小3の息子がしょげ返って帰ってきたのは、昨年の6月。
友達と喧嘩でもした程度であろうと思った家内が
理由を聞いてから、この騒ぎは始まった。
「おまえの母さんが余計なことを言うもんだから、俺が迷惑だ」
担任たる50過ぎの仮にも教師が息子に吐いた言葉であった。
おそらく当事者の家内は何のことか戸惑ったに違いない。
その「余計なこと」とは、親子懇談会の際、子供と親との連絡方法で、
どなたかのお母さんが提唱されたことに、
家内を含めて複数のお母さん方が賛同したことが
「余計なこと」だとは数日後判明した。
泣きながら言う子供の言葉に、家内は何のことか完全に当惑
家内は担任の先生へ何が「余計」で何が「迷惑」だったかを尋ねた。
ところが「何のことですか?」「私はそんなこと言っていません」・・・
これもあとから分かったのだが、一番初めにその連絡方法を言い出したのが
家内であると思ったらしい担任は、その後執拗に家の息子に対して、
個人攻撃が始まっていった。丁度その頃から、夜尿症が始まってしまう。
当初私は、学校の先生がまずそんなことをするはずが無いと思っていただけに、
何をどう信じていいのかがわからなくなりかけていた。
家内を責める話ではなく、子供を信じないわけには行かない。
本当にそんなことがあるのか!!???という当惑。
夏休み前、「先生にいじめられるから学校に行きたくない」。とうとう、
登校拒否の言葉を発した息子を見たとき、「これはいけない!」。と、
校長に電話をし、話をする為のアポイントを取った。
新任の女性校長は、一見所帯じみた格好の、どこにでもいる風体。
逆にいえば、親しみ感があるといえよう。
ただ、結果的には何の頼りにもならなかった。
校長は、あくまで教師の味方であった。家内はそのことにも涙した。
要するに、家の子供の言葉に信憑性が無く、担任が言うとおり、
そんなことを言うはずがあるまいと・・・。
先生が子供の言うことを信じなくてどうなるのだろうか!という憤りもあったが
ぐっと抑え、冷静に努めた。家内、息子には多分不服であったろうが、
一方的にそのことで担任、校長を責めるのではなく、
双方がもう一歩歩み寄りましょうと私が提唱。
子供同士の喧嘩であるまいし、生徒と教師の、あろう事か確執の穴埋め提案を
私がしようとは、思いもよらぬ出来事だったのは確かだった。
夏休み、子供をしっかり慰め、
「先生はおまえのことをいじめるなんて事は絶対しないから大丈夫」
と、二学期を送り出した。
幸い、家内の性格に似て、又B型の血液型からだろうか、
あっけらかんと言うか、さっぱりというか、明るいというか・・。
いじいじと、そのことを引きずるという様子は無かった。
ただ、子供と風呂に入り話を聴くに、
授業中手を上げても一切当ててくれない、
集団で悪いことをしていても、1人だけ怒られる
話し掛けても、無視をされる。などなど・・
息子が被害者意識になっている部分も多少はあるとしても、
家族はそのたび悩み、これらが溜まりかね、
家内が二度目の相談を校長にするも
完全に暖簾に腕押し。夜尿症は頻度を増した。
ある人に相談した時、「教育委員会」という相談先を薦められた。
当初私もそう思ったが、当事者の私としてみると、それは非常に怖い。
その教師がトップダウンで忠告を受けたとしたら、
いじめがエスカレートし、あってはならない事態が・・と
私自身までが、そう思うようにまでなっていた。
そのころ、家内は家内なりに、その教師がいったいどういう教師なのか、
どういう評判なのかという事を聴いてまわっていた。
今年隣の町からやってきたその教師と、20年程前に
職場を同じくしていたという現在専業主婦の人を見つけることが出来た。
そして、その教師のその頃の評判を聞くに、愕然と言うか、やっぱりというか、
こんな評価であった。
まだ独身であったらしい頃のその教師は、
身なりはぞろぞろで、清潔感は一切無く、
職場のほかの職員との交友は一切無く、
なにより差別が激しいという指摘が良くあった。・・・というのであった。
身なりはいざ知らず、他は未だに変わっていないではないか!
そんなやつを放置していていいのか!!!!
