ミラレパ 茶房

★ミラレパとは、チベットの偉大なるヨガ行者の事である。
Milarepa a great saint of Tibet

VOL. 329 曇り空

2013-09-11 | Weblog
 とんでも久しぶりにブログを更新。

 環境が変わったり、スマートフォンなどを持ち始めたせいか?

 あまりじっくりとPCに向き合う機会が減った。

 そして2ヶ月近く、更新していない。

 
 
 その間、特別変わったこともないし、夏もいつものように過ごしていた。

 本も読んだ。

 
 
 気づくともう秋の虫が鳴き、冷え込んでいる。

 
 なぜか、興味ないとこ、嫌なことに対しては強く反対するようになった。


 オリンピックとか増税とか、なぜか一緒に。

 
 これといって興味がわかないことが多い中、

 電車移動が多いため、どうしたって世間の出来事には敏感だ。

 これも、環境が大きく変わったゆえのこと。


 
 今日は私の生誕祭でもあって、ひどくお腹が痛いのでお休み。

 ブログに向き合ったはいいが、これといったネタがない・・・。


 まあまあ元気でいることだけが分かる程度。


 おわり。
 

VOL. 328 最近の様子。

2013-07-16 | Weblog
 
実家のばあちゃんが亡くなってから1ヶ月も過ぎ、また納骨で帰郷した。

 山形の天気は、梅雨なのに快晴が続いてくれたおかげで無事に儀式も終えられた。


 葬儀は大変な儀式で、悲しんでなんていられない模様だった。

 それがいいか悪いかはよく分からないけど、昔からそうだったように

 周りの人々が助けてくれたり、協力してくれる。

 

 こうして山形から遠く離れて、個人の多く住まう都心では、

 いろんなスタイルがあって、おのおのがわりと自由に事を行う。

 そう、自由になりたくて、ほっとかれたくて、そんな思いの強い自分だった。

 
 この現状で、攻め立てられると辛すぎてどうにかなりそうだけど、

 できるだけ自然に触れていたかったので、やはり庭弄り。

    
  自生しているいちごとどくだみ草

 葬式のころからは庭もまた別の花々が咲き始め、その変化がとても感動する。

 もう少し時間があれば、いろいろいじれるけど・・・そうもいかない。

 
 昔と変わって、今は自由な時間が少なくなった。

 自由な時間っていうのは、なにもしてないこと。

 
 それはあれ、世間的には許されないことらしいから、今は保留。

 その準備だけでもしておきたいと、たくらんでるけど、どうなるかな。


 いっぱいいっぱい、忙しくしてしまったせいで、病気になるわ、時間もないわ。

 それほど熱中してたってことなんでしょうけど。。

 加減ってものもあって、過ぎることによって壊れるもの。

 

 今は、ちょっとづつ、以前のころの魂があった状態に近づけていこうと思ってる。
 
 体力には自身がなくて、山は無理だけど、キャンプで野外生活からはじめる。

 なにか、自然的なことに慣れながら、本来の自分に戻していきたい。

 ←せみの抜け殻@キャンプ場
 
 世間って、自分とは関係ないところで進化しまくってるから、

 自分ペースで行くことの大切さを、このたびは知るわけで・・・。


 まだね、完治せぬ病なんだが、徐々にとか焦らず付き合っていかなくてはならないらしいから。。


 熱は高いし、頭痛もよくある。。その他もろもろも。。

 よくわからいまま1日があっという間。。

 

 猛暑が続く中、今日はすごく涼しい夜。。

 よく食べて、よく寝るぞ。。

 おわり。

VOL. 327 信州で田植えとその後の訃報。

2013-06-16 | Weblog
 私が患ってしまったうつ病とは脳の病気である。

 非常に厄介だし、完治不明らしい。

 一時良くなったと思い込んでも、また何かの衝撃によって再発してしまう。

 それは、100人いれば100通りの症状があるという。

 この病を経験した人であれば、きっと辛さについては分かるだろう。

 もはや、気分を上げてなんぼの世界でないことも。。


 今は薬で治療中なので、それしかないというからそうしよう。

 いつ何時おかしくなるか分からないから、不安である。

 
 そんな中、信州にいる旅友がある村の協力隊としてがんばっている様子を知り、

 田植え行事に参加させてもらうことにした。

 土にまみれ、アルプスの自然を前にしての田植えは、とにかく夢中になった。

 知らない人たちと一緒に苗を植え、お昼には産地の食材を使った品々に囲まれた。

 みんなで腰をまげてひたすら植えた。それはとてもいい疲労だった。

 友人とは旅でも共に苦楽を味わった仲だったので、こうしてステキな信州の地で

 再会できるのも至福の時間だった。

 日々の東京では決して味わえない時間を、とても感謝している。

   
 
