てを理解した上で、日本語を観た時、一つ一つの語の指す物とその意味が正確に表されている事実があって、関連付けの正当性をその事実が証明するということです。間接的な証明ですがそれしか手段は無いのです。真実は直接見えないから事実に映して見るのと同じです。

音と意味との関連付けは遥か遠い昔に日本人の祖先が実相と空相に於いての物事と五十音との関係を何千年も掛けて探求して話し合い仕上げたのでしょう。実相とは変化する物事の奥にある本来の姿、空相とは全てのものがさまざまな条件のもとに成り立っているということです。

何だか難しく聞こえますね。理屈で考えては分からないのでしょう。なにせ言葉の元の話ですからね。

言霊五十音と五十柱の神々の名との結び付けも、どういう結び付け方なのか分かりません。ただその結び付けの記録が皇室に現存しています。例えば天之御中主神は「言霊ウ」、高御産巣日神は「言霊ア」、神産巣日神は「言霊ワ」と言うふうに天之御中主神から岐美ノ命が共に生んだ最後の神である火之夜芸速男神(火之迦具土神)までの五十柱に一音づつ言霊が結び付けられています。

火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤオノカミ)の直ぐ後の金山毘古神(カナヤマビコノカミ)から建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)までの五十柱の神の名と結び付けられているものは言霊五十音の目的や運用方法の50項目です。言霊五十音の取扱い説明みたいなものですね。

なぜ50なのでしょう。精神宇宙に存在する究極単位である言霊は全てで50個有るからです。それ以上は有りません。探り尽くした結果50個だったのです。この50個がそのまま日本語の五十音になるのです。

物質元素の数も大して多くありません。化学教科書の表紙見返しによくある元素の周期表に載っている数です。(水兵リーベ僕の船…)って、アレです。

もちろん言霊五十音が先で神の名を言霊の原理で後から名付けていったのです。古事記はそのように作られています。しかも史実との整合性を保ち、漢字の意味を活かし、更に、少し細工をして漢文として読んだ時に意味深な句や節が現れたりと言霊の法則の他に別の意味合いをも兼ね備えた文章が古事記には記されて物語としても成り立ちます。太安万侶という天才のなせる業です。おそらく地球上に生まれ出でた天才の最高峰ではないかと思えます。

言葉は刃物でもあります。使い方を誤ってはなりません。

さて天之御柱と八尋殿ですね。

下の図を見てみましょう。


平面図の中心のスポットライトの部分に円柱状の柱を建ててみます。これが天之御柱です。


天之御柱の周りの八角形に32の子音が配されています。これが八尋殿です。

天之御柱の母音、父音、親音18音と子音32音の組み合わせで無限の世界を表現できるのです。

天之御柱の18音は別天神と神世七代で八尋殿の32音は岐美ノ命が生んだ3番目の神から32柱の神々です。五十音に「ウ」は二つ有りますが天之御中主神だけが言霊ウに結ばれますので神の数は十七柱に成ります。

天之御柱別天神と神世七代に見立て、八尋殿後の三十二柱に見立てたまひき」でしょう。

これに似た物で易経の八卦がありますね。世界最古と言われる支那の儒教の五つの経典の筆頭です。易の歴史はとても古く最大で紀元前1700年頃まで遡ります。始めたのは伏羲という伝説の偉人で古代世界のさまざまな文化を作ったと言われています。三千年から四千年前ということですね。オマケして五千年前としても良いでしょう。


八卦は天地のことわりを表していてその方法は数理の魔法陣によります。縦、横、斜めどの方向の数字の和も同じになるのが魔法陣です。

どの方向に足してもその和は15になりますね。

ここで言霊と易を見比べるとどうでしょうか。支那地方の歴史は古く、周辺諸国に影響を与えたといいます。しかし言霊と数理のどちらが極限まで分解された最小単位でしょうか。言い換えれば、どちらが頭で考える前の心の揺れ動きを表したものでしょうか。答えは歴然としています。支那の歴史は多く見積もってもたかだか5000年。言霊はそれ以前ですから、日本の歴史は38000年前から遅くても5000年前には精神宇宙を得た人間として歩み出していたのです。38000年としたのは証拠が実在するからです。それは次回の「④天照大御神の系統」の所で見てみたいと思います。