飛行場へ連れて行ったり、
野球が大好きな為、野球チームに入れるなりして、
気分を変えさせる努力を絶やさず
誕生日、クリスマス、正月・・と日は流れた。
「学校は行きたいけど・・先生がなぁ」と言うせりふを吐く息子の
背中を押して登校させた母たる家内の気持ちを思うと、今でもせつない。
我々夫婦はただただ、今年度が早く終わって欲しいと祈った。
しかしその思いもむなしく、年度末のある日、携帯が鳴った。
家内からだった。
「Kちゃん、給食食べさせてもらえなかったんだって・・・」
更に翌日、「Kちゃん途中で帰ってきちゃった・・・・」
私はこれ以上は放置できなかった。とうとう教育委員会へ出かけた。
応対してくださった課長は、教師のことで悩み事があるというと、
私が申し出るか出ないかほぼ同時に、その担任の名前が出てきた。
要するに、問題職員という事でしょう!!!!
しかし、私の話を一語一句丁寧に聞いてくださり、
実の大学ノート5枚分に及ぶ聴取をしていただいた。
そして我々の心中について、充分察し頂いた。
私のお願いしたいことはただただ一つ。
「以後、この職員を私の息子の担任にしないで欲しい」
ということを懇願し、口頭ながら承諾いただいた。
当日、校長から慌てふためいたような電話がかかってきたらしい。
申し訳なく、私にお詫びしたいので時間が欲しい。と。
零細企業の年度末は、そんなことに時間が裂けられないとお断りしたら、
あっさり二度と、連絡も、手紙も、お詫びも無かった。
春休み、夜尿症がやや治りかけながら、息子は
朝に夕に「4年の担任の先生誰かなあ」と言いつづけていた。
そして、始業式。息子の担任は晴れて
我々の歳ぐらいの女性の教師となった。息子は大喜び。
そして、問題のその教師は、
繰り上がる人が多い中、違う学年へと外れた。
今息子は絶好調。ぴたりと夜尿症も治った。
ただ私には今悩みがある。
その教師をそのままで良いのだろうかということである。
同じ思いをする子供が又出てきてしまったらどうしよう。
同じ思いをする夫婦が又でてきてしまったらどうしよう。
先日教育委員会へ礼状を差し出すと、
その課長直々に携帯に電話を頂いた。
正直に私の思いは伝えた。
ただ、その教師も、校長も、いまも学校にいることは確かである。
拭い去られたわけでもない不安と不満は、
私の人生の中でも、息子の人生の中でも
とても深い傷となったのは確かだった。
今年の夏休みに入るときの、
必ず上がっている通知表が楽しみである。
唖然として、薄笑いまででてきてしまったが、
これ以上下がりきらないに近い息子の今年の通知表は、
ある意味一生の思い出として取っておくつもりである。
息子よ、頑張れ。
友達と喧嘩でもした程度であろうと思った家内が
理由を聞いてから、この騒ぎは始まった。
「おまえの母さんが余計なことを言うもんだから、俺が迷惑だ」
担任たる50過ぎの仮にも教師が息子に吐いた言葉であった。
おそらく当事者の家内は何のことか戸惑ったに違いない。
その「余計なこと」とは、親子懇談会の際、子供と親との連絡方法で、
どなたかのお母さんが提唱されたことに、
家内を含めて複数のお母さん方が賛同したことが
「余計なこと」だとは数日後判明した。
泣きながら言う子供の言葉に、家内は何のことか完全に当惑
家内は担任の先生へ何が「余計」で何が「迷惑」だったかを尋ねた。
ところが「何のことですか?」「私はそんなこと言っていません」・・・
これもあとから分かったのだが、一番初めにその連絡方法を言い出したのが
家内であると思ったらしい担任は、その後執拗に家の息子に対して、
個人攻撃が始まっていった。丁度その頃から、夜尿症が始まってしまう。
当初私は、学校の先生がまずそんなことをするはずが無いと思っていただけに、
何をどう信じていいのかがわからなくなりかけていた。