   
  信州 小川村の棚田、田植えと昼食。そして北アルプス。


 そんなリフレッシュをしてから1週間目に、訃報が入った。

 実家のおばあちゃんが亡くなったのである。

 数週間前に入院してから、意識もあまり戻らずにそのまま永眠してしまった。

 私は5月に帰って会った時は、多少の老いを感じながらも、まだ普通だった。

 急変した知らせを聞いてから、ある程度の覚悟はしていたけど。

 それはちょうど私が救急車で運ばれたりした騒動の後と聞いた。

 なにか、ただ事でないものを感じるし、ばあちゃんの存在が近くにあったのかもしれない。

 でも、私も良く分からない症状に悩まされていろいろ深く考えるのも良くないと思い、

 因果関係に結び付けてはいけないと思った。

 おばあちゃんの亡骸をみても、辛くはなかった。

 これで、安心して天国に行けるんだね。という送る側になっていたから。

 生前の日々が、やはり時より辛そうだったこともあって
 
 気力もだいぶ奪われていたように思う。特に膝を悪くしてからは。

 ただただ、おばあちゃんには感謝している。

 生前に言ってあげられなかったのを悔やみながら、ありがとうと。

 家族が減ってしまうのは寂しいけど、人間はいずれ死ぬ。

 それが遅かれ早かれ、必ずやってくる。

 悔いのない人生を。。

   
 実家の庭には宿根草の花たちが自生している。 右)うどの新芽、天ぷらで食べた。


 偉大なる祖母へ

 ある部分が自分と似ていたせいか、ぶつかってしまうことがよくあった。

 けれど、そんな部分もいまでは私が受け継いでいる。

 いい方に生かせらせるようにしたいと思う。

 幼い頃から一緒に居る時間が多かったのに、離れてしまったけど、
 
 いろいろ覚えている記憶を大事にしたい。

 田植えだって、その昔ちょっとだけ手伝ったことがある。

 野良仕事に熱中する祖母の姿は、とにかく一生懸命だった。

 
 わたしは、自身に起こっている事柄を忠実に受け止めるしかない。

 さまよう精神に、これからどうしたいのかを決断させなければいけないのだと。

 周りにどう思われても、悔いのない生き方ができるか分からないけど、

 生き延びるために。。


 おわり。

VOL. 326 うつ病のはじまり

2013-05-12 | Weblog
 しばらくぶりのブログは、もう経過記録みたいなものだ。

 前回のブログからの間、2件目の内科検診も異常なし。

 
 午後になると急激に発熱もあったりして、いようよ仕事も集中できず。

 なんとか土日まで持ちこたえ、様態はだんだん精神的な病みとなっていて、

 涙が出始めた。夜中には、枕元で不安と苦しさで死にたいとも言いながら・・・


 これは、いよいよやばいと。翌日、土曜に近所の精神内科を片っ端から電話しても

 初診は土曜日やっていません。なんて言われ・・・もう、苦しながら必死に電話して
 
 やっと診療OKのクリニックが見つかった。

 もう、よく分からないし初めてだから抵抗あったけど、早く良くなりたいと焦っていたので。。

 
 精神科は対面で問診し、歳のいったじいさん先生が、軽い感じでいろいろと自身について聞いてきた。
 
 私は、内科受診の結果も持っていたので、内科で異常ないことは伝えた。
 
 だけど、なぜこんなにだるくて熱が出ているのかと・・・ここまでは私も必死だったので

 べらべらと話していた。途中、感極まったのか、無意識に涙がぼろぼろとこぼれだしたので

 先生は、それを見てようやく診断結果を出された。

 「うつ病」症状だね。と、ごく一般的な普通の鬱ということで、簡単に言われた。

 私の状態をずっと伺いながら問診していたであろう、ついに症状を引き出したとこには

 さすが、プロ、医師だなと思った。

 まずは、薬でコントロールすることになったので、それもいろいろ話にはきいていたので
 
 なんとなく知っていたけど、自分が処方されるとは思ってなかった。


 薬は、はじめ頃は身体が慣れずにだいぶ眠気にやられて大変だったけど、徐々になれてきた。

 1日3粒と処方されているけど、必要ないときは飲まなかった。

 そうして仕事も始めの1週間は少しペースダウンして外出営業を控えてたけど、

 それから体調もだんだん良くなったかなと思って、GWの連休も仙台で友人と騒いで発散したり、