岐美ノ命が生んだ最初と二番目の子について未だ触れていませんでしたね。最初の子が水蛭子(ミヒルコ)、二番目が淡島(アワシマ)です。この二児は不具の子として扱われ、水蛭子などは葦の舟に乗せ捨てられてしまいます。

二児は何故神として扱われなかったのかは岐美ノ命が天之御柱と八尋殿で行った婚姻の義に見てとれます。

岐美ノ命は天之御柱をそれぞれ反対方向へ回り巡り合った時、美ノ命が先に声をかけ、後に岐ノ命が声をかけたのです。(掘り下げて話すと説明しきれないので極簡単に言うと)美ノ命は母音、岐ノ命は父音です。言葉は母音が後に有って前の音を受けて成り立ちますね。その逆ではダメです。例えば「カ→K+Aア」で母音の「Aア」が後ろにきて「カ」となりますがその逆では「Aア+K≠カ」とできません。水蛭子と淡島はそういうことです。何も表せないということなのです。

何故不具の子が生まれるのかが分からない岐美ノ命二柱はフトマニ(占いです)で高天原の神々に伺ったところ、美ノ命から声を出したのが良くなかった事が分かりやり直して三回目から神を生むことに成功したのです。

ちなみに捨てられた水蛭子が流れ着いて神として奉られているのが現在の兵庫県西宮市の西宮神社で、恵比寿様(えべっさん)ということです。正月に一番福を目指して神社内を疾走している男性達、TVでご覧になったことはありませんか。その神社です。阪神甲子園球場が近くに有りますね。西宮市です。ところで今年の高校野球夏の大会はどうなるのかしら。まったく支那には困ったものですね。




武〈 第五回〉

2020-05-10 11:19:00 | 日本史
伊弉諾尊(伊耶那岐命)と伊弉冉尊(伊耶那美命)からの神話に触れようと思いますが、ここでは国史を貫く精神生命を中心に色々な出来事を考えて行きたいと思います。

日本神話を歴史書という側面から眺めた時に思うことがあります。

日本には八百万と言われるように沢山の神々がおいでになります。

記紀(古事記と日本書紀)は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)を初めとし各地域の神話を一本化したものですのでそこには矛盾や辻褄の合わないことが現れます。併せて、天皇そして天皇の威を借るその時代の権力者にとって都合のよいものに作られていることも間違いないでしょう。

それにしてもちょっと不思議ではありませんか(我々日本人には不思議に感じないかもしれませんが)

権力者の為に神話を利用するなら、そもそも一本化する必要が無いのではありませんか。残す一つ(自分に都合の良いもの)以外は消して無かったことにすれば簡単なことです。わざわざ複雑な辻褄合わせの手間が省けますからね。

しかし日本神話はそうは成らなかった。
各地の土着で系統の違う神々を残したこと、一本化しつつ改ざん捏造されただろう箇所もあること、にもかかわらず天皇という権威への崇敬が不易なこと、そして扱っている年代の範囲がとてつもなく大きいこと(天之御中主神からなので宇宙の始まりからと言うことです)等がその複雑さを誘発しているのでしょう。

そのために後世の研究者が伝承と史実を照らし合わせる際、混沌にも似た複雑な様相を呈して(史実は一つですが)様々な説が謳われそして多くの研究でさえも事象の全てを確定できるとは限らず比定ということになっています。

これらの研究は、史実を探求することによって日本人が帰一する精神・魂について示し、一大家族国家を成す未来を築いて行こうという志の下で行われるものと思うのです。海外の考古学者も彼らの歴史を肯定的に証明しようと研究しています。

しかし残念ながら日本の学者の中には愚かにも伝承を覆し皇室の正統性を否定しようとする狭義な立場から研究する者がいるのも事実です。それでも研究すればするほど彼らの意に反して正統性が示されるのではありますけれども。

やや話が反れましたが、世界の常は武力に勝るものが他者を完全に滅ぼしています。政治、国土、民、風俗、宗教など全てを侵略し自らのものに改めさせています。

(日本の武は性質が異なります。それは後ほど)

