12年前に結婚して、6年前に離婚しました。いわゆる、私はバツイチです。
子供は幸か不幸かできませんでした。一緒に暮らしたのは三年くらいで、後の三年は別居をしました。
救急車と警察車両に乗る経験を経て、家庭裁判所と弁護士のお世話になってやっとのことで片が付きました。
元々、虚弱ぎみだった体調が最悪なまでに落ち込んで、6年過ぎた今でも漢方外来に通院しています。
今の私は、自分一人の面倒をギリギリ見ることができる体力、精神力しかありません。
誰かのペースに合わせて生活したり、その人の分まで生活の面倒を見られるだけの余力がないのです。
これから先、誰かとまた結婚して、家庭を築くことなんてできないと私は思っているのですが、傍から見るとそうは思われないらしく、再婚しないの?と聞かれたり、お見合いを勧められることもあります。
日本では、女性が一方的に男性の身の回りの世話をするのが当然という価値観が根強いですし、お見合いをしないかと紹介されるたいていの男性は、実家で両親と暮らしていて、いかにも母親の代わりに面倒を見てくれないかと言わんばかりの人が多いので、ますます応じる気にはなりません。
私には子供がいませんし、これからできる見込みもありませんが、もし自分に子供がいたら、息子でも娘でも自分の身の回りの世話は自分でできるように育てたいと思ってしまいます。
SNSやネットニュースで見かける憂鬱な夫婦間トラブルの記事なども、再婚への気持ちが失せてしまう原因の一つです。
一人でいた方が幸せなのではないかと、今は思います。
自分の悪いところも分かっていますし、この歳になってしまうとそれがなかなか直せないということも分かります。
何より、トラブルや困難に遭遇した時、自分一人の力ではどうすることもできないという絶望をすでに味わっているので、自ら進んでリスクを背負うかもしれない状況に身を置くことに躊躇してしまうのです。
これから先、心から愛することのできる人と出会えるかもしれませんが、私自身のダメな部分がその人を傷つけたり、不幸にするかもしれないと思うと(多分、私も傷ついて苦しむはずですし)、積極的に親密な関係を築こうという気にはなれません。
こんな私の気持ちを理解してくれる人が私の周りには少ないようで、私がまだ子供を産める年齢だということもあってか、なにかと縁付けようと働きかけてくる人たちには閉口します。
ただ、私の体調不良の原因が婦人科系に由来するものなので、妊娠はおそらく無理ではないかと思います。
それに、40代で出産した場合、子供が成人する歳まで自分が健康でいられるかという不安もあります。今でさえ、体調が悪い時は仕事も家事もできずにただ横になっていることしかできないのに。
「再婚して子供を作りなさい」「一人でいるより再婚した方が幸せだから」と周囲で勝手にいろんなことを言うのは自由だと思いますが、その人たちは私の体調のことや、私が結婚生活に抱いている不安などには無関心なのです。
そして、実際に私が再婚をしたとして、その結果うまく行かなかったことに対しての責任もとってはくれないでしょう。それが分かっているので、その都度、丁重に断りを入れています。
結果、せっかく良い話を持ってきてあげているのに、頑なに断り続ける私は性格が悪く、そんなだから離婚されるのだと陰で囁かれるようになるというわけです。もう笑うしかありませんね。
実際、世間から見れば私は大人になっても親の家で生活している「子供部屋おばさん」でしかありません。
子供を音楽家にしたいという夢を捨ててくれなかった父親のおかげで、私には自立できるだけの安定した収入がありませんでしたし、そんな状態ではどこの不動産屋も賃貸契約を結んではくれないという現実があります。
音楽の自営業は社会的な信用はゼロなので、何年働いても実績として認めてはもらえません。
有名になっていれば別かもしれませんが、それでもローンを組むことができなかったり、クレジットカードの審査が通らないという話をよく聞きます。
社会で生活している以上、その社会の中で実績を積まなければ恩恵を受けることはできません。
私が今までしてきた努力は社会の中では何の意味もないことなのです。
私は音楽を仕事にしたいとは思っていませんでしたが、親は子供が自由に進路や職業を選択することを許してはくれませんでした。
そのため、私はいつも音楽分野に身を置きながら、他の仕事を見つけようと努力せざるを得ませんでした。
私が求職のため面接に行くと、いつも同じ質問をされました。「あなたは音楽を勉強しているのに、なぜ違う業種の仕事をしようとするのか」と。