 実家で短い間だけど、それなりにゆっくりしてきたつもりで、、、。


 また仕事を通常に挽回しようと無理してしまったらしく、

 大手町から会社に戻る途中、電車で急に激しいめまいで具合悪くなり、四谷駅で途中下車。

 ベンチで座っても、余計辛くなったので、ひとまず駅事務室にお世話になった。

 少し横になって気分良くなったら出ようと思ったけど、息苦しいし、顔がしびれ、悪化している。

 怖くなったので、駅員さんに救急車をお願いした。


 初めての救急車搬送だったので、それも不安だったが、もう無理だと思っていた。

 だんだん意識も朦朧とし、息苦しい、手足もしびれ、救急車内では軽い痙攣も起きて・・・

 「わたし、死ぬのか!?」と怖くなって、とにかく救急隊員さんに話しかけて必死で意識を保った。


 酸素血中度で酸素が体内に入りすぎてるから、呼吸も苦しく、軽く脱水症状もあった。

 飯田橋の病院に運ばれてからは、急患なのですぐさま問診だった。

 今回のような症状は初めてだけど、通院していることや内科受診は異常が無かったことも伝えたが

 また、採血で検査された。何もないというのは分かってるから無駄な気がしていたが。

 そのまま落ち着くまで寝かされてたが、発熱と嘔吐感もあったので、採血結果出るまでは不安だった。

 呼吸の乱れが収まった頃、先生が採血結果と症状を伝えにきた。

 やはり、異常なし。過渡期に起こりやすい症状だと思います。と。

 救急車の隊員さんも、こんな状況を何度も扱っているので、すごく慣れたアドバイスだった。

 2時間ほど、急患室でゆっくり休んでから同居人に向かえを頼んで帰った。 


 その日、常備薬を忘れてきてたので、飲んでいたらこんなに辛くならなかったのかな・・・

 と、それにしても、まだまだ私は治療中の身であることは確かのようだ。

 
 週末、再度クリニックだったので、先生にはこのことを話した。

 うつ病は、そういうことが起きるけど、病院いっても何でもないだからね~。。と、

 笑って言われた。。。特に、そのまま薬で治療しかないのだ。

 

 ほんとに、死ぬと思ったし、怖かった。。。

 救急車で痙攣起こしている時、心の中で念仏を唱えていたし・・・w本気で。

 意識だけはあるぞ!というアピールはしていた。自分は誰で、住所もしっかり。

 自分なりに、踏ん張ったのは、この「死にたくない」という意識だけだった。


 そう、私は、仕事を嫌いなわけでもなく、むしろ頑張りすぎていたんだ。

 歯止めをできずに、身体の信号が赤になってたのに無視したせい。


 
 今の願いは、ただ、普通の体調に戻りたい。それだけ。

 そして、これからやりたいことをやれる身体になりたい。

 内臓は丈夫なのに、こわれたんだな、精神が。どうしてだろ?

 考えるといけないらしいので、ストップ。

 
 食欲もあるし、不眠じゃないし、楽しいことは好きだ。

 すべての原因は、もう忘れてしまったよ。

 

 今日は晴れていて気持ちいい日だ。昨日の雨は最悪だったけど。

 小鳥のさえずりも、青々と茂る草木も、軒先の花々も・・・。

 晴れているだけで、とてもいい日なんだ。

 
 おわり。

 

VOL. 325 かもしれない?過程の日々。。

2013-04-21 | Weblog
 ここ最近の、自身の体調変化はきつく、よくわからないものです。

 冬から、休日になるたび腕がしびれて痛む。冷えによるものと思う。

 先月からは肩こりもひどく、接骨にたまに通う。その場だけほぐれる。
 

 先週は、全体のだるさが異常。目がたら~んとさがる。正気が薄い。

 このだるさで、極度の貧血と思う。また鉄不足か?


 あまりに身体が重いので、出勤前に近くの内科の診療所へ行く。

 採血してすぐ、貧血ではなさそうと診断され、糖尿の疑いと、すぐ尿検査。

 結果、糖尿も心配なかった。


 これだけで一安心したけど、なぜ普通じゃない状態なのか_?

 ほっとしても、また採血結果が残っているので来週またそれが分かる。

 会社では、肝臓じゃないか?とかハシモト病じゃない?とか、更年期障害じゃないか?

 といわれ、とても不安になった。

 気分も沈みがちなので、とにかく意識もだんだん薄くて記憶力が乏しい。

 自身の心配では、「うつ病」かしら?