日本は然に非ず無数の神々がおいでになるのは、一つには素より易姓革命の思想が無く、ある勢力が他勢力の国家的精神の下に摂取され、摂取された勢力の文化の精粋を保存して発展する性質を持っていたからではないでしょうか。推移変遷の世の中でこの精神を貫き斯かる生命を発展せしめる魂を持つ国家は世界に唯一我が国あるのみです。つまり日本は侵略をしない且つされない国家ということです。

(右でも左でもありませんよ。世界の未来を憂慮する日本人、それだけです。イデオロギーでの話は不毛なだけですから)

史実は一つですが日本の精神の下に研究された諸説は全て正しいと私には思えてくるのです。(個人の考えですのであしからず)



人間の本体は一貫した魂であると考えると、万世一系の天皇が血統による一系の必要はありません。

そうは言っても、天皇とは革命でその座を継げるようなものではなく天皇を運命付けられた即ちその様に生まれ育てられた皇子に限られます。そうでないと努められないからです。

今上陛下が天皇であるのは、上皇陛下からその権威を引き継いだからで、上皇陛下が天皇であったのは昭和天皇から継いだからで、という風に遡れば皇祖天照大御神(大神)の神勅に達して、その御心と御業に拠る万世一系でそれを貫いているからです。一応断っておきますが、神勅とは神々の総意であって大神はそれを認証するだけです。全知全能の神の意思に因るものとは全く異なります。

肇国より天皇が天皇であり続けることが揺るぎ無い真実でまたそれを顕現あらせられるのです。

天皇に人権はありません。そのような過酷な務めをどんな権臣にも勤まるはずがありませんし、ましてや政柄をほしいままに握りたがる者では言うに及ばずです。そういった権力者(摂政、関白、武士等)が皇族を担ぎ、都合のよいように神話を利用した、正確には利用する必要に駆られたのでしょう。

例えば私たちの廻りでも、「アイツ」は上司である「私」の言うことを聞かないけど「アノ人」が言えばよく聞くよね。なんてことがありますでしょ。「私」が「権力者」で「アノ人」が「天皇」と言うことですね。誰にとっても畏れ多い御方が天皇陛下なのですね。

天皇が現御神(あきつみかみ)にましますことそれ自体が天皇の正統性を証明しているので、諸研究の目的はそれを証明する必要もなく、真実を探究し未来へ活かす為のものであると言えないでしょうか。

様々な説があって良いのです。それぞれの合致点を見出だして、より真実に近付けて発展するのです。日本では神々でさえ話し合いその合議の下に歩まされるのですから。




さて、伊耶那岐命と伊耶那美命は国生み神生みを行っていきます。これも天津神(あまつかみ)の総意を受けて行われています。この天津神とは伊耶那岐命、伊耶那美命より前に成った神々のことです。

ザーッと、この二柱の神から神武天皇(初代の天皇ですね)までのネタを予告してみると、

①伊耶那岐命、伊耶那美命が国(日本列島or地球)を産み(作り)ます。別天神、神世七代から天沼矛(あまのぬぼこ/武器です)を授かって、大八洲(おおやしま)+6島を作ります。二柱が生みましたから島々には神としての名前もあります。

②次ぎに神を生んでいきます。最初と2番目の神を生みますが問題が有りまして、それについては後ほど。

③二柱の問題児の後、ズラーッと生みに生みまして56柱(イザナギ、イザナミ両柱又はどちらか一方の神から直接成った神々)+9柱(生んだ神々から生まれた神々)+3柱(イザナギ命から成った最後の神々)この最後の三柱が
天照大御神(アマテラスオオミカミ)、
月読尊(ツクヨミノミコト)、
素戔嗚尊(スサノオノミコト)です。


④最後の三柱のうちの天照大御神の系統を追ってみますと、その孫の
瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、その御子の
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)、更にその御子の
鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)、それからまたその御子で初代天皇の
神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)のちの神武天皇です。


①の天沼矛は日本史に於いて非常に重要な概念の象徴と言えます。宇宙ができて混沌として漂い定まらない状態を「修理り固成(つくりかためなせ)」と天津神の詔を賜って天沼矛で不安定な世界に秩序を与えたのです。【理】には「整える」「繕う」「ことわり」「物事の筋目、筋道」「宇宙の本体」等の意味があって、【修理固成】は「乱れを整えて有るべき姿を定め仕上げること」でしょう。これを矛という武器で行うのです。武による修正、混乱を鎮めるための武、これは日本のみが有する意識です。世界では武は制圧の手段です。

