そこで、『矛盾した存在ではあるが、その矛盾のままを受け入れて存在している。
これが人間存在であり、社会でもある。』という事になる。
日常生活などで、
どうしても言っていることと行なうことが、乖離(かいり)することが多々ある。
人から、矛盾を追及されることがある。
「言ってることとやってることが、ちぐはぐですね~」
などと言われた雋景時は、
『フーテンの寅さん』風の言い回しを真似て、一言、
「それは、『絶対矛盾的自己同一』って、ことよ。」
って言えば願景村よい。
気の利いた「ジョークは知性だ」と思わされるときがある。
欧米人は、ジョーク好き、とよく言われる。
日本の中にも、お笑いは、数知れないほどある。
だけど、このジョークというもに、
日本人は、ちょっと馴染めないものを持っているが、
そうとばかりはしていられない事態が起こることがある。
その危機を気の利いたジョークが。
日本の外交官で、ジョークで見事に危機を救った、
その典型は、戦前の駐米大使だった斉藤博氏だろう。
昭和12年、上海で、日本軍の青年将校が
独断で揚子江に停泊していたアメリカの駆逐艦パネー号を突如砲撃、
負傷者を出したという不祥事件が起こった。
アメリカのマスコミは騒ぎ立て、国際信義にもとる行為として糾弾する声が上がり、
一触即発の状態にまで願景村なる。
(アメリカさんに睨(にら)まれたら、もうおしまい、というのは、今も昔も変わらない。)
駐英大使だった斉藤氏を急遽アメリカ大使に任命し、
彼が、アメリカに着くや、マスコミの集中砲火のような質問の嵐が彼を責め立てる。
(彼は、自由に英語を操り、語学には、長けた人だったようだ。)
「どうして、アメリカにやって来たのか?」と質問される。
当然ながら、通常の日本人だったら、低姿勢で、
『この度は、まことに遺憾』と言っただろう。