私がYoutubeチャンネル『本の林 honnohayashi』を始めたのは、2017年頃です。
当初は物語の朗読にピアノの演奏をBGMにした動画を作っていましたが、その後、本の紹介する雑談動画を作ったり、語学学習のためのフラッシュカードの再生動画などを投稿するようになりました。
私は子どもの頃からバイオリンを習っていて、高校は音楽科へ、大学は総合大学の音楽コースへ進学しました。
長年、楽器演奏の分野に携わっていると、表現することについて考える時間が人よりも多くなります。
その中で、書かれている言葉を声にして読みあげることも表現の一つだと思うようになりました。
楽譜に書かれている音符を実際に音にして演奏するように、作者の意図によって選ばれた言葉たちをどのように音声にするのか、それが聞いている人にはどんな印象を与えるのか、また、どんなふうに印象づけたいのかなどを考えることは私にとって、とても楽しい時間でした。
しかし、私は電子機器に詳しいわけでもなく、インターネットやSNSに精通しているわけでもありません。
ただ自分で調べられる範囲で、できる範囲で、使える時間や予算、体力、健康と相談して、不器用ながらどうにか朗読動画を作っていました。
今、7年前の動画を見直してみると、いろいろとアラだらけで落ち込むのですが、その時にどんなやり方で録音をしていたか、編集はどうしていたかを思い出すことができ、今後、また動画を作る時の注意点が明確になります。
再生回数とは関係なく、コンテンツの良し悪しとも関係なく、ただ自分用の作業記録として残してある物だと、言い訳のように自分に言い聞かせています。
完璧とは程遠い動画でも、再生される時のボリューム設定や、声とBGMのバランスやタイミングなどを客観的に考えることができて便利です。
ただし、一視聴者として鑑賞すると、おそろしくつまらなくも思えます。まさに下手の横好き(笑)
すべてを一人でやらなければいけないので限界があります。むしろ、限界ばかりです。
本業の音楽教室の仕事の合間にテキストを選んで、一応読み上げ練習をして、録音に最適な場所を探して(以前はスタジオを借りていましたが、今はそこに移動する時間もありません)、喉に不調がなく、かつ気力体力に余裕がある時を狙って録音して、編集して…
一連の作業をコツコツやり続ける集中力も、以前と比べてなくなっているような気がします。
そうこうしているうちに、朗読動画を再び作るまでに、かなりの年月が経ってしまいました。
今回の動画は、スマートフォンの録音アプリで録音したものと、自分で撮りためた写真と、フリーのBGMを使って作りました。
これが、今の私にできる範囲です。もっと緻密に、質の高いものを作った方がいいのではないかとは思うものの、これは私が「どうしてもやらなくてはいけないこと」ではないし、そもそも「ただの好き」でやっていることで、仕事でも何でもありません。
もういい加減諦めてはいますが、本や文学、言語に関係した仕事をしたいという夢に、趣味でもいいから近づきたくて、40歳を過ぎたオバサンが悪あがきしてるんだなと、生温かく笑っていただければ幸いです。
正直、滑舌もあまり良くできなかったし、編集についても反省することばかりなのですが、また、アナウンサーでも声優でも、まして俳優でもない私ですが、言葉の持つ魅力、音声で表現できる作品の世界観を伝えられるように、頑張りたいという気持ちはまだあります。
その気持ちがなくならないうちは、どんなに時間がかかっても、自分の好きな文学作品を声で表現していきたいと思っています。
いつもブログを読んで下さる皆さま、今年もありがとうございました。
私は自分の考えが、世間一般では歯牙にもかけられないものであることを理解しています。
そして、決して自分の考えが正しいと主張したいわけでもありません。語彙力も乏しいですし、どうしても拙い文章しか綴れません。
ただ、自分の心に生まれた感情の行き場がなくて苦しくなってしまうために、その捌け口として書いているため、傍から見れば、不愉快に感じることも書いてあるはずです。
にもかかわらず、読みに来てくださる方がいることは、まるで孤軍奮闘しているような私の人生に援軍が駆けつけてくれたようで心強く思われます。
来年も、どうしようもない私の日常は淡々と続いていくことでしょう。
「仕方ねーなぁ、たまには読んでやるか」と思っていただけましたら、来年も時々覗きに来て下さると嬉しいです。
それでは、よいお年をお迎えください。2025年が皆さまにとって良い年になりますように。。。
若山牧水「白骨温泉」