家内を責める話ではなく、子供を信じないわけには行かない。
本当にそんなことがあるのか!!???という当惑。
夏休み前、「先生にいじめられるから学校に行きたくない」。とうとう、
登校拒否の言葉を発した息子を見たとき、「これはいけない!」。と、
校長に電話をし、話をする為のアポイントを取った。
新任の女性校長は、一見所帯じみた格好の、どこにでもいる風体。
逆にいえば、親しみ感があるといえよう。
ただ、結果的には何の頼りにもならなかった。
校長は、あくまで教師の味方であった。家内はそのことにも涙した。
要するに、家の子供の言葉に信憑性が無く、担任が言うとおり、
そんなことを言うはずがあるまいと・・・。
先生が子供の言うことを信じなくてどうなるのだろうか!という憤りもあったが
ぐっと抑え、冷静に努めた。家内、息子には多分不服であったろうが、
一方的にそのことで担任、校長を責めるのではなく、
双方がもう一歩歩み寄りましょうと私が提唱。
子供同士の喧嘩であるまいし、生徒と教師の、あろう事か確執の穴埋め提案を
私がしようとは、思いもよらぬ出来事だったのは確かだった。
夏休み、子供をしっかり慰め、
「先生はおまえのことをいじめるなんて事は絶対しないから大丈夫」
と、二学期を送り出した。
幸い、家内の性格に似て、又B型の血液型からだろうか、
あっけらかんと言うか、さっぱりというか、明るいというか・・。
いじいじと、そのことを引きずるという様子は無かった。
ただ、子供と風呂に入り話を聴くに、
授業中手を上げても一切当ててくれない、
集団で悪いことをしていても、1人だけ怒られる
話し掛けても、無視をされる。などなど・・
息子が被害者意識になっている部分も多少はあるとしても、
家族はそのたび悩み、これらが溜まりかね、
家内が二度目の相談を校長にするも
完全に暖簾に腕押し。夜尿症は頻度を増した。
ある人に相談した時、「教育委員会」という相談先を薦められた。
当初私もそう思ったが、当事者の私としてみると、それは非常に怖い。
その教師がトップダウンで忠告を受けたとしたら、
いじめがエスカレートし、あってはならない事態が・・と
私自身までが、そう思うようにまでなっていた。
そのころ、家内は家内なりに、その教師がいったいどういう教師なのか、
どういう評判なのかという事を聴いてまわっていた。
今年隣の町からやってきたその教師と、20年程前に
職場を同じくしていたという現在専業主婦の人を見つけることが出来た。
そして、その教師のその頃の評判を聞くに、愕然と言うか、やっぱりというか、
こんな評価であった。
まだ独身であったらしい頃のその教師は、
身なりはぞろぞろで、清潔感は一切無く、
職場のほかの職員との交友は一切無く、
なにより差別が激しいという指摘が良くあった。・・・というのであった。
身なりはいざ知らず、他は未だに変わっていないではないか!
そんなやつを放置していていいのか!!!!
飛行場へ連れて行ったり、
野球が大好きな為、野球チームに入れるなりして、
気分を変えさせる努力を絶やさず
誕生日、クリスマス、正月・・と日は流れた。
「学校は行きたいけど・・先生がなぁ」と言うせりふを吐く息子の
背中を押して登校させた母たる家内の気持ちを思うと、今でもせつない。
我々夫婦はただただ、今年度が早く終わって欲しいと祈った。
しかしその思いもむなしく、年度末のある日、携帯が鳴った。
家内からだった。
「Kちゃん、給食食べさせてもらえなかったんだって・・・」
更に翌日、「Kちゃん途中で帰ってきちゃった・・・・」
私はこれ以上は放置できなかった。とうとう教育委員会へ出かけた。
応対してくださった課長は、教師のことで悩み事があるというと、
私が申し出るか出ないかほぼ同時に、その担任の名前が出てきた。
要するに、問題職員という事でしょう!!!!