 そう思って、ネットで軽くうつ病チェックをしてみたら、90%の結果。

 どうなんだろう。もうひとつのストレス度チェックも90%、

 更年期障害度の方は70%・・・いずれも自己チェックなので。。

 月曜の採血結果で肝臓だとか他のもわかるらしいので、それからかな。


 もし、うつ病だと分かったら、どうするんだろう。。

 いままでも、うつっぽい時はあったけど・・・

 そう、このだるさは気では持ちこたえられないほどなんだ。。

 精神的なものか、疲労か・・・怖い。


 原因が分かれば、すっきりしそうだが、いままでほとんど病院に通うこともなく

 生きてきたので、分からない。

 ただ、気力でもうもならなくなっているようなので。

 あ~、ただ、春のせいかしら!?

 おわり。

VOL. 324 う?

2013-04-14 | Weblog
 
このところ、結構いそいそと忙しい模様。

 1週間がひどく早い。

 余裕なくなるね、自分と身の回りのこと。

 
 週休2日だけど、足りないな、この休日。

 いっそ、しばらく・・・なんて考えてしまう。

 そんなことを思い始めたら、気持ちが沈んできやがった。

 すかっとしない体調に加えて、余裕がない。んー?


 そして、春特有の鬱めいた影が忍び寄ってくる。。。

 気分の重さはどこからくるのだろう~


 気づいたらひどく やる気ない。

 落ちてみたり、横になってみたり。

 休日の半分以上をこんなことの繰り返しでつぶしてしまった罪悪感。

 翌日はまた、気分が重い。。

 知らない人とガダムという壺をたたく音楽の教室に荻窪まで出向いた。

 半年ブランクの後で、まったくみんなのペースについていけなかったな。やや落ち。

         

 その後、旧知の友人に逢う予定で国分寺に待ち合わせ。

 「カフェ スロー」という以前から行きたかったカフェへ。

 広い空間、雑貨、オーガニック食、ギャラリーもある落ち着いたカフェ。

 
 
 窓際の席からの眺め。開放的な外の景色に草花がちょうどいい色を出している。


 変な時間だったけど、二人ともお腹空いていたのでカリーを食べる。

    

 すごくやさしい味。ほっくりするし、うれしい。

 こうして、まだ陽の明るいうちから ゆったりと食事をして

 ハーブティを飲みながら、友人といろんな会話をして過ごしていると

 あっという間に時間も流れ、外も暗くなっていた。


 カフェ スロ~は、本当にスロ~な空間だったな。

 最近、カフェといえど、人が多かったりするだけで、なんかくつろげない所もあるんで。

 たまたま、あまり人の居ない時間だっただけなのかもしれないけど、

 いい時間を過ごせたのは、そうしたゆるやかな空間があったからだろうな。


 日曜は少し充実できたかも。

 気の落ち込みも、一瞬ではあるけど和らいで、このまま持続してくれたらいいな~

 そう思って帰宅したけど、自信なくなる。。。

 春なのに・・・って、昨年も同様のことを言っていた気がする。

 まあ、いいか。 

 そんなんだから、1週間が早いとか、あっという間に流されてしまうのだな。。


 来るときは来る。
 
 何が? 何かが。


 おわり。

VOL. 323 夜桜と肩こり

2013-03-30 | Weblog
 
なにやら桜も、4月を目前にだんだん散りはじめを見る。

 まだ肌寒い時が残り、なかなか外でのんびりピクニックともいかず・・・。

 散策しながらがちょうどいいと思いました。

   

 休日は、日ごろの疲れを存分に癒そうとだらだらを決め、ようやく外出できたのは日暮れだった。

 まあ、いい天気の国立駅から大学通りは、今まさに桜の見ごろを迎えて多くの人で賑わっている。

 それを避けてというかは、夕食作って食べてから出かけてしまったのでもう真っ暗に・・・。

 
 ライトが付いている通りでは、夜桜なんかを楽しめる。

 桜の白くほんのりピンク色がとても妖艶であります。

 

 
 気分的に、休日は人ごみの中へ行きたくなくて。

 平日嫌というほど人の中にいると、たまに疲れてしまうんだな。

 今は腕の痺れと肩こりで悩まされ、マッサージに通っているけど、あまり効き目も感じなくなった。

 これは、神経の方がやられているのかしらと。どうしようか、病院かな・・・。

 と、春からいろいろな障害に悩まされつつ・・・。


 ぼちぼちベランダの土や草花を手入れして、夏に向けての野菜も植えようと思う。

 まだまだ、落ち着かない現場なんだな。。
 
 おわり。


 
 