当初は物語の朗読にピアノの演奏をBGMにした動画を作っていましたが、その後、本の紹介する雑談動画を作ったり、語学学習のためのフラッシュカードの再生動画などを投稿するようになりました。
私は子どもの頃からバイオリンを習っていて、高校は音楽科へ、大学は総合大学の音楽コースへ進学しました。
長年、楽器演奏の分野に携わっていると、表現することについて考える時間が人よりも多くなります。
その中で、書かれている言葉を声にして読みあげることも表現の一つだと思うようになりました。
楽譜に書かれている音符を実際に音にして演奏するように、作者の意図によって選ばれた言葉たちをどのように音声にするのか、それが聞いている人にはどんな印象を与えるのか、また、どんなふうに印象づけたいのかなどを考えることは私にとって、とても楽しい時間でした。
しかし、私は電子機器に詳しいわけでもなく、インターネットやSNSに精通しているわけでもありません。
ただ自分で調べられる範囲で、できる範囲で、使える時間や予算、体力、健康と相談して、不器用ながらどうにか朗読動画を作っていました。
今、7年前の動画を見直してみると、いろいろとアラだらけで落ち込むのですが、その時にどんなやり方で録音をしていたか、編集はどうしていたかを思い出すことができ、今後、また動画を作る時の注意点が明確になります。
再生回数とは関係なく、コンテンツの良し悪しとも関係なく、ただ自分用の作業記録として残してある物だと、言い訳のように自分に言い聞かせています。
完璧とは程遠い動画でも、再生される時のボリューム設定や、声とBGMのバランスやタイミングなどを客観的に考えることができて便利です。
ただし、一視聴者として鑑賞すると、おそろしくつまらなくも思えます。まさに下手の横好き(笑)
すべてを一人でやらなければいけないので限界があります。むしろ、限界ばかりです。
本業の音楽教室の仕事の合間にテキストを選んで、一応読み上げ練習をして、録音に最適な場所を探して(以前はスタジオを借りていましたが、今はそこに移動する時間もありません)、喉に不調がなく、かつ気力体力に余裕がある時を狙って録音して、編集して…
一連の作業をコツコツやり続ける集中力も、以前と比べてなくなっているような気がします。
そうこうしているうちに、朗読動画を再び作るまでに、かなりの年月が経ってしまいました。
今回の動画は、スマートフォンの録音アプリで録音したものと、自分で撮りためた写真と、フリーのBGMを使って作りました。
これが、今の私にできる範囲です。もっと緻密に、質の高いものを作った方がいいのではないかとは思うものの、これは私が「どうしてもやらなくてはいけないこと」ではないし、そもそも「ただの好き」でやっていることで、仕事でも何でもありません。
もういい加減諦めてはいますが、本や文学、言語に関係した仕事をしたいという夢に、趣味でもいいから近づきたくて、40歳を過ぎたオバサンが悪あがきしてるんだなと、生温かく笑っていただければ幸いです。
正直、滑舌もあまり良くできなかったし、編集についても反省することばかりなのですが、また、アナウンサーでも声優でも、まして俳優でもない私ですが、言葉の持つ魅力、音声で表現できる作品の世界観を伝えられるように、頑張りたいという気持ちはまだあります。
その気持ちがなくならないうちは、どんなに時間がかかっても、自分の好きな文学作品を声で表現していきたいと思っています。
いつもブログを読んで下さる皆さま、今年もありがとうございました。
私は自分の考えが、世間一般では歯牙にもかけられないものであることを理解しています。
そして、決して自分の考えが正しいと主張したいわけでもありません。語彙力も乏しいですし、どうしても拙い文章しか綴れません。
ただ、自分の心に生まれた感情の行き場がなくて苦しくなってしまうために、その捌け口として書いているため、傍から見れば、不愉快に感じることも書いてあるはずです。
にもかかわらず、読みに来てくださる方がいることは、まるで孤軍奮闘しているような私の人生に援軍が駆けつけてくれたようで心強く思われます。
来年も、どうしようもない私の日常は淡々と続いていくことでしょう。
「仕方ねーなぁ、たまには読んでやるか」と思っていただけましたら、来年も時々覗きに来て下さると嬉しいです。
それでは、よいお年をお迎えください。2025年が皆さまにとって良い年になりますように。。。
若山牧水「白骨温泉」
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