その質問にうまく答えることはできませんでした。私の親との関係を話すわけにもいきませんでしたし、そんな話をまともに相手にしてもらえるとも思えませんでした。
親が子供を強制的に無計画に音楽家にしようとしていて将来が不安だから、安定した職業に就きたいのだと言われても、面接官には意味不明なことでしょう。
反対に、家庭の事情が厄介で問題がありそうだから、不採用にしたくなるはずです。もっと、まともな人材はいくらでも見つかるでしょうから。
面接官はたいてい、私が音楽ではやっていけないから、何でもいいから他の仕事を探しているのだと思ったでしょう。
どう思われても平気でした。音楽以外のまともな仕事に就けるのならば。残念ながらそれは叶いませんでしたが。
現在は大手音楽教室の契約講師と飲食店アルバイトで、来るべき老後のための資金を必死に確保しようとあがいている状態です。
私の高校の同級生たちは、会社員で管理職になっていたり、結婚して子供を3人育てていたり、人生の中で得ることのできる何らかの果実を手にしているように思えます。
私にも、自分が望んだものばかりではないとしても、それなりに得るものはありましたが、それらを肯定的に受け止められない自分がいることも確かです。
今まで生きてきて一番強く思うことは、人生は自分の思う通りにはいかないということです。
おそらく、これからもそうなのでしょうが、それでも、今切に願うことがあります。
平穏無事で安心できる暮らしがしたいということです。
お金は自分一人が生活できる分だけでいい。誰からも悩まされることなく、のんびり自分の生活を楽しみたいと、心から思います。
今まで、何かと問題を引き起こしては大声で喚くことの多かった父親も、母が亡くなってからは比較的大人しくしているので、幾分か救われます。
このまま、大人しくしていてくれることを願うばかりです。
なるべく手短にまとめておこうと思ったのですが、どうしても考え出すとあれこれ積もり積もったものがポロポロ出てきて、今回もまとまりのない記事になってしまいました。
とりあえず、今年書き残しておきたいことは全部書き出せたと思います。これで、すっきりして新年を迎えることができそうです。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
皆様にとって来年が良い年でありますように。
子供は幸か不幸かできませんでした。一緒に暮らしたのは三年くらいで、後の三年は別居をしました。
救急車と警察車両に乗る経験を経て、家庭裁判所と弁護士のお世話になってやっとのことで片が付きました。
元々、虚弱ぎみだった体調が最悪なまでに落ち込んで、6年過ぎた今でも漢方外来に通院しています。
今の私は、自分一人の面倒をギリギリ見ることができる体力、精神力しかありません。
誰かのペースに合わせて生活したり、その人の分まで生活の面倒を見られるだけの余力がないのです。
これから先、誰かとまた結婚して、家庭を築くことなんてできないと私は思っているのですが、傍から見るとそうは思われないらしく、再婚しないの?と聞かれたり、お見合いを勧められることもあります。
日本では、女性が一方的に男性の身の回りの世話をするのが当然という価値観が根強いですし、お見合いをしないかと紹介されるたいていの男性は、実家で両親と暮らしていて、いかにも母親の代わりに面倒を見てくれないかと言わんばかりの人が多いので、ますます応じる気にはなりません。
私には子供がいませんし、これからできる見込みもありませんが、もし自分に子供がいたら、息子でも娘でも自分の身の回りの世話は自分でできるように育てたいと思ってしまいます。
SNSやネットニュースで見かける憂鬱な夫婦間トラブルの記事なども、再婚への気持ちが失せてしまう原因の一つです。
一人でいた方が幸せなのではないかと、今は思います。
自分の悪いところも分かっていますし、この歳になってしまうとそれがなかなか直せないということも分かります。
何より、トラブルや困難に遭遇した時、自分一人の力ではどうすることもできないという絶望をすでに味わっているので、自ら進んでリスクを背負うかもしれない状況に身を置くことに躊躇してしまうのです。
これから先、心から愛することのできる人と出会えるかもしれませんが、私自身のダメな部分がその人を傷つけたり、不幸にするかもしれないと思うと(多分、私も傷ついて苦しむはずですし)、積極的に親密な関係を築こうという気にはなれません。
こんな私の気持ちを理解してくれる人が私の周りには少ないようで、私がまだ子供を産める年齢だということもあってか、なにかと縁付けようと働きかけてくる人たちには閉口します。