 

VOL. 322 春眠

2013-03-24 | Weblog
 
この気温というか、大気の流れにうまく付いてゆけず。。

 年々、違う変化の大きい季節巡りのような気がします。

 よって、体調もイマイチなのはそうした変化にうまく付いて行けなくなったからだろうと思っている。

 

 それにしても、眠い・・・

 
 電車なんかに乗ったら、だら~っとした表情で睡魔と戦っている。

 眠さはきっと春のせいだろうと。暖かな春は眠くなるものだと。。

 しかし、狂ったような眠さは、辛くも感じる。

 調べてみたら、暖かくなると血流が活発になって、脳まで血が巡りにくいから。という。

 なるほど、分かるような気がする。

 眠いし、持病の貧血によく似た症状だし、だるい、くらくら・・・

 とりあえず鉄分を摂取。。休日は爆睡してやろう。


 今、桜が見ごろを迎えているので、ふらふら至るところの桜の木を回ってみた。

 国立に越してからは、散歩も買い物も近辺でよくって、自転車に乗って隣駅くらいは

 いい散策コースだった。

   

 まだまだ、部屋周りが落ち着いてないから気が休まらないんだけど、

 のんびり行こうと思わせるから、越してよかったと思う。

 環境の変化もだいぶ慣れてきて、さらなる変化を期待して、うろつきたい。

 
 うろつく、といえばここ最近家の前でよく会うネコがいる。

 すごくのんびり歩いてて、手招きすると寄ってくる。

 頭や首を撫でてやれる。それですぐ去ってしまうけど。

 すごく愛らしい存在だな。。

 ネコ好きだから、いつかまた飼ってみたいけど・・・

     

 右)国分寺の発掘現場。2Mくらい掘ったら、至るところから遺跡が出てくるんだろうな。。



 春はね~、ぼーっとしてみてもいいじゃないか?

 それから旅、どこか遠くね。

 そこでもぼーっとして、美味しいものでもつまんで。。

 
 どこに行こうか、いつ行こうか・・・

 
 おわり。

 
 


 

 

 

VOL. 321 春か。

2013-03-09 | Weblog
 
ようやく春らしくなってきた。

 といっても、3月は油断できなくて、まだ冬衣装は手放せない。

 この前の北海道の災害を見たら、不思議なほど今日の東京は暖かすぎた。

 それでも、部屋の中はひんやりしてて、外に出て暖かいと分かった。

 

 チャリで大学通りをまっすぐ抜け、痛快に走る。

 なんだか、ほんとうにあの寒い空気から開放された気持ちになった。

 待ちわびる春なのに、そうでない場合もある。

 花粉症やPM2.5という大気汚染、更には黄砂まで風に乗って襲ってくる。

 春は、やはり外に出たい。


 チャリで国立郷土資料館に向かった。

 

 展示は縄文~歴史~昔の道具など、国立の歴史にも触れられて勉強になる。

 通路に展示されてたあるものに目がいった。

 

 これは、カラスの巣らしい。

 ところどころにある針金ハンガー、以前住んでた部屋のバルコニーで持っていかれたことがあって

 そのハンガーもこのように巣にされたんだと、思い出した。

 しかし、カラスも針金だとしってたのか? ふつうに「使えるかも」と思ったのかどうか。。

 かしこいものだ。だけど、なんか変な巣。。

 
 夕方が近づくと、やはり冷え込みだしてきた。
 
 気温の差が大きいと天気予報で言ってたので、ほんとに油断できない。

 週末、体調もすぐれないのでこのところ無理せずに過ごしている。

 無理する必要など、ないのだ。

 春になると、気分も少しおかしくなってくる。

 春は、喪失させられる。。


 終わり。

VOL. 320 新・参る。

2013-02-18 | Weblog
 
ここ国立に転居して、まだまだ部屋の中は片付かないけど、

 この寒さが余計にはかどらない。。

 まずまず、必要なものなどそろえたり・・・大変だよ、引越後も。


 なんとなく、あたりをうろついて周りの事を知るのも肝心だけど、

 移ってきたら行っておきたい近くの神社。

 ここより自転車で15分ほど南下した谷保駅近くにある「谷保天満宮」へ参拝。

 900年代よりつづく、天満宮では東京で一番古いらしい。

 菅原道真公・・・というから、学問の祈願が有名らしい。

 そして、日・祝のみ開放される宝物殿。そこには、重要文化財の狛犬と木板がある。

   

 この狛犬は寄木彫りらしいが、神主さん曰く、狛犬マニアにはすごく有名らしい。

 それから、私の好きな神牛が鎮座していたりと、なにかとピースな神社です。

     

