きもちはでこぼこ

文章を書くのが好きです。
普段のなんてことないことを書いてます。

私、学習しませんから

2025年01月23日 | 日記

掃除用具をいっぱい持ってる人に限って
掃除をしない傾向があるとか。  (そんなことはないだろ)

 
掃除機だけじゃできないところがあるから
隙間のそうじができるものをついつい買ってしまう。
掃いたり拭いたりこそげ取ったり
汚れもささっと拭けば落ちるものもあるけど雑菌で黒くなったものは
泡スプレーなんかを吹き付けて置くときれいになるし
この汚れは重曹だ、クエン酸だ、いやセスキがいい、と
あれこれ見てるときれいにしたくなって買ってしまう。


 

少し前に友達数人で集まったときに話していて

「そういえば家のあちこちに置いてある洗剤って
なんだかんだで増えるよね」

「うんうん」「そうそう」なんて話していたなぁ

ふふふ。みんないろんなものを買い集めてるんだな。


 


「テレビCMでやってたり通販番組でやってたりして
見てると試したくなって買ってしまったり
いつも使ってるのがあっても新しいのがでたりすると買ってしまったりして
だんだん収納がいっぱいになってるんだよね」

 

「へ~そうなんだ」

と言いながら自分では「そうは言ってもそんなにたまるかなぁ」

と思ってた。ふと うちにはどのくらい洗剤あるんだろう と思って
あちこちに置いてる洗剤を集めてみれば

 





本当だ。

 

なんでこんなに買っちゃったんですかね。


化粧品だってあれこれつけるのがめんどくさくて
化粧水だけで出かけたりする私が
こんなにいろいろな洗剤を場所と汚れに合わせて使い分けてるとは思えない。

 

絶対使わないだろと思うものを捨ててだいたい半分になった。

今度は増やさないことだな。

 
もう買うまい。 ・・・・・・・と 今は思ってる。

 

でも私、学習しませんから!  大門未知子か。


ふぞろいじゃいけないの?

2025年01月17日 | 日記

昨日スーパーでネギを買った。

このところの野菜の値上がりは本当にひどくて

本当に困ったものだ。

キャベツなんて小ぶりのカボチャくらいでも400~500円する。

ザクザク切って炒めたりするのに最適な野菜なのに今はそれもできない。

ネギもひょろひょろしてるのが1本150円くらいするから

しばらく我慢して買わなかった。

でもやっぱりネギは薬味には欲しいんだよな。

仕方ない、買うか。 ネギ2本入って299円かぁ。うーん。

 

そして今日、同じスーパーに入ったら

昨日のねぎの場所のすぐそばに他のネギがあった。

ちょっと太めのネギ。下仁田ネギに少しだけ近い

でも下仁田ネギとは書いてないから違うのかも。

 

袋を手に取ってみるとずっしり重い。

張りがあってしっかりした いいネギ

でもネギ 昨日買ったからなぁ・・・・と思いながら貼ってあるシールを見れば

なんと4本も入って170円! えええええっ。

 

 

どうして? どうしてこんなに安いの?

おしえて おじいさ~ん ・・・・・ハイジか。

 

袋を見ると「ふぞろいの野菜たち」だって。

ふっ「ふぞろいの林檎たち」に乗っかってんだろうな。

懐かしいな。 いやそうじゃなくて

そんな~~ これが「ふぞろい」って!

 

これ、「ふぞろい」ですか?

昨日の299円のだってこれくらい曲がってたぞ。

 

傷んだ物でもないし、少ししなってるけど「曲がり」ってほどじゃない

曲がってたってネギってだいたい切って使うからなぁ

パッと見るからには全然問題ない。 と私は思う。

表面が汚れてるとか傷があるとかだと

一番上の皮は剥いて使うけど

こんなにきれいなんだもの。皮も剝かないでそのまま使えそう。

この安さ まったく意味が分からん。

何かわけがあるんだろうか

でも170円はほっとけない。二袋買った。

 

日本ってやたらに規格がきびしいみたいで

太さや長さがちょっと違うだけではじかれるとか聞いたことがあるけど

それがこういうこと?

