きもちはでこぼこ

文章を書くのが好きです。
普段のなんてことないことを書いてます。

何でもない日が愛おしい。

2024年11月01日 | 日記

山本文緒 の「無人島のふたり」を読んだ。

全く内容も知らずに読んだ。


「私は突然すい臓がんと診断され」

という前書きがあって、あ、これはがんにかかった人の

それからの闘病記 またはそういう小説かな?と思って

いや、もしかしたらと本文を読む前に最後の方を

のぞいてみる。

本文が終わった後のページに

2021年 10月13日 すい臓がんのため58歳で逝去

とあって、本人の事だったんだと思う。

 

無人島のふたり


突然20フィートの大波に襲われ

ふたりで無人島に流されてしまったような

世の中の流れから離されてしまったような我々が

これから少しずつ親しい人を無人島に招待してお別れの挨拶を

(こころの中で)しようと思っている

と書いてあった

 

 

それで「無人島」なのか。 

すい臓がんは気が付いた時には

もう手遅れという場合が多いから、きっと著者もそうだったのだろうか。

 

いかにも闘病記という感じのはわざわざ読む気がしないけど

この「無人島のふたり」というタイトルからは

そんな感じがしなくて、名も知らない小さな無人島で夫婦二人で

過ごした日々の記録、くらいに思わせるこのタイトル、

ちょっといいなぁと思った。

 

内容は日記形式でその日の体調などが記されていて

病気なんてどこにやら、という感じの日もあるし

真剣に死について考えるような日もある。

 

病気じゃなくても、人はいつ死ぬかわからないのに

今日とか明日とか死んでしまうかも?なんて思って暮らしてる人は

少ないのでは?

当たり前に今日を過ごして当たり前に明日は来ると思ってる。

 

私は40代から50代にかけて友達や知り合いが数人亡くなって

まだまだ若いしやりたいこともあって

こんな年齢で死んでいくなんて無念だろうな

そう考えたら

やっぱり生きてるうちにやりたいことをしないと後悔する

そうだ、いまだからこそできることをしなくては!

その時は思っていたのに 特に何かやるわけじゃない。

 

私の毎日なんて 

ほとんど同じような繰り返しで

かわり映えのしない毎日なんだよなぁ。 いいのか私。

 

 

そんな何でもない平凡な毎日だけど、いざ余命を知らされたり

体が不自由になったりすれば、当たり前に過ごしていた日々が

とても大事で愛おしいものになるのだろうか。

 

自分の足で歩いて自分の目で見て、普通にごはんが食べられて

当たり前にできていたことが、急にすごいことに思える。

出かけたいと思ったところに出かけて

食べたいものを食べられるのは、当たり前のことではないのかも。

 

ここまで生きてきたのだから

やりたいこともあんまりないし、今死んでしまったとしても

それほどでもない、と思ったりすることもある。

著者もそんな風に書いてあったのに

でもいざ、数か月後にこの世から自分が消えるとなると

どんなことをしてもいいから、どんな状態でもいいから

生きていたい、と思う と 書いてあり

うーん そうなんだろうなとしみじみ思う。

 

かわり映えない毎日でも期限が付いたら

やっぱりもっと生きたい、 と 思うのだろうか。

 


アボカド3兄弟

2024年10月19日 | 日記

少し前からアボカドの水栽培をしています。

植木鉢で育てたことは何度かあったのだけど

水栽培もできることを最近知って

かわいいなと思ってやってみました。

奥から古い順に並べてみました。

 

手前のがごく最近のやつ。

最初は種をよく洗って種の底の部分を切って、皮をむいて濡らしたコットンにのせて

2~3週間ビニールの袋に入れてました。底を見たらかすかに根っこが出て来ました。

種が少し割れてきたので水につけてるところです。

もう少し根っこが出てきたら、グラスの上に載せて置いておくと

真ん中のやつのように、根っこは伸びて種がパカっと割れてきます。

奥のはだいぶ育ったところ アスパラガスを小さくしたようなのが

出て来ました。

 

こういう成長を見るのはなんとも楽しい。

種の割れたところから眺めたり根っこの伸びるのを見たり。

 

一番奥のは一度根っこが折れてしまって

今、一番根っこが長いのは真ん中のやつ。

根っこが伸びすぎてこのグラスでは底についてしまってる。

でもって

 