 なぜか、鶏がうようよいたり、よく分からない。

    

 梅の花も咲き始め頃と思われます。。

 3時からヘアカットで予約しているので、そんなにゆっくりできず、

 近くのスリランカ食堂?でスリランカランチを食べて帰る。
 
 サバカレーとチャパティ・・・ん~まあまあうまい。
 
 
 
 チャパティはひどく久しぶりなので、なんだかほっこりした。。

 暖かくなったら、チャイとチャパティを作って新居でのんびりしたいよ。。

 まだまだ寒くてかないません。。肩やら腕やらが凝りひどく、接骨通ってます。。

 
 今年初の(明治天皇の御言葉以外で)おみくじは、「大吉」でありました。

 いいこと書いてます。油断するなとも。。

 おわり。

VOL. 319 移って。

2013-02-04 | Weblog
 2013年1月末日をもって、12年過ごした渋谷区の部屋を完全退去した。

 すごく思い入れもあって、何もなくなってしまった部屋を眺めながら一杯。

 

 この部屋にはほんとうに沢山の物で溢れてて、よくもまあ、こんな狭い部屋に収まっていたこと。。
 
 我ながら関心する。

   
  笹塚の部屋とキッチン(右


 そして、引越して新居での生活が始まった。

 引越後の荷物ほどきやら必要品を揃えたりと、これもまた大変で・・・。

 ああしたい、こうしたいとはやる気持ちも空回ったり。

 とにかく、引っ越してからも忙しい。

 引越先は前の所から電車で1時間弱も離れたところ、国立市。

 初めての所で、これから馴染みたいお店がたくさん。

 ひとまず、家のことが落ち着いてから、じっくり探索しよう。


 少しでも心地いい生活が送れたらいいなと思う。

 以前の生活から、結構変化が大きいけれど、慣れるしかない。

 
 渋谷区笹塚との違いはこうなった。↓


 ●最寄駅からの距離・・・笹塚 徒歩7分 ⇒ 国立 徒歩15分

 ●通勤時間・・・笹塚から 徒歩7分 ⇒ 国立から1時間弱

 ●部屋の広さ・・・笹塚 < 国立 広い

 ●家賃・・・笹塚 < 国立 低くなる

 ●ゴミ・・・笹塚=楽 国立=分別大変
 
 ○快適さ・・・笹塚 < 国立

 と、いった具合。 

 アクセス便利の笹塚と比べると多少移動が大変だけど、今のところ大丈夫。

 住みたい所に住んだわけだから・・・。


 いろいろ不憫なこともあるだろうけど、やっと変化した生活を送っているので

 なんとか住み心地よくしていきたいのであります。。

 おわり。



 

