中村 勝弘 様
先日はわざわざ東京の私の店まで来ていただいて、有難うございました。
あの日はとくに暑い日でしたね、
お昼過ぎに東京に着かれて翌朝にはお帰りになるということで、たまにしか来られない
東京をほとんど楽しんで頂くことができなかったのが心残りです。
中村さんとは言わば同業者ですから以前からお名前は知っていました。
でもお付き合いはほとんどなくて、なにかの会合とかコンテストなどの機会に立ち話をした程度でした。
東京で御一緒に食事をしてそのあと翌朝まで飲む機会が来るとは思っていもいませんでした。
中村さんとお会いしたいと思ったきっかけは、いまお進めになっている ”ドイツディスカス復活”のプロジェクト”です。
実はこのプロジェクトのことは去年の冬に東京で小野田さんからさわりを聞いていました。
そのときは ”ふーん” という程度の感想でした。
”どこかからディスカスを仕入れてそれを売る話だろう” くらいの感じですぐに忘れてしまいました。
円盤ニュースに初夏からドイツデイスカスについての色々な情報を載せられていましたね。
私はしばらくの間それに気づかず、7月も終わり近くになってまとめて読みました。
その時すぐに心に浮かんだのは「ドイツのディスカスに光を当てるのなら日本の改良品種にも光を当ててもいいのでは!」ということでした。
いまから考えると身勝手ですよね。
「自分でやれば!」と言われればそれまでですから。
でもとにかくそう思ったのです。
それとまぁこのプロジェクトは割と真面目なんだなぁとは思いましたが・・・(笑)
円盤ニュースに小野田さんが寄稿したもののなかに 「ドイツコバルトはシュルツさんが手を尽くして探しても
ドイツディスカス復活というテーマにふさわしい血統がハッキリしている個体が見つからなかった」との主旨の
一文がありました。
この点にも興味を持ちました。
私は以前からドイツコバルトは ドイツで必ずしも100%固定されたストレインでは
なかったのではないか-という印象を持っていましたから。
そして私はまさにドイツの血統を持つ”青系”の改良品種を作り続けています。
だから気にかかったのです。
これについてはいろいろと議論があると思いますが、ドイツコバルトはこのプロジェクトで言うところのドイツ三大ストレインのなかでレッドエディーやロートターキスと微妙に立ち位置が違うと思ったのです。
そのころ輸入されたドイツコバルトの血統を維持しているブリーダーが日本に複数存在していましたし、いまで
も存在しています。
私もその一人であると思っています。
ハイフィンモルフォとして今でもドイツの系統の青を維持しています。
そのようなことを中村さんと直接お会いしてお話しをてみたいと思ってメッセージをお送りしました。
あの日はお酒が入る前はあまり話がかみ合いませんでしたね。
でも食事をして二次会、三次会とすすむにつれてデイスカスにまつわるいろいろな話をしましたね。
それはドイツのディスカスがどうだとかこうだというよりは若かりし日のディスカス体験が主でした。
中村さんは豊橋、私は東京と当時はお互いに名前すら知りませんでしたが、ある時代を共有していたと実感しました。
80年代終わりから90年代初頭のドイツのディスカスがリードしていた時代を共通体験として語り合えるというこ
とが楽しかったです。
最後にシュルツ氏 ティエッツ氏に「系統維持」「血統の維持」という地味で、根気が必要で難しい仕事を何年
も続けてこられたことに敬意を表したいと思います。
私自身もモルフォという系統維持が前提の規定演技を何年も続けてきたのでシュルツさんやティエッツさんの
難しさも苦しさも(もちろん喜びも)わかるような気がするのです。
私はそれから自由になりたいという気持ちもあってブルーベリーという
自由演技にも力を入れましたが…
近いうちに一度豊橋に伺いたいと思います。
そのときは東京同様、豊橋の居酒屋でゆっくりと飲みましょう。
秋めいたころに…