小さな花瓶に移しました。

芽が出てないので、ただのビンの蓋のようだ。

 

本当はこんな感じが理想だけど

専用の容器は結構高いので

私のはモロゾフのプリンの容器。

種が載ってるお皿部分は、クリアファイルを丸く切ったもの

貧乏臭いな。あははは

真ん中に穴の開いた皿ってないかな。

 

もう少し育ったらなんか考えよう。

 

アボカドの水栽培 気になる人はこちらから

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欲しかったのはこれだったのかも

2024年10月11日 | 日記

 

薬局で芳香剤を買おうとしたら

芳香剤の棚の前に80歳くらいの女性と

若い男性がいて 

女性が「・・・・かしら?」とかなんとか話していて

どれを買うのか迷ってる感じで私が入る隙がなかったので

また少ししてから 来ようと思って

店の中をぶらぶら。

 

 

数分経ったので、もういないかなと思ったら

まだ女性はいた。

そんなに買い物に迷ってるのか。

 

「これってどういうことなの?」と女性が言う。

・・・ ん? 誰に? 私? 周りを見ても私以外にいない。

 

さっきの男性もいない。

年齢からして、てっきり孫かなと思っていたけど

違ったようだ。

 

周りには私しかいないので

私も商品の棚から芳香剤を一つ取ってみていると

今度は

「無香の芳香剤ってどういうことかしら?」

という。

 

あ そういうことか。

 

「せっかく芳香剤を置くのに何で無香なの?」

という。

 

「香りが苦手、って言う人もいると思いますよ」

(実は私も強い香りが苦手)

 

「そうなの? いい香りがした方がいいじゃない?」

「それもそうなのだけど・・・玄関やトイレの匂いは消したいけど

他の香りはない方がいい、って人もいるようですよ」

というと

「そうなの??」

 

ちょっと納得できない って感じ。

ま、芳香剤だから多くの人は香りがあった方がいいのだろうけど。

 

 

そして 「やっぱり私はラベンダー 芳香剤と言ったら

ラベンダーよね」という。

 

 

ふーん そうですか

芳香剤と言えばラベンダーですか。

 

海苔と言えば山本山

お茶漬けと言えば永谷園

チョコレートは明治

シウマイと言えば崎陽軒

入浴剤はバスクリン

三時のおやつは文明堂

 

ってところか。知らんけど。

 

そんなわけでラベンダーの女性

(ここだけ読むとちょっといい感じだけど)は

ラベンダーの芳香剤を握りしめて

「でも・・・・たまには他のものにしてもいいわね」

と 他の商品を取っては戻して、くりかえしている。

 

おっ、他のを買うんだろうか。

 

「レモングラスの香り・・・・」と他のボトルを取ってみる。

「レモンの香りよさそう」という。

 

「そうですね」と言ったら

 

今度は

「あっ、カモミール」と他のを見てる。

「カモミールって紅茶なんかに入ってるあれよね」

「はい」

「何か・・・・紅茶に入ってるのが芳香剤になるなんてねぇ」

「・・・ダメですか?」

「うーん」

「白檀・・・・」

そんな風に言いながらやっぱりラベンダーから

抜け出せない。

「他のを買ってみて 自分が思ったのと違っていたら・・・・」

 

「ふーん」

 

並んでいる芳香剤は200円台から300円台 

たまには他のを買って「あ、イメージ違ってた」と思ったところで

それが何だ、次には違うのを買えばいい、と私なら思っちゃうのだけど

絶対、失敗したくないのか

それとも使い慣れたものは

なかなか変えられないのかな。

 

 

結局、私は数種類ある中から

「今日はオレンジのがいいか」と1本とって

買い物かごに入れた。

「あ、オレンジのもあるのね」

「はい」

「あなたはいつもそれなの?」

「あ、いつも色々です その日の気分で買います」

「いいわね 簡単にそうやって決められて」

「そう・・・・ ですかね」

 

どっちかと言うと私は無香を買う事が多いけど

この日は玄関にたまには香りを入れてみようかと思っただけ。

 

 

それからひとことふたこと話して私は

他の買い物をした。 途中で芳香剤の棚の前を通ったら

女性はまだ決められないようだ。

 

「どれにしようかしら」とまた大き目な声で話している。

周りにいる人は知らんぷり。 

 

 

ふと この方は新しい芳香剤を買いたかったわけじゃなくて

もしかしたら何か誰かと話したかっただけかも

 