VOL. 318 移る。

2013-01-26 | Weblog
 東京へ出てきて14年になる。その前は仙台に4年いて・・・

 現在の渋谷区にある部屋へ越してからが長かった。

 12年------、同じ部屋から動いてなかった。

 とりわけいい物件でもないけど、アクセスの良さがいいこともあって

 便利と思っていた。

 住むにつれてだんだん物も増えてゆくし、もともと狭い部屋が

 強烈に狭くなってゆき・・・人を入れるのも申し訳ないほどだった。

 そのうち、広いところに引越したいと思いながら、引越資金もよそに

 長旅へ出ては帰りを繰り返したこともあり、その思いもだらだらと。。

 良かったことは、下にいる大家さん。

 長く住んでるから、毎月の家賃を直に払いにいってたので顔も合わせている。

 部屋のことで困ったことがあれば、すぐに言いに向かえるし、対応も楽だった。

 大家のおばさんとも、何度か立ち話しなどもしていて、いい関係だった。

 そして、いざこの部屋を出ると決意した時は、急にナーバスになってしまい・・・

 長すぎた過去を思い出すには、本当に長すぎて・・・

 引越の作業に追われながら、捨てるものが多いことに熱が入り・・

 名残惜しむ時間もない・・・すっかり物がなくなった部屋は妙にいい空間が出来上がり、

 こんな感じでも暮らせそうで、いかに物が多いかと悩まされた。

 私が近年に集めだしたのは本や古雑誌類。箱詰めして圧倒的に多かった。

 それまでは音楽系のものが多かったけど、処分を重ねてだいぶ減ったが、

 オーディオ類は高かったこともあって捨てられずそのまま移動。

 捨てるにあたり、何日もためらっていたが、追い込まれると簡単に捨てに入ってしまう。

 断舎利という流行の片付け方もあったが、捨てる=ごみは費用もかさむ。

 その他多いものは小物類。用途不明みたいなものまである。

 そして服。捨てられない代わりに増えてもないはずなんだけど・・・

 冬物が多いことに気づく。かさむの原因は冬物素材。

 引越なんて厄介なだけだと、つくづく思う。。

 定住して長かったゆえに、こんなに余計な疲労が溜まり、寝不足の日々。

 自分と向き合っては、葛藤する作業だ。とくに長く住んだ者としては。


 それと、お別れをしてから記憶に残しておきたいのは家電の二層式洗濯機と冷蔵庫。

 特に洗濯機は仙台時代からなので使用歴約20年のご長寿。まだまだ稼動できる。

 コンパクトなサイズで、いかにも女性の単身用って感じで愛らしかった。

 冷蔵庫は、ここに引っ越す際に知人にいただいたお古だった。それから12年。
 
 色が気に入ってたけど、冷凍が劣化激しくなり、霜が増えて大変だった。

 それらとお別れの前日は、綺麗に拭いてぴかぴかにしてやった。

 なんだか悲しげな気持ちになった。連れ添ってきた大物家電は唯一この2つだったから。

 
 12年の年月から見慣れた部屋と窓辺の景色は、もう終わり。

 誰にもわからないこの気持ちは、一人で消化してゆくしかない。

 会社から徒歩圏の気楽な距離。時間はあるようでもうない。

 きっと環境が変われば、生活も変わってくるんだろうな。

 夜遅くまで飲んで遊んでも、気軽に帰れるこの部屋がもうなくなる。

 
 朝の日差し具合も、変わってしまうだろうこれから。

 もっとゆっくりしたかったけど、刻一刻と時間が過ぎてしまう日常。

 
 こんなにも、引越が辛く悲しいと思ったことはなかった。

 ちっとも楽しくないし、途中でやめたくなることもよくあった。

 変化する環境にここしばらく合わなかったから、ひどく神経質になっていた。


 早く、平穏な暮らしに戻りたい・・・。

 この年始からは、こうして急に忙しく始まり、寒さもあって本当に厳しい時だった。

 物への愛情は、人と同じくして無くしてしまうといずれ忘れる。

 古いものを捨て、新しいものを取り入れることは自然な行い。

 物があふれている現代に、どれだけのゴミが出て処理されているのだろう。


 改めて、所有物の意味を考え直したくなるが、それはきっと人それぞれ。

 一緒に移る物もあれば、捨て去る物もある。

 昨今は、じっくりこの12年いた部屋の物達と対話したような気がする。

 少しお酒も入っているから、余計そんなセンチメンタルになるのだろう。

 
 ただ、引越は大変だということ。

 私には向かない作業だ。

 とりあえず、まだ少し残った荷物に囲まれて四苦八苦するだろう・・・。

 おわり。

 