芦田昌浩
先日はわざわざ東京の私の店まで来ていただいて、有難うございました。
あの日はとくに暑い日でしたね、
お昼過ぎに東京に着かれて翌朝にはお帰りになるということで、たまにしか来られない
東京をほとんど楽しんで頂くことができなかったのが心残りです。
中村さんとは言わば同業者ですから以前からお名前は知っていました。
でもお付き合いはほとんどなくて、なにかの会合とかコンテストなどの機会に立ち話をした程度でした。
東京で御一緒に食事をしてそのあと翌朝まで飲む機会が来るとは思っていもいませんでした。
中村さんとお会いしたいと思ったきっかけは、いまお進めになっている ”ドイツディスカス復活”のプロジェクト”です。
実はこのプロジェクトのことは去年の冬に東京で小野田さんからさわりを聞いていました。
そのときは ”ふーん” という程度の感想でした。
”どこかからディスカスを仕入れてそれを売る話だろう” くらいの感じですぐに忘れてしまいました。
円盤ニュースに初夏からドイツデイスカスについての色々な情報を載せられていましたね。
私はしばらくの間それに気づかず、7月も終わり近くになってまとめて読みました。
その時すぐに心に浮かんだのは「ドイツのディスカスに光を当てるのなら日本の改良品種にも光を当ててもいいのでは!」ということでした。
いまから考えると身勝手ですよね。
「自分でやれば!」と言われればそれまでですから。
でもとにかくそう思ったのです。
それとまぁこのプロジェクトは割と真面目なんだなぁとは思いましたが・・・(笑)
円盤ニュースに小野田さんが寄稿したもののなかに 「ドイツコバルトはシュルツさんが手を尽くして探しても
ドイツディスカス復活というテーマにふさわしい血統がハッキリしている個体が見つからなかった」との主旨の
一文がありました。
この点にも興味を持ちました。
私は以前からドイツコバルトは ドイツで必ずしも100%固定されたストレインでは
なかったのではないか-という印象を持っていましたから。
そして私はまさにドイツの血統を持つ”青系”の改良品種を作り続けています。
だから気にかかったのです。
これについてはいろいろと議論があると思いますが、ドイツコバルトはこのプロジェクトで言うところのドイツ三大ストレインのなかでレッドエディーやロートターキスと微妙に立ち位置が違うと思ったのです。
そのころ輸入されたドイツコバルトの血統を維持しているブリーダーが日本に複数存在していましたし、いまで
も存在しています。
私もその一人であると思っています。
ハイフィンモルフォとして今でもドイツの系統の青を維持しています。
そのようなことを中村さんと直接お会いしてお話しをてみたいと思ってメッセージをお送りしました。
あの日はお酒が入る前はあまり話がかみ合いませんでしたね。
でも食事をして二次会、三次会とすすむにつれてデイスカスにまつわるいろいろな話をしましたね。
それはドイツのディスカスがどうだとかこうだというよりは若かりし日のディスカス体験が主でした。
中村さんは豊橋、私は東京と当時はお互いに名前すら知りませんでしたが、ある時代を共有していたと実感しました。
80年代終わりから90年代初頭のドイツのディスカスがリードしていた時代を共通体験として語り合えるというこ
とが楽しかったです。
最後にシュルツ氏 ティエッツ氏に「系統維持」「血統の維持」という地味で、根気が必要で難しい仕事を何年
も続けてこられたことに敬意を表したいと思います。
私自身もモルフォという系統維持が前提の規定演技を何年も続けてきたのでシュルツさんやティエッツさんの
難しさも苦しさも(もちろん喜びも)わかるような気がするのです。
私はそれから自由になりたいという気持ちもあってブルーベリーという
自由演技にも力を入れましたが…
近いうちに一度豊橋に伺いたいと思います。
そのときは東京同様、豊橋の居酒屋でゆっくりと飲みましょう。
秋めいたころに…
芦田昌浩