ただ、私の体調不良の原因が婦人科系に由来するものなので、妊娠はおそらく無理ではないかと思います。
それに、40代で出産した場合、子供が成人する歳まで自分が健康でいられるかという不安もあります。今でさえ、体調が悪い時は仕事も家事もできずにただ横になっていることしかできないのに。
「再婚して子供を作りなさい」「一人でいるより再婚した方が幸せだから」と周囲で勝手にいろんなことを言うのは自由だと思いますが、その人たちは私の体調のことや、私が結婚生活に抱いている不安などには無関心なのです。
そして、実際に私が再婚をしたとして、その結果うまく行かなかったことに対しての責任もとってはくれないでしょう。それが分かっているので、その都度、丁重に断りを入れています。
結果、せっかく良い話を持ってきてあげているのに、頑なに断り続ける私は性格が悪く、そんなだから離婚されるのだと陰で囁かれるようになるというわけです。もう笑うしかありませんね。
実際、世間から見れば私は大人になっても親の家で生活している「子供部屋おばさん」でしかありません。
子供を音楽家にしたいという夢を捨ててくれなかった父親のおかげで、私には自立できるだけの安定した収入がありませんでしたし、そんな状態ではどこの不動産屋も賃貸契約を結んではくれないという現実があります。
音楽の自営業は社会的な信用はゼロなので、何年働いても実績として認めてはもらえません。
有名になっていれば別かもしれませんが、それでもローンを組むことができなかったり、クレジットカードの審査が通らないという話をよく聞きます。
社会で生活している以上、その社会の中で実績を積まなければ恩恵を受けることはできません。
私が今までしてきた努力は社会の中では何の意味もないことなのです。
私は音楽を仕事にしたいとは思っていませんでしたが、親は子供が自由に進路や職業を選択することを許してはくれませんでした。
そのため、私はいつも音楽分野に身を置きながら、他の仕事を見つけようと努力せざるを得ませんでした。
私が求職のため面接に行くと、いつも同じ質問をされました。「あなたは音楽を勉強しているのに、なぜ違う業種の仕事をしようとするのか」と。
その質問にうまく答えることはできませんでした。私の親との関係を話すわけにもいきませんでしたし、そんな話をまともに相手にしてもらえるとも思えませんでした。
親が子供を強制的に無計画に音楽家にしようとしていて将来が不安だから、安定した職業に就きたいのだと言われても、面接官には意味不明なことでしょう。
反対に、家庭の事情が厄介で問題がありそうだから、不採用にしたくなるはずです。もっと、まともな人材はいくらでも見つかるでしょうから。
面接官はたいてい、私が音楽ではやっていけないから、何でもいいから他の仕事を探しているのだと思ったでしょう。
どう思われても平気でした。音楽以外のまともな仕事に就けるのならば。残念ながらそれは叶いませんでしたが。
現在は大手音楽教室の契約講師と飲食店アルバイトで、来るべき老後のための資金を必死に確保しようとあがいている状態です。
私の高校の同級生たちは、会社員で管理職になっていたり、結婚して子供を3人育てていたり、人生の中で得ることのできる何らかの果実を手にしているように思えます。
私にも、自分が望んだものばかりではないとしても、それなりに得るものはありましたが、それらを肯定的に受け止められない自分がいることも確かです。
今まで生きてきて一番強く思うことは、人生は自分の思う通りにはいかないということです。
おそらく、これからもそうなのでしょうが、それでも、今切に願うことがあります。
平穏無事で安心できる暮らしがしたいということです。
お金は自分一人が生活できる分だけでいい。誰からも悩まされることなく、のんびり自分の生活を楽しみたいと、心から思います。
今まで、何かと問題を引き起こしては大声で喚くことの多かった父親も、母が亡くなってからは比較的大人しくしているので、幾分か救われます。
このまま、大人しくしていてくれることを願うばかりです。
なるべく手短にまとめておこうと思ったのですが、どうしても考え出すとあれこれ積もり積もったものがポロポロ出てきて、今回もまとまりのない記事になってしまいました。
とりあえず、今年書き残しておきたいことは全部書き出せたと思います。これで、すっきりして新年を迎えることができそうです。
ここまで読んで下さった方、ありがとうございます。
皆様にとって来年が良い年でありますように。
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