確かに野菜などあまりに形が悪いものは

箱に決まった数がうまく入らず

結局輸送コストがかかるというのはわかるけど

このネギ、表面もきれいだしそんなに曲がってる?

 

っていうか 野菜ってバラバラの大きさでも

まったく構わないけどな。

 

蓮舫なら「みんな揃ってないとダメですか」と言うかも。

    ・・・言わないか。


「花束」の命は短いのかも

2025年01月15日 | 日記


映画や本を選ぶとき、タイトルに惹かれることがある。

 

「花束みたいな恋をした」

なんてステキなタイトルなんだろう。

この前、テレビでやってたので観てみました。

20代半ばくらいの若い男女の恋愛を描いたものかな?
出会った時から本の好みや考え方が近くて話が弾んで
ふたりでいる時間が楽しくてしょうがない、こんな時ってあるよね。
共通点が多くて楽しくしてると
あっという間にお互いをわかった気になるけど
付き合って数年も経てば、他の面が見えて来て

あれ?そうでもなかったのかも、って感じになる。

 

学生から大人になって就職すればだんだん現実を生きるようになって
大事なもの、優先するものが変って来て二人の感覚の違いに戸惑う。

本当にお互いが好きだったのかな?
もしかしてそれほどでもなかったのかな?という心の声が聞こえてきそうだった。

 

気持ちがあってるときはあんなに楽しかったのに就職したら
彼の方は仕事が優先になる 一方で彼女の方は働きながらも
楽しいことを続けていきたい
彼女は正社員で働いていたのをやめて派遣で働きながらも
自分の好きなことは楽しみたいということが理解できない彼
「あの頃のふたり」はもういない

 

彼はいつまでも学生気分でいる彼女にいら立ち、
彼女はふたりで出かける約束をしても仕事でキャンセルすることが多くなってる彼にがっかり。
おたがいが自分の考えを主張して譲らないというか
自分 自分 になってる感じで、相手を思う気持ちがなくなって
そして最後には別れる。


昭和の頃の映画やドラマの多くは途中うまく行かなくなった二人が
結婚や子供ができたとかなんかで、ハッピーエンド

めでたし めでたしで終るってのが好きな人には
この映画の終わりはがっかりかもだけど、

何年一緒にいても子どもがいても、離婚してしまうのが現実。
「昔の女性は辛抱強くて嫌なところがある夫とも長く連れ添ってた」
って感じの事を
年配の男性はよく言うけど、実際はフルタイムで働く女性が
今ほどいなかっただろうし経済的に自立してる女性じゃないと
離婚したところで生活することができなかったのかも。想像だけどね。

 

「花束みたいな」のは出会った時からワクワクするような
偶然が重なって一緒にいるのが楽しくて仕方ない 2人で話してると
あっという間に終電になってしまうあの時間の事だったのかな。


もちろん、一度壊れかけてしまった関係でも
ちゃんと修復する人もいるだろうけど
この映画では彼が「結婚しよう」というシーンが私は気になった。

 

彼女「好きで一緒にいるのに なんでお金ばっかりになるんだろう って」

「ずっと一緒にいたいからじゃん そのためにやりたくないこと・・・」


彼女「私はやりたくないことしたくない 楽しく行きたいよ」

「じゃ 結婚しようよ 結婚しよ 俺頑張って稼ぐからさ

家にいなよ 家事もしなくても 毎日好きなことしてればいいじゃん」

彼女「それってプロポーズ?今、プロポーズしてくれたの?

・・・・・・・・思ってたのと違ってたなぁ」

 


こんなプロポーズ悲しい。
うまく行かなくなった相手に「じゃ、結婚しよう」って!

その一言をいえば彼女はついてくると思ってるんだろうか?

