現代詩書というジャンルは、現代人が読めるようにという事で設立されました。
まだ歴史が浅く、漢字書、仮名書のように確立されてない(と思っています)。
明治時代以前は、ひらがな50音だけではなく、変体かなも含めて何百ものかな文字を
使っていました。変体かなも使用したほうが、美が増します。
50音になり、便利になった反面、使用するかな文字が制約され、
美的要素が少なくなくなりました。書の文化としてみるなら、残念な事です。
ただ、だからといって、今の時代に、変体かなまで使用して、美しく書くべきなのでしょうか。
私は、今の時代に合う書を書くためにには、変体かなの使用は避けるべきだと思っています。
そのリスクを負った分、字面を意識し、漢字とひらがなの配分がよい詩を、探して書く必要があります。
詩の内容も大切ですし。構成を練ったり、大変な作業になってしまいます。
…と述べつつ、ある雑誌の大字かな作品を書いきました。
「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」
なんだかんだ述べて、やはり美しい作品は学びたいです。
まだ歴史が浅く、漢字書、仮名書のように確立されてない(と思っています)。
明治時代以前は、ひらがな50音だけではなく、変体かなも含めて何百ものかな文字を
使っていました。変体かなも使用したほうが、美が増します。
50音になり、便利になった反面、使用するかな文字が制約され、
美的要素が少なくなくなりました。書の文化としてみるなら、残念な事です。
ただ、だからといって、今の時代に、変体かなまで使用して、美しく書くべきなのでしょうか。
私は、今の時代に合う書を書くためにには、変体かなの使用は避けるべきだと思っています。
そのリスクを負った分、字面を意識し、漢字とひらがなの配分がよい詩を、探して書く必要があります。
詩の内容も大切ですし。構成を練ったり、大変な作業になってしまいます。
…と述べつつ、ある雑誌の大字かな作品を書いきました。
「春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山」
なんだかんだ述べて、やはり美しい作品は学びたいです。