日本国史は政治、社会、経済、文化などでの時代区分はできないと考えます。それは国体が一貫していてそれを顕現しているからで、区分するとすればその顕現の特徴で行えるでしょう。日本史にみる武も同じく国体の顕現なのです。

この事を頭に置いて日本史を観ると、学校で詰め込んだ歴史のデータが修繕され繋がり生命としての鼓動を感じるようになりますよ。過去は過ぎ去るだけではなく未来のなかに再び現れます。換言すれば、未来は過去のなかに既に存在していたのです。その過去と未来を繋げるのが現在です。過去を知らなければ未来が見えないので今何をすべきかを見失ってしまうのでしょう。

②へつづきます。


「幸魂奇魂守給幸給(さきみたま くしみたま まもりたまひ さきはえたまえ)」〈 第四回〉

2020-04-29 11:25:00 | 日本史
世界にある様々な神話は「口承による有史以前の歴史」と言ってしまうのは相当雑ですが、現代の我々が神話と呼ぶその時代を生きた人々にとっては、神話の世界は彼らと彼らの祖先が経験した事象だったのではないでしょうか。後世にそれら言い伝えが長らく語り継がれるうちに、主となる物語を大きく崩すこと無く、後の諸相をも交えつつ編纂されたと思えます。
前回書いた「先ず神話という真実があってそれに沿った形で事実が起こる」と矛盾して「事実を繰り返すことでその内に真実が生まれた」かのように聞こえますが問題ありません。事実から真実が生まれたのではなく、人間が真実を事実の中に垣間見ているのでしょう。つまり人は事実を見つめることで真実の影を映し見るのでしょう。そうすることでしか真実を求められないからです。

アポロン神 1987年 1000ドラクマ紙幣

ギリシャでは彼らの神話を学校で教わるそうです。当然のことであって、素晴らしい教育だと思います。今はユーロですが以前の貨幣にも肖像が採用されています。しかし日本では改訂された学習指導要領を小学2020年、中学2021年、高校2022年から適用するけれど神話教育が未だに十分と言うにはほど遠く嘆かわしいことです。


アステカ ケツァルコアトル神

エジプト九柱の神々

世界にある神話はその地域に生きた人々の自然観や人生観を映した経験に基づく歴史物語なのでしょう。英語では「myth」、これを『ロングマン英英辞典』で見てみると〈an ancient story that is based on popular beliefs or that explains natural or historical events〉とあります。〈広く親しまれ普及した真理に基づく、又は自然現象及び歴史的事象を説明する古代の物語〉といった感じでしょうか。しかし、そもそも「神話」という語彙は日本の「神語(かむがたり)」と比較差別化するために外国語を訳した語です。我が国の「神代の伝承(神語)」は「神話」というような哲学や歴史的事象の考察に留まらず太古から現代にまで脈々と繋がる精神生命の源泉なのです。その精神生命は宇宙の誕生つまり神々の成りました瞬間と同時に生まれ神々によって「大切に大切にそれはそれは大切に」我が子を愛するように守られ、その瞬間と何ら変わらず今もその精神は守られ生きているのです。我々日本人は神と共に顕現する森羅万象に神を映し大切に大切に愛し接してきました。森羅万象ということは人間も亦神の一部なのです。日本の神話は「神話」と呼ぶにはあまりにも尊厳且つ悠久であり日本の歴史に生命を与えて諸外国の単なる物語に過ぎない「神話」とは明らかに異なっています。


