吉田松陰寓寄処
1854年3月 ペリー艦隊が下田に入港。 その頃、密航を企てていた吉田松陰は、ひどい疥癬を患っていて、下田の医師村山行馬郎宅を寓寄処として7日間滞在した。松陰が密航に成功していたら、萩村塾から多くの英才が出なかったかも?などと、思いめぐらしたことでした。
宝福寺 山内容堂と勝海舟により坂本龍馬脱藩が免罪された寺。 境内には唐人お吉のお墓あり。
当寺では毎年「龍馬飛翔祭」があるとか。
安直楼
唐人お吉が晩年、開業した小料理屋。二年後に廃業 とのこと。
ハリスの侍妾を依頼されてから、貧困と世間の罵声をあび果かない人生を送った美しいお吉。子供の頃「唐人お吉」の日本舞踊を見て、どんな人なのかなあと思っていました。
伊豆の歴史を堪能した旅でした。