しかし、私の話を一語一句丁寧に聞いてくださり、
実の大学ノート5枚分に及ぶ聴取をしていただいた。
そして我々の心中について、充分察し頂いた。
私のお願いしたいことはただただ一つ。
「以後、この職員を私の息子の担任にしないで欲しい」
ということを懇願し、口頭ながら承諾いただいた。
当日、校長から慌てふためいたような電話がかかってきたらしい。
申し訳なく、私にお詫びしたいので時間が欲しい。と。
零細企業の年度末は、そんなことに時間が裂けられないとお断りしたら、
あっさり二度と、連絡も、手紙も、お詫びも無かった。
春休み、夜尿症がやや治りかけながら、息子は
朝に夕に「4年の担任の先生誰かなあ」と言いつづけていた。
そして、始業式。息子の担任は晴れて
我々の歳ぐらいの女性の教師となった。息子は大喜び。
そして、問題のその教師は、
繰り上がる人が多い中、違う学年へと外れた。
今息子は絶好調。ぴたりと夜尿症も治った。
ただ私には今悩みがある。
その教師をそのままで良いのだろうかということである。
同じ思いをする子供が又出てきてしまったらどうしよう。
同じ思いをする夫婦が又でてきてしまったらどうしよう。
先日教育委員会へ礼状を差し出すと、
その課長直々に携帯に電話を頂いた。
正直に私の思いは伝えた。
ただ、その教師も、校長も、いまも学校にいることは確かである。
拭い去られたわけでもない不安と不満は、
私の人生の中でも、息子の人生の中でも
とても深い傷となったのは確かだった。
今年の夏休みに入るときの、
必ず上がっている通知表が楽しみである。
唖然として、薄笑いまででてきてしまったが、
これ以上下がりきらないに近い息子の今年の通知表は、
ある意味一生の思い出として取っておくつもりである。
息子よ、頑張れ。
願うばかりです。
私の妹の子は、中学1年の時、担任に「不良」呼ばわりされそれを妹に言い、
教育委員会に言って行き、担任は謝り、終わったのだが、中学1,2,3年の通知表がテストで学年20人に入っていても、オール3、
これでも、うちの子からするとすごいが、テストの点の割りに内申が悪い、結局、担任は変わっても、変わらず、目標の学校を受けさせてもらえず、でもあきらめきれず、無理やり
受験、そして「合格」実力は実は合格して
当たり前の実力だが先生は、合格通知を見て、
「何かの間違いだろ」、と言ったそうだ、
こんな先生と言うか学校もある、
情けない話だ、
今年1年でも私の周りでも似たような事件が2件ありました。悲しいことです。結果的に子供の心に傷が残るのが一番かわいそうです。ここで書き込むのは話が長くなるので控えますが、ここ数年学校に関わってきて思う事は、何か変ですよ学校も保護者も。(勿論一部ですが)
経験というのは公平に判断できる力があります。真実を見極められるって事はホンマ大事な事です。ガンバッテください!ご苦労さんです。
ほんと最悪でした。先月の今ごろは、家内と二人で、「もう学校に行かなくていいよ」とまで言っていました。結果的には休むことなく行ってくれたのでありがたかったですが。
しかし妹さんのお子さんの件もひどいですネェ。何が「何かの間違い」ですか!そういう類のセリフを吐く人は、教師どころか、人の上に立たせては絶対にいけないですょ。
教師というのは、所得を得る手段としての職業ではないと、しっかり自覚して欲しいです。もっともほんの一部の教師に問題があるのでしょうけどね。
中学のP長になる決断をしたのは、遠からずこのことがきっかけでも有りました。でもP長っていわゆる一般と職員と接する機会ってすごく少ないんですよね。一寸びっくりしました。こういうことがきっかけでは良くないのですが、学校教育に父親がもっと興味を持つ必要があると感じています。
貴君が言うとおり、今多分冷静な判断ができる自分だと思います。少なくともPTA会長(この小学校ではないけどね)という立場で、学校教育というものをもう一寸真剣に見届けてみたいと思います。・・・まじめだ!
先生方は絶対、嫌がるけど委員会の開催権者は会長ですから、好きにやれるはずです。
もともと実行委員会は毎年のお決まりの先生が作ったシナリオ行事を淡々とこなすための会議に過ぎません。
PTA会費を使って執行する為、形式的に意見を求めて採決なり、同意を頂くだけです。
本来はもっと色々とその年度年度の特色やカラーを出して子どものためになることをやっても良いと思うのですがそれをやると嫌われますね。
私がP長の時は学校内で起きた諸問題を校長が全て報告されていましたし、耳にした話題で話が出なければなぜ父兄の代表者に話が出来ないんだと詰め寄ったこともあります。そうなると夜が遅くなっていきますので大概にしちゃうんだけどね。
あおやきさんのお子様の事例などは先生の悪癖を教育委員会も認めている訳だし、校長が謝罪をした訳だから事の顛末をもっとはっきりさせて再発を防ぐという場を設営してみてはいかがですか。個人攻撃とならないような配慮はP長として必要かもしれませんが…
まず、P長は娘の中学なので、この「事件」の舞台となった小学校ではないんですね。もっとも現在のこの小学校からの依頼であったら、この校長ですから、断じて引き受けていないと思います。
だから逆に、市P連か何かの時に、この学校のP長に話がある機会があったらしようかなどとも思っています。再発を防ぐことは、今でも真剣に必要であると感じています。5年生の担任だそうで、被害者になる可能性の子供さん、近所にいます。
まわりくどくそう言う働きかけよりも、本当は直球勝負で意見したいのは山々です。ただ、そうした時に何が起きるかをいろいろ想像した時が嫌になるんですね。しばし考えます。又意見合ったら下さい。