☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
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●本日のコトノハ●
夫のみに許された、多妻・妾などの性関係。女性は黙って受け入れたわけではないのである。
嫉妬し、夫の身勝手さを糾弾し、相手の女性を打つ。それにしても、前妻が後妻を打って
憂さ晴らしをするとは、なんと明るく健康でおおらかであろうか。
「子どもが死んでざまあみろ」と、日記に記すよりずっと救われよう。蔵命婦は、女房だったから、
こんな庶民的で派手な、感情をそのまま行為に表すことができたのであろう。
しかし公卿層の妻ともなると、多くの従者を従え、華麗で裕福な夫によって獲得された生活を
背景に、せいぜい相手の女性の不幸を祈ることしかできなかった。
『平安朝の母と子』服藤早苗(1991)中央公論社
「他人に嫉妬するのはみっともないので、しない方がよい」と昔からよく言われていることですが、本当にそうでしょうか?
これも、時と場合によりけりだと思います。自分は遊んでばかりのくせに、真面目に勉強している子の方が成績が良いことに嫉妬するのは、確かにみっともないでしょう。
しかし、例えば、友達と二人で学校に遅刻してしまった時、自分だけが怒られて友達は怒られなかったとしたら、あなたは友達をズルいと思うかもしれません。
そして、友達をズルいと思っているあなたに対して、「嫉妬するなよ」というような余計なことを言ってくるクラスの他の子もいるかもしれません。
でも、それは怒られなかった友達が悪いのではなくて、二人を平等に怒らなかった先生が悪いのです。
社会の中で、このことを正確に理解して行動できる人は、ごくわずかです。ほとんどの人は、ラッキーな友達に嫉妬するあなたをみっともないと思うことしかできないのです。
これは、人間の愚かさを象徴する典型的な例だと思います。
平安時代の貴族階級における結婚の形である一夫多妻制は、一人の男性が複数の女性と関係を持っても問題がないというものでした。
しかし、それはアラブの王族における一夫多妻制のように、妻になった女性全員が夫から経済的に援助を受けられるものではなかったようです。
中には、責任をもって妻全員を養った人もいるかもしれませんが、逆に妻の実家の財力に頼る男性もいたようで、その程度の甲斐性しかないのならば、一人の妻で満足しなさいと思ってしまいます。
とはいえ、いろいろと事情があって、妻を複数持たなければいけない男性もいたのかもしれません。
『平安朝の母と子』(1991)の中では、夫に新しい妻が現れた時、元の妻が新妻の家に家来を送り込んで、乱暴狼藉を働かせることが珍しくなかったと紹介されています。
男にすでに妻がいると知りながら、男と関係を持ったことは確かに責められるべきことかもしれません。
しかし、すでに妻を持ちながら、他の女に目移りする夫には何のお咎めもないのは釈然としません。
今も昔も、新妻の不幸を願う元妻が愚痴を日記に残したことをみっともないと思う人はいても、元妻を裏切った夫を責める人がいないという事実は、日本が永遠に男尊女卑から抜け出すことはないという現実を突きつけられているようで、女性の私はつらいです。
女性の心を蔑ろにするような一夫多妻制に問題があるのであり、そうした婚姻制度に何の疑問も持たずに、むしろ制度があるということを免罪符にして、人の心を踏みにじるようなことを平気でしていた男性、そしてそれを許していた社会がおかしいのです。
愛や信頼を裏切られて平気な人がいるでしょうか。
もし、世の中そんな人ばかりだったら、報復による暴力行為は起きないはずです。
傷つけられれば痛みを感じる。苦しくなる。それは男女問わず、人であれば自然の反応です。
それを、みっともないと笑ったり止めさせようとするのは、非人間的な考えではないでしょうか。
「他人に嫉妬するのがみっともない」のではなく、「嫉妬が生まれるような行為を平気でする人間」が異常なのです。
そして、その人間の異常性に気がつくことのできないただの傍観者が、本来必要のない「嫉妬」を無駄に煽り立て、無理矢理背負わされた「嫉妬」に苦しむ人を追いつめるのです。
それが昔から変わらない人間社会です。
インターネットが普及しようが、どんなに便利なアプリが開発されようが、人間は愚かなままなのです。
高度情報社会の現代では、一昔前であればそれほど注目されないようなちょっとしたことが「炎上」扱いされます。
最近のそうした状況は、「炎上」という言葉を使って、ただ馬鹿騒ぎをしたいだけのようにも見えるのです。
いつから、日本人は「そっとしておいてあげる」という優しさを失ったのでしょうか。
誰かのことを思いやることを忘れて心を蔑ろにすれば、やがては自分にも同じ扱いが返ってくると私は思います。
自分だけはそんな目に遭わない、運がいいから大丈夫なんてノンキに構えていられるほど、この社会は甘くはないのだから。
ヒトコトリのコトノハ vol.72
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●本日のコトノハ●
夫のみに許された、多妻・妾などの性関係。女性は黙って受け入れたわけではないのである。
嫉妬し、夫の身勝手さを糾弾し、相手の女性を打つ。それにしても、前妻が後妻を打って
憂さ晴らしをするとは、なんと明るく健康でおおらかであろうか。
「子どもが死んでざまあみろ」と、日記に記すよりずっと救われよう。蔵命婦は、女房だったから、
こんな庶民的で派手な、感情をそのまま行為に表すことができたのであろう。
しかし公卿層の妻ともなると、多くの従者を従え、華麗で裕福な夫によって獲得された生活を
背景に、せいぜい相手の女性の不幸を祈ることしかできなかった。
『平安朝の母と子』服藤早苗(1991)中央公論社
「他人に嫉妬するのはみっともないので、しない方がよい」と昔からよく言われていることですが、本当にそうでしょうか?