家にいていいよ 好きなことしてていいよ 
俺が働くから家事なんかしなくていいよ

 

こんなにバカにした話ってないな。
実際それをやったとしても、長くは続かないだろうし
そのうち絶対また彼が疲れて切れてケンカになるだろうな。

「なんで俺ばっかり?」になる。

彼女の「好きな事 やりたい事」に彼と一緒に何かをするとか
どこかに出かけることが入ってるだろうに
それもわからないんだろうか。

 

 

これを見てて あ、「舟を編む」と対照的かもと思って
こっちもビデオを見た。

 

板前の仕事をしてる彼女と、何年もかけて辞書を作る仕事をしてる彼の話

前の映画と同じくらいの年頃なのに こっちは彼が人とのコミュニケーションが苦手で
好きな相手にも不器用でうまく伝えられないもどかしさがあるのだけど
ずるいとか自分勝手な部分はみられず、そういうところを彼女は良く解かってる。
何年たってもお互いがお互いを大事に思ってる感じがとても好き。


こんな生き方がいいな。何度見ても暖かな気持ちになる。
相手を思うってこういうことなのかも。

 

 


思い込みが激しいやつ

2025年01月06日 | 日記

「ポイ活」という言葉はポイントを貯めたり

そのポイントをうまく使ったりすることだそうだ。

そうとは知らず

断捨離のように物をポイポイ捨てることだと

思っていた。

いつか使うかも、なんて

ついついいろんなものを貯めこんでしまうと

「そろそろポイ活しなくては!」って感じで

使ってた。

 

 

「妊活」も音でしか知らなかったので

ニン活・・・・ってなんだろ?あっ、そっか!

「ニン活」つまり忍者の好きな人が集まって

全身黒い衣装を着て  さささっとお屋敷のまわりを小走りしたり

屋根からすっと落ちたり 手裏剣使ったりの

忍者ごっこでもしてるのかと思っていた。

 

 

お店などで食べる焼き魚についてくる「はじかみ」

(甘酢につけてある生姜)

あれはころっとした根っこの方を持って

茎を食べるものだと思っていた。

茎はすじっぽくて辛くて食べにくい。

でも きっと魚の後の口はこれですっきりするんだな

茎は噛み切れないので食べ終わると

ほうきのようにぼさぼさになっていた。

いつだったか周りの人の皿を見たらきれいに茎だけ残ってる!

食べられる方はこっちじゃなかったのか。 

 



「台風一過」という言葉は

子供の頃か、少しだけ大人になってから

聞いていたのだけど何の疑いもなく

「台風一家」と思い込んでいた。

気性の荒い人を台風みたい、って例えたんだな

そんな台風父ちゃんと台風かあちゃんと

台風息子と台風娘がいる一家。

しょっちゅう家の中は大荒れか。

(どんな一家や)

 

すいぶん大人になってから

台風一過で気持ちのいい青空ですね」なんて

天気予報の人が言ってたのを聞いた時に

「はっ! 一家じゃなくて一過だったか!」となった。

あははは。

はやく気づけよって話だ。

「台風一家」なんてどんな時に使うんだろ?

「あの家は台風一家だからね」とか言うんだろうか。 絶対言わないな。





何が怖いって

2025年01月01日 | 日記

最近の若い人が怖いと思うものは
LINEのやりとりで使う句読点がだめだって
句読点 特にあの小さいまる 「。」がダメなんだって。
あれが文章の終わりにあると怖いそうだ。

へぇ。 
いろんなことに「どうでもいいじゃん」ってな感じに
生きてるような若者がここにこだわるのが面白い。


ところでこのちいさい丸の話から思い出したのだけど

年賀状など新年のあいさつなどにはつけないのがいいとか。

文章の終わりにつける 「。」なので

縁起のいい事に区切りをつけない方がいいという事らしい

例えば

明けましておめでとうございます。
去年は、お世話になりました。

という一文だけど

 

明けましておめでとうございます

昨年はお世話になりました

とするのがいいということらしい。 ( 丸と点を取って「去年」は「昨年」にして)

もともとは句読点って子供のためにあるという考えもあって
目上の方には特に気を付けなくてはならないとの事。

 

あとは「新年あけましておめでとうございます」 ってのも

「新年」が年が明けるというのを意味してるので

「明ける」が重なってる。

「明けましておめでとうございます」  か

「新年おめでとうございます」が正しいそう。

 

ふーん。 

みんな知っとる話だったね あははは ( ̄▽ ̄)