稗田阿礼と太安万侶

日本の神話を見るとなると『古事記』と『日本書紀』でしょうか。両書を「記紀」と呼び、どちらも天武天皇の時代に編纂され始めました。使われている言語や表現方法又は神話の記述割合等いろいろと違いはありますが内容は同じです。ならば何故違う方法で二書にまとめたのでしょうか。よく言われているのは古事記が国内向けで天皇陛下の正当性を示し、一方で日本書紀が国外向けに日本を知らしめる為という分け方です。古事記は漢字の意味を踏まえつつ大和言葉を万葉仮名で表され、これは外国人には全く読めません。これは日本語をアルファベットで表したローマ字みたいなものですね。日本書紀は漢文部分もありながらも倭の要素がかなり入って完全な漢文でなく支那人にも理解困難なのですが漢文体なので国外向けと言われる一因なのでしょう。しかし上記した日本神話の意義を考えると秘伝中の秘伝とも言える国体の極意をわざわざ国外に教えることをするでしょうか。そもそも彼らには理解不可能でしょうから尚更です。そこで下の様に解釈すればどうでしょうか。「記紀」の内容は必ず子々孫々まで伝えなければならないこの上なく大切なものなので違った手段(言語)で残したという考えです。私たちも大切な家族の写真等は色々なメディアに記録保存して消滅しないようにバックアップ等して工夫するでしょう。「神語(かむがたり)」は絶対に失うわけにはいかない日本の魂ですから複数の手段で万全を期したのではないでしょうか。失えばいずれ我々の日本は必ず滅びます。滅びるとは日本の魂が滅びるということです。肉体はコピーされ生き続けられるでしょうがそれではまさに単なる生物でしかありません。人が人である所以はそこに神々に通ずる魂が存在するからでこの魂こそが人間の本体なのでしょう。その魂が日本人にだけ備わっているのです。「大和魂」と呼ばれ、我々を人間足らしめる生命そのものです。戦後、ただの生物と化した見た目だけの日本人がほしいままにのさばる光景を我らの祖先が見たらどう感じるでしょうか。武漢コロナウィルス有事で得手勝手な振る舞いをする不届き者の多いことからも戦後日本の堕落をうかがえます。日本人の魂は祖先と繋がり神々と繋がっています。この魂を放棄し生ける屍となることは自分自身を殺すだけでなく同時に先祖や神々をも殺すということなのです。

くじら座 130億光年かなたの「Himiko」

「天地開闢(てんちかいびゃく)」天地の初めの時。〔【闢】ひらく、押しひらく〕
「記紀」の何れも説いています。先ず天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)次に神産巣日神(かみむすびのかみ)が成りました。神が産まれることを「成る」と言います。この三柱は独り神で成りませると直ぐに身を隠したまひき。神の数えかたは「柱」、独神は性別のない神です。身を隠すという意味が分かりませんね。これは神自らの身を隠したと読んでしまうと意味不明になってしまいます。「身」とは神と共に生まれた森羅万象を指すのかもしれません。【身】は象形文字で「人がみごもった(妊娠した)」形を示して「物のまん中」という意味もあるそうです。【隠】という文字の成り立ちを調べると、【隱】の略式で、こざと偏は「丘」の意、文字右側のつくり部で4画目までは「上から覆った手」、その下の5~7画目が「工具、道具」、その下の8~10画目「∋」みたいな部分は「下から支える手」、最後に「心臓」です。両手で工具を覆いかくすことから「かくされた大切なもの」そしてそれを「心配する」という意味も表すようです。そして「たまひき」とは「給う」のことで「上位から下位へ物や恩恵を与える、授ける」と言う意味があって単に動作主への尊敬の意を表するだけではありません。「を隠す」とは「胎児を優しく包み込み守る」ことではないかと思えます。胎児とは森羅万象のことで宇宙の形而上及び形而下全てのもののことです。これを神々が始まりの時から今日そして永遠に守っていて下さるということです。古事記と日本書紀にそう書いてあります。両書ともに漢字の意味を一文字一文字大切に使われていると思います。時には暗号のような箇所が有ったりしますし現代人にとっては謎の多いもので無限の広がりを感じます。
最初の三柱の神々の後に成った二柱の神々を合わせての五柱を別天神(ことあまつかみ)、そして別天神の後に国常立神(くにのとこたちのかみ)を始めとする十二柱を神世七代(かみよななよ)と呼びます。神世七代の内の国常立神と豊雲野神(とよくもののかみ)そして先に成った別天神は独神ですが神世七代の残りの神々は五組の夫婦の神々です。その内の最後の夫婦神が「伊奘諾尊(伊邪那岐命)いざなきのみこと(いざなぎのみこと)」と「伊弉冉尊(伊邪那美命)いざなみのみこと」です。この二柱の神によって国生み神生みが行われるのです。


