先日記載した通り本日伯父の葬儀。
母の実家であり、亡き祖父母の家であり、
何より11日亡くなった伯父が半世紀住職を務めた
このお寺で営まれます。
来て遊ぶ寺と書いて「来遊寺」
私がどう思おうがお寺に何ら関係ないが、
このお寺の名前は随分私お気に入りなのだ。
色々な寺の名前を耳にするけれど、
これほど明快で馴染み易い寺名は無い。
また、山号と呼ばれる
寺名の頭に来る呼称は「園林山」
ちなみに「園林」とは庭園の中の林とあり、
正式総称「園林山来遊寺」という事は、
庭園の中の林に建つ寺に来て遊ぶ。
って事になるのかどうかまでは知らないが^^;
何とも素晴らしい名だと思うのである。
と、まあそんな話は置いといて表題木曽川。
このお寺、木曽川から徒歩五分程度の
実にのどかな田舎にある。
先般伯父を見舞った際懐かしくて寄ってみた。
今ではワイルドネーチャープラザという、
大きな公園施設として活用されている様だが、
私が子供の時は川岸では珍しく砂浜が続き、
祖父江砂丘と呼ばれる川岸では当時
川泳ぎが盛んな地域でもあった。
今では当然の様に遊泳禁止になっているが、
実は当時でも流される事故はよく耳にし、
母や亡き伯父に見守られながら泳いだものだ。
アルバムにはそんな写真が残っている。
そんな泳げる時期である夏休みともなると
休みの半分と言っても過言ではない程の間
この母の実家であるお寺に泊まった。
修行僧ではないけれども朝な夕なに読経。
住職であった伯父の背中をいつも見ていた。
実は伯父の子(私の従姉妹)は娘が二人。
加えて伯父から見た甥は私一人していない。
要するに、私の母方の従姉妹は
十人もいるのに男は私以外一人もいないので、
私は特によく可愛がってもらった記憶だ。
又あの頃は地域に時を告げるため鐘を鳴らした。
ガキ真っ盛りの私はその鐘をつきたくて仕方なく、
むやみやたらに鳴らして怒られたのも思い出。
ただこの伯父の叱り方はすごく優しかった。
そして本堂は格好の遊び場。
雨が降っても外が暗くなっても、
平気でボール遊びやバドミントンが出来、
自分の友達につい自慢していた事も懐かしい。
又お寺と言うのは当時地域の子供たちの
学びの場であり、寺名通り遊びの場でもあった。
今で言う「子供会」の様なものか、
伯父が先生となり(そもそも昔は教師でもあった)
本堂で何やら子供たちに教えていた記憶だ。
その時はいつも、君たち一般の子供とは違って、
私はこの寺の人間なんだぞ!と優越感に似た
何と無く一寸誇らしい気持ちであった事を思い出す。
・・・いやな寺の孫である^^;
書いていたらきり無く次々思い出が蘇る。
子供の頃からブログが有ったとしたら、
今紐解いて読み返してみたい気持ちにさえなる。
これほどまでり思い出を作って下さった伯父に
心から感謝をして、本日は見送ってまいります。
長々と思い出話しに付き合っていただいて感謝。
母の実家であり、亡き祖父母の家であり、
何より11日亡くなった伯父が半世紀住職を務めた
このお寺で営まれます。
来て遊ぶ寺と書いて「来遊寺」
私がどう思おうがお寺に何ら関係ないが、
このお寺の名前は随分私お気に入りなのだ。
色々な寺の名前を耳にするけれど、
これほど明快で馴染み易い寺名は無い。
また、山号と呼ばれる
寺名の頭に来る呼称は「園林山」
ちなみに「園林」とは庭園の中の林とあり、
正式総称「園林山来遊寺」という事は、
庭園の中の林に建つ寺に来て遊ぶ。
って事になるのかどうかまでは知らないが^^;
何とも素晴らしい名だと思うのである。
と、まあそんな話は置いといて表題木曽川。
このお寺、木曽川から徒歩五分程度の
実にのどかな田舎にある。
先般伯父を見舞った際懐かしくて寄ってみた。
今ではワイルドネーチャープラザという、
大きな公園施設として活用されている様だが、
私が子供の時は川岸では珍しく砂浜が続き、
祖父江砂丘と呼ばれる川岸では当時
川泳ぎが盛んな地域でもあった。
今では当然の様に遊泳禁止になっているが、
実は当時でも流される事故はよく耳にし、
母や亡き伯父に見守られながら泳いだものだ。
アルバムにはそんな写真が残っている。
そんな泳げる時期である夏休みともなると
休みの半分と言っても過言ではない程の間
この母の実家であるお寺に泊まった。
修行僧ではないけれども朝な夕なに読経。
住職であった伯父の背中をいつも見ていた。
実は伯父の子(私の従姉妹)は娘が二人。
加えて伯父から見た甥は私一人していない。
要するに、私の母方の従姉妹は
十人もいるのに男は私以外一人もいないので、
私は特によく可愛がってもらった記憶だ。
又あの頃は地域に時を告げるため鐘を鳴らした。
ガキ真っ盛りの私はその鐘をつきたくて仕方なく、
むやみやたらに鳴らして怒られたのも思い出。
ただこの伯父の叱り方はすごく優しかった。
そして本堂は格好の遊び場。
雨が降っても外が暗くなっても、
平気でボール遊びやバドミントンが出来、
自分の友達につい自慢していた事も懐かしい。
又お寺と言うのは当時地域の子供たちの
学びの場であり、寺名通り遊びの場でもあった。
今で言う「子供会」の様なものか、
伯父が先生となり(そもそも昔は教師でもあった)
本堂で何やら子供たちに教えていた記憶だ。
その時はいつも、君たち一般の子供とは違って、
私はこの寺の人間なんだぞ!と優越感に似た
何と無く一寸誇らしい気持ちであった事を思い出す。
・・・いやな寺の孫である^^;
書いていたらきり無く次々思い出が蘇る。
子供の頃からブログが有ったとしたら、
今紐解いて読み返してみたい気持ちにさえなる。
これほどまでり思い出を作って下さった伯父に
心から感謝をして、本日は見送ってまいります。
長々と思い出話しに付き合っていただいて感謝。