桜散歩
2009-04-19 | 散歩
近くの神社で夜桜鑑賞です。この蒼柴神社はワタシの高校の母校の校歌にも歌われている歴史ある神社です。
参門を抜けるとひっそりと参殿が現れます。
蒼柴神社の創始は、長岡藩3代藩主牧野忠辰(ただとき)公が、神道を深く信じ、没後、京都の吉田管領家から蒼柴明神の神号を贈られたことにはじまります。嗣子忠寿(ただかず)が忠辰公と、公の特に尊崇された事代主命(ことしろのぬしのみこと)を、城内に社を建てて祀りました。
後に9代藩主忠精(ただきよ)が忠辰の50回忌に当り、現在の地に日光東照宮を模して権現造りの社殿を完成させこの神社を移しました。社殿は幾度かの戦火にも燃えることなく当時の姿をそのまま残しています。
もう桜は7分散り位で、夜桜見をしている人々は少ないですが、老若男女がみんな楽しそうにほとんど散った桜の木の下でお酒を酌み交わし何を話しているのかわかりませんがいい気分で幸せそうに笑っています。
ワタシも寒かったので燗酒片手に、ほとんど散ってしまった桜の下でゆっくり時間を過ごしました。
参門を抜けるとひっそりと参殿が現れます。
蒼柴神社の創始は、長岡藩3代藩主牧野忠辰(ただとき)公が、神道を深く信じ、没後、京都の吉田管領家から蒼柴明神の神号を贈られたことにはじまります。嗣子忠寿(ただかず)が忠辰公と、公の特に尊崇された事代主命(ことしろのぬしのみこと)を、城内に社を建てて祀りました。
後に9代藩主忠精(ただきよ)が忠辰の50回忌に当り、現在の地に日光東照宮を模して権現造りの社殿を完成させこの神社を移しました。社殿は幾度かの戦火にも燃えることなく当時の姿をそのまま残しています。
もう桜は7分散り位で、夜桜見をしている人々は少ないですが、老若男女がみんな楽しそうにほとんど散った桜の木の下でお酒を酌み交わし何を話しているのかわかりませんがいい気分で幸せそうに笑っています。
ワタシも寒かったので燗酒片手に、ほとんど散ってしまった桜の下でゆっくり時間を過ごしました。
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