馭慮島(おのころじま)地球



悠遠にして壮大なる宇宙〈 第三回〉

2020-04-15 18:30:00 | 日本史
日本の国旗は「日章旗」、国歌は「君が代」ですね。「日の丸」は今回はさておき、矛盾だらけの世の中で「君が代」が国歌であることはせめてもの救いです。しかし「君が代」を問題視する勢力があります。その主張は天皇陛下を崇拝し忠誠を誓う内容だということでしょう。そう、いや違う。一文字違います。「崇拝」ではなく「崇敬」にすれば、その解釈の通りです。「君が代」がその内容で何ら問題ないと思いますが何がいけないと言うのでしょうか。
次回以降書き続けていく中で、「君が代」の真意が見えてくるかもしれません。そうなれば大変幸せなことです。



日本の将来を見据えるには正確な歴史を知ることが肝心です。歴史はケーススタディーの宝庫です。現在起こっていることは全て過去に経験しています。形は違えど人間の仕業ですから似たり寄ったり同じ様に繰り返します。
そのように繰り返してきた日本の歴史上の事実には真実が貫かれています。真実はそのずっと前に何者の手にもよらず「独りでに」そこにあった。みたいな。どう言い表せば上手いのか良く分からないのですが、蛍の光の様なイメージでしょうか。


ふと光ったかに見えたが辺りは暗闇で、彼方で光ったかと思えば消え、そうしているうちに弱々しい灯りがしだいに力強く辺り一面に広がっている。どこか宇宙の始まりにも似た幻想的なイメージ。下記の引用は宇宙の始まりについてです。

物理学で扱う「真空」とは、粒子が反粒子とのペアで生まれては瞬時に消滅しており、平均すると何もないという状態のことで、宇宙が誕生するときも同じような状態にあったと考えられています。そして、ものが生まれては消える状態を「真空がゆらいでいる」といい、あるときそのバランスが大きく崩れて宇宙が生まれたと考えられているのです。
 誕生したあと、一瞬にして無限の大きさになった宇宙は、その後、物質のもととなる素粒子や光を生み出し、超高温になってさらに膨張します。それが、ビッグバンなのです。1)

〈参考文献〉
1)吉田 直紀・小学館『地球一やさしい宇宙の話』(https://www.bookbang.jp/review/article/563845 2020年4月13日閲覧)

上の引用文の内容を暫し記憶に留めたまま次は古事記です。

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神。次高御産巣日神、次神産巣日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。

天地(あめつち)のはじめの時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、次に高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、次に神産巣日神(かみむすひのかみ)。此の三柱の神は、並びに独神と成り坐して、身を隠したまひき。

古事記の日本神話の冒頭と宇宙の創生はよく対比されますが、古事記には世界の創生について一切記述がありません。ただ、天地があって高天原がある。そして神々が次々と現れては消える。そう書いているだけです。天地の成り立ちやそれらのできる以前はどんなだったのかなどは書かれていない。ただし、古代日本人の自然観や宇宙観をみてとれると思います。宇宙世界は何者かによって創造されたりするものではなく、ひとりでに成るものと捉えられています。解釈はどうあれ、日本神話と最新の宇宙誕生の科学が並べて話されることは興味深いことです。

宇宙の始まりはどのように成ったのかは分かりません。でも始まりがあったから此の世界が現実に存在しているのです。理屈では真実を説明できません。宇宙の始まりは真実であり、神話もまた真実なのです。真実は事実とは違う、だから真実を事実としては説明できないがそれがないと現実を否定することになる。故に聖母マリアの処女懐胎も真実ということになります。

日本の未来のためには日本の真実が必要です。その真実を感じるためには日本神話に触れる必要があるのです。しかし現在の歴史教育では一切触れない、「触れてはならない」と、されているからです。なぜなら都合が悪いからです、侵略者にとって。修身教育もそうです。日本の道徳の教育でした。とても優れたものですので日本人から奪い取ったのです。
日本の歴史は神話抜きでは理解できないはずです。現行の歴史教育では断片的な情報をインプットしているに過ぎません。それでは「時の流れ」、「人の心の動き」が掴めず腑に落ちないことだらけです。ですから先ずは、神話をみていきたいと思います。