なんて思った。

 

 

いつの頃からか コロナがきっかけかも知れないけど

知らない誰かとちょっと話すことってめっきり減ってしまった気がする。

話すとしても道で迷って場所を誰かに尋ねる、とか「落とし物ですよ」

「ありがとうございます」と何かを拾った時に口を開くくらいで、

なんと言うことでもないほんのひとことふたことの雑談がなくなった気がする。

 

 

以前は買い物に行けば お店の人や、買い物してる人から

何となく話しかけられることがたまにあったのに。

野菜を選んでると「あら?おいしそう とうもろこしってどういうのがいいの?」とか

「この葉っぱってどうやって食べたらいいんだろう?」なんて

言われて「この前、こうやったらおいしかったですよ」

「へぇ。そうなの?今度やってみるね ありがとう」

そんな小さな会話があった気がする。

 

もしや ラベンダーの人は

こんな会話をしたかったのかも。

レジも人が要らないセルフレジも増えたこともあって

本当にひとことも話さずに買い物ができる。

できる、というかお店の人と会話をしたい人にしてみれば

つまらないかも。

 

 

となると歳を取って一人暮らしをしていたら

朝起きてから寝るまで誰とも話さない、なんてことになるかも。

仕事を持ってるとか趣味があれば仲間や誰かと話したりも

少しはあるだろうけど、それもなく買い物以外に外に出ることもなく

誰とも会わないとなると会話も減っちゃうか。

 

誰かと何か、本当に他愛のないことを

ちょっとしゃべりたい そんな事がかなわない時代になっちゃうのかな。

 

 

芳香剤の女性も誰かとちょっと話したかったのかも、

なんて思ったりして。

 

 

 

 

 

 

 

以前はナチュログというところでブログを書いてました。

どうでもいいことを書いていたので

ここでもこんな感じで行きます。

 

前のブログ 「だからどうした」


行動するか、しないか 

2024年10月03日 | 日記

 

じんわりしてしまう動画がある。

 

「東京に来て人を信じることができません

いつもどこかで孤独を感じています。

人を信じたい

もしあなたが同じ気持ちなら

ハグをしてくれませんか」

 

こんな風に書いたフリップの横に目隠しして

手を広げて立ってる。

初めは素通りしていく人が

ほとんどだけど ハグしてくれる人が一人二人と

出てくる。

 

https://youtu.be/T_n8To-aO5A

 

この男性は東京に来て人間不信になるようなことがあったのかな

それとも漠然と東京の人は怖い、とか思ったのかな

もちろん人をだましたり、意地悪したりする人はいる。

人口が多いから、そんな人はたくさんいる。

いやな人に出会うことが多かったのかな。

そんなことを思いながら見てるうちに

いつの間にか、じわっとしてくる。

 

ハグしてあげたい、と思っても

初めに行動するって、勇気がいる。

でもここで目隠しして一人立ってるのは

もっともっと勇気がいる事だろうな。

どのくらい待っていたんだろう?

 

人と人との接触が難しい時代ではあるけど

実際にこんな場面に居合わせたら

自分ならどうするかな。

こんな時 見てるだけで何もしないで帰ったら 

あ~~ やっぱり行動すればよかった、って

ずっと後悔するかも。

 


人のしあわせを勝手に決めないで

2024年09月29日 | ドラマ 音楽

 

先週終ってしまったけど

NHKの朝ドラ 「虎に翼」を見ていた。

今までの朝ドラとはちょっと違うという声が

あちらこちらから聞こえていたけど

私はこのドラマ とても好きだった。

 

昭和6年位からの話

この時代の女性は女学校を出たら結婚し、子を産み、家庭を守るべし。

それが当たり前の時代。

このドラマの主人公はそんな考えに納得できず

大学で法律に出会い、女性初の弁護士、そしてのちに

裁判官になる。もちろんその道は険しくて、見ていてこっちまでハラハラしたり

悲しくなったり。

 

 

弁護士になるまでの大変な事や、やっと弁護士になったというのに

女の、しかも独身の弁護士には待てど暮らせど 

全く仕事が来なくてとても歯がゆい思いをしたり

女というだけで、こんなにも生きづらいんだなと

しみじみ思ったり。

 

