秋分の日、春分の日は彼岸の中日。連休最終日の秋分の日はお寺で先祖の供養であった。秋の彼岸はこれからの秋の収穫を前に先祖を敬い、生きる、生きているということをゆっくり考える期間であるという説法が行われた。
この世に人として生をうけたとに感謝し、生きるとは何かを考えつつお経を聞いていたのですが、何故か眠くなる。心地のいい声とお経のリズム、尚且つ、目を閉じているのですから当然のような気がします。
供養が終わった後は、寿司屋宝来へ。
連休最終日は「生きる」ということを考える前に、お経で眠くなり、お寺を出ていざ考えようとしたら今度はお酒と満腹で眠くなり・・・そんなこんな過ぎていった。
「生きる」を考えるのは今日にしよう。
この世に人として生をうけたとに感謝し、生きるとは何かを考えつつお経を聞いていたのですが、何故か眠くなる。心地のいい声とお経のリズム、尚且つ、目を閉じているのですから当然のような気がします。
供養が終わった後は、寿司屋宝来へ。
連休最終日は「生きる」ということを考える前に、お経で眠くなり、お寺を出ていざ考えようとしたら今度はお酒と満腹で眠くなり・・・そんなこんな過ぎていった。
「生きる」を考えるのは今日にしよう。
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