都会模様は テクニカルなたそがれで
死んだ目の若者は自慢の車が生きがいと
その言葉は寒いね
人はみんな まやかしの夜へ急ぐよ
何をしても愉快な日はほんの一時期だけで
ラブロマンスも 色褪ては なしくずし
どこかすり切れて行くすべてはファッション
集い合う女は したたかで
純情な素振りは みえすいて
都会は下手な コラージュ
せめて君の 素直さだけ 信じて甘えたいよ
ドアをピタリ閉じて
先日は坂本龍一さん、今日はムツゴロウさん。
来生さんに所縁のあるお二人の訃報が続いた。
坂本龍一さんはアルバム「遊歩道」でアレンジと演奏で参加されている。
High Noon…来生さん(矢倉銀)との共作。
蜜月
渚のほのめき
Midnight Step
坂道の天使
この中で私がいちばん印象的だと思うのは「蜜月」のアレンジだ。
そしてクレジットを見ると、この曲はストリングス以外の全ての楽器(打ち込み等)が坂本龍一の演奏となっている。
その他に、美空ひばりさんへ提供した3曲、
笑ってよムーンライト
あなたでなければ
まなざしの彼方
こちらも坂本龍一さんのアレンジだ。
坂本龍一さんの作品は本当に代表的なものしか知らなかったが、来生さんと再会して、それらとは全く違うテイストのアレンジに驚いた。
さて、ムツゴロウさんとの所縁について。
だいぶ前にもブログに書いたが、昔から動物好きな来生さん…
『僕は一時、デビューできる寸前、音楽の道で食えそうもなかったら、本気で畑正憲さんの動物王国へ行こうと決心したこともある。』
(「私の猫ものがたり」より抜粋)
と、キスギストにはかなり衝撃的な事を著書の中で書いている。
つまり、多賀氏がデビューさせてくれなかったらムツゴロウさんのもとで動物たちのお世話をしていたかも知れないのだ。
直接関わりがあったわけでは無いが、今回の訃報を聞いた来生さんは多分当時の事を思い出したのではないだろうか。
さて。まず、どう言う基準で自動映像化されるされないが決まるのか自分でも分からないこの現象。
先日のキスギストトーク大会(笑)でも、以前別巻で取り上げられた『「ゆっくり夏が」の不穏感』と言う記事について意見交換してた時に、自分的に類似した曲としてこの「つれない夕暮」が瞬時に浮かび語り出す自分に驚いた。
つまりこの曲については完全に映像化されて、さもその情景を見たかのようにすり込まれていると言うこと。
まずは歌詞。
「つれない夕暮」
冬はつれなく暮れて行く
都心のビルの一角も
ヒューと寒さに風が鳴り
誰もが 足早に歩み去る
そんなたそがれに二人して
じっと向き合う喫茶店
手持ち無沙汰に時間は過ぎて
肝心なことは何も言えない僕がいる
行きたいところはないから
どこでもきっと同じことだろう
しばらくここにいるかい
君もそれでいいのかい いいのかい
僕は退屈な男かな
君はつれない女かな
手持ち無沙汰に時間は過ぎて
せつない心に満ちる はかなさひと啜り
行きたいところはないから
どこでもきっと同じことだろう
しばらくここにいるかい
君もそれでいいのかい いいのかい
映像化されない曲は、他のキスギストさんがブログに書いてるのを読んで「あ、そう言う意味の歌詞だったのか…」と言う曲も多々…
いったいその差は何なんだろうか。
実生活で同じような場面に遭遇もしくは体験しているからかなと思ったけど、そう言うわけでも無い。
なにかドラマや映画の気になったシーンとかの記憶と重なるのか。
単純に好みの差なのか。
まあよく分からないんだけど、私にとってはこの歌詞の情景が脳内自動再生される方の曲はもはやドラマや映画のようなものだと言うことは間違いない。
明日はその、まるでドラマや映画で観たことがあるようなある曲について書いてみようと思う。