そんな主人公の人生だけじゃなくて、

その母親の毅然とした芯がある女性の生き方が好きだし

家に学校の友達が集まって楽しそうにしてる時

一緒に暮らしている兄のお嫁さん(主人公の幼なじみ)が

急に泣き出すシーンがあるのだけど

そんな気持ちがなんだか手に取るようにわかって、

それは姑さんにいじめられてるとかではないのだけど

やはり嫁というのはその家で自分だけが他人

家の事をちゃんとやっているのに、

ひとつもほめてくれることはなくて 悪気がないのだろうけど

なにかと言うと娘の事ばかり話題になって

自分だけが置いて行かれたような気持ちもわかって

「ああ、そうなんだよな」って感じることが多い

 

 

戦争中や戦後間もないころの日本をドラマにしたものは、

だいたいが暗い 物が少なくて食べ物も満足に手に入らず

楽しい話題も少ないだろうから

暗くて辛くて寂しい感じのものになっても当たり前か。

 

生活は日々色んなことがあって、その時々で特に大きなことよりも

小さな、本当に些細なひとことや表情に深く傷ついたり

じんわりしたりすることがある。

 

戦争を経験してないので、それがどれだけ大変かは

わからないけど、経験した人にしてみれば

今の時代は、何て豊かなんだろうと思うのだろうか。

戦争がないってきっとそういうことなんだろう。

 

ただ、自分の親世代の人や、もっと上の世代の戦争を経験した人が

「今の人はしあわせだよ、物が何でも揃うし

昔は本当に物がなくて大変だった」ってなことを言うけど

それもどうなんだろう?

 

今は物はあるけど、だからと言って

それだけで今の人がみんな「しあわせ」かと言うとどうなんだろう?

 

 

生活の物や食べ物がすぐに手に入るってそれは「便利」とは思うけど

簡単に「今の人はしあわせですよ」と決めつけるのは

違うと思う。物の豊かさと気持ちの面での幸福感は違う。

何をどんなことをしあわせと感じるか

しあわせっていう感覚も一人一人が違うだろうし。

子どものいじめや大人になってからのハラスメントなどは

時代とともに悪質になっているし

災害やコロナや事件、事故で命を落とす人も多いし

仕事や人間関係で苦しんでいる人もとても多い時代じゃないかな。

 

そんなことを考えると

「この時代はしあわせだ」とか「あの人は不幸な人生だった」なんて

そんな一つの時代や人の人生をひとくくりにはできないはず。

 

 自分の大変な時と比べて人のことまで

簡単に決めつけるのが、好きではない。

 

 

だけど苦しいことも悲しいことも幸せも、よくよく考えたら

どの時代にもどんな人にもあるんじゃないか

その人その人のそれまで生きてきた時々の

撮った写真を数枚見て思い出したら きっとそうじゃないかな。

「あ、このころはいろんなことで悩んでいたなぁ」とか

「この時代が自分の中で一番充実していた」

「この年頃は何をやっても楽しかったんだろうな」とか

「毎日が苦しかった数年だったかな」なんて感じでね。

 

生活の中での小さな喜び、しあわせ、充実感、悲しい事、苦しみ、悩みは

時代に関係なく そこら中にあるんじゃないかと思う。

 

 

 

このドラマの主題歌

「さよーなら またいつか」も とても好き

 

 

どこから春が巡り来るのか 知らず知らず大人になった

見上げた先には燕が飛んでた 気のない顔で

 

もしも私に翼があれば 願うたびに悲しみに暮れた

さよなら100年先で股会いましょう心配しないで

 

いつの間にか 花が落ちた 誰かが私に嘘をついた

どちゃぶりでも構わず飛んでいく その力が欲しかった

 

誰かと恋に落ちてまた砕けてやがて離れ離れ

口の中はたと血が滲んで空に唾を吐く

 

瞬け羽を広げ 気儘に飛べ どこまでもゆけ

100年先も憶えてるかな

知らねえけれど さよーなら またいつか

 

米津玄師はいい歌作るなぁ。

 

朝ドラって不思議なもので

私は最初の数回は、何となく見ていて

主題歌もそれほど気にせずに聞いたり聞かなかったり。

それを何度か繰り返してるうちに

「あれ?この歌 いいな」なんてなって

いつの間にか口ずさんでしまってる。

 

 

 

「さよーなら またいつか」

良かったら聴いてみてください。

 

 

 

 

 

はじめまして

他から引っ越してきました。

以前はナチュログで書いてました。

こちらもよかったら。