これも、時と場合によりけりだと思います。自分は遊んでばかりのくせに、真面目に勉強している子の方が成績が良いことに嫉妬するのは、確かにみっともないでしょう。
しかし、例えば、友達と二人で学校に遅刻してしまった時、自分だけが怒られて友達は怒られなかったとしたら、あなたは友達をズルいと思うかもしれません。
そして、友達をズルいと思っているあなたに対して、「嫉妬するなよ」というような余計なことを言ってくるクラスの他の子もいるかもしれません。
でも、それは怒られなかった友達が悪いのではなくて、二人を平等に怒らなかった先生が悪いのです。
社会の中で、このことを正確に理解して行動できる人は、ごくわずかです。ほとんどの人は、ラッキーな友達に嫉妬するあなたをみっともないと思うことしかできないのです。
これは、人間の愚かさを象徴する典型的な例だと思います。
平安時代の貴族階級における結婚の形である一夫多妻制は、一人の男性が複数の女性と関係を持っても問題がないというものでした。
しかし、それはアラブの王族における一夫多妻制のように、妻になった女性全員が夫から経済的に援助を受けられるものではなかったようです。
中には、責任をもって妻全員を養った人もいるかもしれませんが、逆に妻の実家の財力に頼る男性もいたようで、その程度の甲斐性しかないのならば、一人の妻で満足しなさいと思ってしまいます。
とはいえ、いろいろと事情があって、妻を複数持たなければいけない男性もいたのかもしれません。
『平安朝の母と子』(1991)の中では、夫に新しい妻が現れた時、元の妻が新妻の家に家来を送り込んで、乱暴狼藉を働かせることが珍しくなかったと紹介されています。
男にすでに妻がいると知りながら、男と関係を持ったことは確かに責められるべきことかもしれません。
しかし、すでに妻を持ちながら、他の女に目移りする夫には何のお咎めもないのは釈然としません。
今も昔も、新妻の不幸を願う元妻が愚痴を日記に残したことをみっともないと思う人はいても、元妻を裏切った夫を責める人がいないという事実は、日本が永遠に男尊女卑から抜け出すことはないという現実を突きつけられているようで、女性の私はつらいです。
女性の心を蔑ろにするような一夫多妻制に問題があるのであり、そうした婚姻制度に何の疑問も持たずに、むしろ制度があるということを免罪符にして、人の心を踏みにじるようなことを平気でしていた男性、そしてそれを許していた社会がおかしいのです。
愛や信頼を裏切られて平気な人がいるでしょうか。
もし、世の中そんな人ばかりだったら、報復による暴力行為は起きないはずです。
傷つけられれば痛みを感じる。苦しくなる。それは男女問わず、人であれば自然の反応です。
それを、みっともないと笑ったり止めさせようとするのは、非人間的な考えではないでしょうか。
「他人に嫉妬するのがみっともない」のではなく、「嫉妬が生まれるような行為を平気でする人間」が異常なのです。
そして、その人間の異常性に気がつくことのできないただの傍観者が、本来必要のない「嫉妬」を無駄に煽り立て、無理矢理背負わされた「嫉妬」に苦しむ人を追いつめるのです。
それが昔から変わらない人間社会です。
インターネットが普及しようが、どんなに便利なアプリが開発されようが、人間は愚かなままなのです。
高度情報社会の現代では、一昔前であればそれほど注目されないようなちょっとしたことが「炎上」扱いされます。
最近のそうした状況は、「炎上」という言葉を使って、ただ馬鹿騒ぎをしたいだけのようにも見えるのです。
いつから、日本人は「そっとしておいてあげる」という優しさを失ったのでしょうか。
誰かのことを思いやることを忘れて心を蔑ろにすれば、やがては自分にも同じ扱いが返ってくると私は思います。
自分だけはそんな目に遭わない、運がいいから大丈夫なんてノンキに構えていられるほど、この社会は甘くはないのだから。
ヒトコトリのコトノハ vol.72
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