VOL. 317 忘れない。 ―ニュースによせて。―

2013-01-09 | Weblog
自殺前日「しっかりせえ」平手打ち数発、副顧問ら黙認 桜宮高2自殺(産経新聞) - goo ニュース

ちょうど今、このニュースがラジオから耳に入って思った。

学校のいじめ問題も深刻だが、こういった教師による体罰は最も許しがたい事だ。

大の大人が、体罰という暴力で指導しているのは大問題。

今の世も、こんな自殺まで追い込まれるほどまだ体罰があったことは遺憾だ。


ずっと昔に、私にも同じ体験があるから強く非難したい。


それは小~中学の頃だった、同じく部活顧問の教師だった。

ビンタなどの体罰は茶飯事で、すべては教師の機嫌で行われた。

優等生以外は、ほとんどの生徒が体罰を受けたであろうけど、

当時は逆らうほど勇気もなく、また大人の誰にも相談できずに泣き寝入り。

それくらい昔は今と違って問題視されていなかった時代。

一度、同級生が宿題忘れたとかで、目の前でプロレスの技で突き落とされ、翌日休んだことがあった。

その光景を見ていたので、恐怖とその教師に対する憎悪が増し、だんだん許せなくなった。

部活の顧問ともなれば、拘束時間が長くて集中的に体罰や暴言を吐かれた時期は、

本当に自殺しようと思った。

辛くて泣いた日々。

なんとかこの先将来に希望を持てたころに、上級生の男子にその教師がボコボコやられているのを

目にし、以来その教師とも関わることなく別れて清々したもの。

がしかし、体罰の記憶はいつまでも辛い過去として残っていた。

ほんとうに憎んでいたし、死んでくれればいいのにと、思った。


残念ながら、先生は選べない。


過ぎた青春時代も、戻らない。


今、過去を許せるか? ・・・やはり、許せない。

現代はもっと人間性で進化したいい時代にならなきゃならない。

このニュースを知り、もっと深刻な処罰が下るようにするべきだと思う。

幼い十代で自殺なんてしなくてもいいように。

終わり。



VOL. 316 新年と過去

2013-01-06 | Weblog
賀正!! あけまして。

 新しい年の幕開け。

 昨年の年末は、定番化している仙台飲み~山形へ帰省と年越しました。

 仙台へ、バス5時間半で着いて早々に予約しているお店へ向かい、飲み始めの友らと

 楽しい宴ができました。
 
 その後、滅多に行かないカラオケへ、どうしても歌い騒ぎたいメドレーがあって

 半分ムリくり流れたのでした。

 80’Sメドレーはほとんど英語もの。分からないところ(サビ以外)は適当にごまかす。

 盛り上がり、タンバリンたたきすぎて手が痛む。などなど2時間なり。

 その後はみんな分かれて、お泊りさせてもらうEYEちゃんとデスメタのさび歌を口ずさみながら

 その旦那が飲んでいるバーでまた一杯ごっちになった。
 
 もう、今宵はほとんど移動と飲んで終わりだったが、楽しかった。


         

 山形へ帰ってからは、どっさり降り積もった白い世界と寒さで埋め尽くされ、

 こもりにこもった晦日~正月。

 雪かきも途中から熱が入り、えっさほいさと汗かくほどやってしまう。

 しかし、暖房してない時の朝起きた室内温度が零度、、以下か。

 布団から出られない。。出たら寒さでシャッキリするんだけど、堪える。

 雪国は、ほんとうに寒い。寒いというと思い出すのはラダックの冬。。

 暖かい所のほうがいいに決まっている。と、冬は刹に思ふ。


 
 
 2013年も、楽しみにしていたガキSPを見てたらあっさり明けてくれ、

 なんてすばらしい番組なんだと思った。

 母と年越しそばも食べて、酒も飲んで、近所の神社へ初詣。

 「つつがない一年でありますように・・・」と願うばかり。


 今回も、近所の幼なじみの友人らと会い、うれしい知らせなどもあって

 なんだか良い年明けだなぁ~とほっこりして、東京へ戻る。↓車窓から。

 


       

 東京で初詣も、13年目になるかな?明治神宮へ通い続けて。。

 おみくじやお守りなどはこちらで購入する。

 昨年のおみくじが↓全部“吉”だったのがおもしろい。

 

 
 その今年の大御心は、「誠は幸福の基です」(現略)とありました。

 明治天皇の御心を身に、誠実な道を進んで行きたいと思います。

 ・・・ちょっと自身ないけど。

 それはそれで、自分自身の目標を掲げないとな~と、

 これよりやや遅いけどじっくり書にでも認めよう。。


 なにかと新年早々の月は忙しない中に過ぎてしまう予定なので、

 それも、過去と戦いながら・・・W 

 
 とりあえず、良い一年でありますように。。

 世の中が、平穏で太陽の恩恵を受けて過ごせる。そんな日々を願います。

 おわり。

  

VOL. 315 あと1ヶ月

2012-12-27 | Weblog
 
ここに越してから、もう12年も経っていた。

 なにかと便利な立地だったので、狭い意外は不自由なく過ごした。

 屋根裏部屋のような狭さだけど、ベランダが広かった。

 ベランダでは、植物やミニ野菜など育てたりと、かなり日当たりもいい。

 いい天気の休日にはベランダに出てゴザを敷いて珈琲やチャイなどを飲みながら

 本を読んだり、日光浴したり。

 
 大家さんとも最低でも月1.2回は顔を合わせてるから安心だった。

 私が長期旅に出てからも、少し心配かけたけど、快く旅話を聞いてくれた。

 
 そして、12年住んだ部屋を来月中に引越すことを告げた。

 なんだか今までの長い思いがこみ上げてしまう。

 大家さんはすごく前向きな考えで激励してくれた。
 
 いろんなアドバイスは身に沁みて、ほんとうにじんわり泣きそうになる。

 
 1年がほんとうに早いと嘆いていたけど、12年って・・・

 それもなんとなく、あっという間な気がするけど、思い出すにはまだ少し早く、

 これから引っ越すまでの間、じわじわと襲ってくるんだろうな。

 暮れの、どこか押し迫った時には振り返るのは今年中に。


来年は、いい年でありますように。

 そう願うばかりです。