東日本大震災から10年 あの日あの時・・

2021年03月11日 | 日記

東日本大震災から10年。

皆さまはあの日あの時、何処でどうされていたのでしょうか?

何年経とうとも忘れることはありません。

毎年二人で、同じことを話ます。

俺、あの時風邪で寝ていたんだ・・から始まる。

そうなんです。ある方のお見舞いに病院へ行くことになっていたのに

アンちゃんは風邪で行けない。

で、私が今は亡きOさんを乗せて病院へ向かったんです。

駐車場近くへ来たら、医師や看護師さん他大勢の人たちが

外でざわめいていました。

院内で事件でもあって、逃げてきているのかと思ったその時、

車が大きく揺れ、敷地内の大木がユッサユッサと大揺れした

それで初めて地震だと気が付いたのです。

道中何も感じなかったし、他の車や道行く人の様子に

何も異常を感じるような動きはなかったのです。

エレベーターは当然使用禁止。

5階の病室までハアハア言いながら上がって行った。

既に携帯は通じないし、余震は続くで不気味。

主人が心配しているだろうから一刻も早く帰らねば・・と

お見舞いだけ上げて、只管家へ向かって車を走らせた。

往きの光景とはうってかわり、歩道には心配した人々が出ていたし、

小学生たちは防空頭巾を被って、集団下校していた。

友人を送り届け家の近くまで来たら、近所の奥さんが二人居た。

地震でない小さな揺れでも、とてつもない大声で怖がるYさんは

1回目の地震の時はテーブルの下、2回目はお風呂に逃げ

今は家の中が怖くて外に出て来た・・と言っていた。

話もそこそこに家に帰り車の車庫入れをしていたら、

心配していたようで、アンちゃんが玄関先に出て来た。

物凄い横揺れで、思わずテレビを押さえていた・・と、身振り手振り。

階段の窓際に飾ってあった小さな置物が落ちて、壊れたぐらいだった。

余震を心配して、鏡や額入りの写真は全て外してあった。

それからというもの、テレビに釘付け。

津波の怖さに震えながら、早く逃げて~とか叫びながら

手を合わせ無事を祈るばかりだった。

その夜はいつでも飛び出せるように、大きな袋2枚に

それぞれの洋服やコートを入れ、枕元へ置いて早めに布団に入り

不安な夜を過ごしたのでした。

震災地の皆様の事を思い、関連する新聞記事は全て読みました。

無くなられた多くの方々のご冥福、まだ見つかって無い方々が

一日も早くご家族の元へ帰られますように・・

そして今後の復興など色々なことを思いながら、合掌させて頂きました。

 

今日の新聞の書き写し。

津波に飲み込まれた園児の送迎バスで、お嬢さんを亡くされた

お母様のことが書かれており、涙しながら書き写しました。

明日も平穏に過ごせますように・・・