時のすぎゆくままに

気ままに散策し、時の過ぎ行くままにアップしたいと思います。

東京のオアシス

2009-03-05 | 歴史探索
東京砂漠のオアシス、浜離宮庭園

3月4日(水)早朝、
首都圏は白銀だったがその後雨で溶け積雪は芝の上だけ。

3月2日(月)、日帰りの東京名勝バスツアーに参加。
去年暮れにつづいて2回目である。

今回のポイントは、浜離宮庭園、汐留シティ、東京湾クルーズと昼食、
一般公開されない登録文化遺産「雅叙園の百段階段」と平山郁夫展、
東京タワーからの展望、である。

この日は8日ぶりに晴天となり、日頃からの心がけが実った。
バスは満席で高速道路を一路「浜離宮庭園」へ

昨夜の雨が空気を洗ってくれたか見通しがよい。

レインボウブリッジ越しに富士山が見えた。
早速バスの窓から撮り続ける。

(1)浜離宮庭園

浜離宮庭園は、海水を引き入れた汐入の池とふたつの鴨場を伝え、
江戸時代には江戸城の出城として役目を担う徳川将軍家の庭園です。

面積は250,215.72㎡で、何代もの将軍の手が入ったが
十一代将軍家斉の時代に現在の姿が完成した。
明治維新に皇室の離宮となり、関東大震災や戦災で損傷し、昭和20年に
東京都に下賜され整備の後昭和21年4月から公開された。
昭和27年11月に国の特別名勝および特別史跡に指定された。

以後その面影が手厚く保護され今日に至ったのである。
その間周囲は開発が進み、いまや往年の姿が見られないほどの変貌だ。

人は都心の進化と言うが、コンクリートの砂漠とも言えるだろう。
そんな東京砂漠のオアシスとして存在するのが浜離宮庭園と思う。
庭園の周囲は、四方コンクリートジャングルの林立で自然が感じられない。
今回四十数年ぶりに浜離宮に入園して、その感を強くしたのである。

その印象を画像でご覧ください。
※両サイドのサムネイルにマウスオンするとメイン画像が変わります。


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東京砂漠のオアシス浜離宮庭園の所在地図


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※ソースはnon_nonさんからお借りしました。









成田山参道

2009-01-21 | 歴史探索
2009成田山参道をスケッチ!!

2009年1月19日(月)朝に雨が止んだ。
最高気温が3月末から4月並という天気予報に浮かれる。

これは気になっていた「成田山参道」を撮るのに最適!
そそくさと旅支度・・いや散策支度にいそしむこと20分あまり。

カメラレンズで重いバッグを背負って京成電車に乗る。
参道散策には、参拝客気分を得るため駅からスタートする。

今日も上空は快晴で、飛行機が気持ちよさそうに飛んでいる。


うなぎも鰻登りに挑戦している(画面中央下看板)。

それでは、成田山参道のスナップをご覧ください。
※両サイドのサムネイルにマウスオンするとメイン画面が替わります。


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人がたむろする所、また人を呼ぶ


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※ソースはnon_nonさんから借用しました。

私も金時の甘太郎を購入しました。
種類は「しろあん」「あずきあん」の二種類があります(各100円/個)。

暖かいうちに食べるのがおしいし・・おいしい。
みなさんには「おいしさ」を写真でお届けいたします。
「あずきあん」です。



お味はいかがでしたか?

今年も健康で、おいしい物をいただきましょう!!



戦国ロマンに触れる

2008-10-29 | 歴史探索
中世の遺跡が現存する、史跡ロマンの散策

10月28日(火)は、雲一つ無い秋空だった。
この日は、カレッジ第15期歴史コースの史跡散策の授業。

コースは、中世の遺跡が豊富に現存する「大佐倉」エリア。
中でも、「国指定史跡の本佐倉城跡」が最大の目標である。

この城は、千葉氏の居城で小田原城の北条氏の傘下にあった。
下総の政治、経済、軍事、文化の要として栄えてきたが、
秀吉の小田原攻めにより、北条氏とともに千葉氏も滅亡した。

それ以降は徳川家康の支配下に入り、後に現在の佐倉城址に
拠点を移すことになる。

現在でも大規模な空堀、土塁、やぐら台に守られた郭群など
明瞭に残っており、平成10年9月11日に重要な文化財として
国史跡に指定され、その保存・整備が進められている。

講師は、文化課文化財班と歴史コースのOB達が担ってくれる。
さあ、万歩計をつけて散策へ・・・!!?

その足取りを14枚のスライドにしてみました。
※両サイドのサムネイルにマウスオンするとメイン画面が替わります。


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集合の「おおさくら駅」、京成線で乗降客最少かも!?


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※ソースはnon_nonさんから借用しました。

午前9時35分にスタートし、大佐倉駅で午後3時解散。
これで一日の史跡散策の授業は終了です。
万歩計は、16,000歩を超していました。
ゴルフでスコアが良いときの18ホールの歩数に合っています。

あとは、「駅前の○○を支えるカレッジ生」です。

「多羅葉」は、タラヨウといって古代インドでは字を書くために
タラヨウの葉を用いられたようです。
葉の裏側に文字を書くことができるのです。

悠久のロマン街道

2007-10-20 | 歴史探索
歴史ロマンと そば処を楽しむ!!

2年ぶりに栃木県那須の温泉を楽しむ。
リタイアしてから毎月通った温泉でもあり
往復約500kmの旅行でした。

道中を楽しむために、高速道路を走らず、
一般国道を片道6時間もかけながらうろつく。
今は、道の駅があるので休憩もトイレも便利。

何回か通っているうちに沿道にある歴史ロマンや
地元に潜む美々な「そば」にうつつを費やす。

今回は、その一部をご紹介します。

※両サイドのサムネイルにマウスオンすると、メインの画面がかわります。



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やさしい雄姿で迎える筑波山


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※ソースはnon_nonさんから借用しました

伊王野から白河の関へ旧東山道(義経街道)を通る。
東山道は、五畿七道の一つで、律令時代には畿内と東山道諸国の国府を
結ぶ主要な幹線道路であった。
律令の最盛期は8~10世紀頃とのこと。
源義経が平泉に逃れる際にこの道を通ったとされている。

那須与一は、源平の「屋島の戦い」で平家が立てた揺れる舟上の扇の的を
矢で射落としたことで有名な源氏方の武士。この功績により、
後に源頼朝から丹波・信濃などに5カ国の荘園を賜ったとのこと。

そば処「かくれ村」の場所は下記地図の通りですが・・・

※隠れているから、オープンにしてよいものかどうか?

いや~歴史探索はロマンですね!!
そして、おいしい「そば」は・・やめられませんね!!