ミラレパ 茶房

★ミラレパとは、チベットの偉大なるヨガ行者の事である。
Milarepa a great saint of Tibet

VOL. 243 荒浜海岸に再び立つ。 2011GW

2011-05-18 | Weblog
 
山形にいる間は、とても通常で平和だなと感じていた。

 今回、震災から心配していた福島の楢葉へ嫁いだ友人Mが、

 山形の実家に来ていることもあり、話す機会があった。

 あと仙台にいる友人Kとの3人で会うのは去年の正月ぶりだった。

 私もMも、のっけから震災のディープな話をする気が引き、何気ない内輪話で始まった。

 ほどなく、やはりMのどこか思いつめた表情が気になり、私から聞き出した。

 地震発生から、避難所、物資、家族と離れていること、子供のこと、原発のこと・・・

 そこには、やはりMの素直な気持ち、そして母親としての強さがすごく伝わってきた。

 いろいろ大変だったけど、この事態になって気付くことがあったという。

 そしてMは、いつかまた楢葉で家族と暮らしたいという希望を持っている。

 東根の大けやき

 連休の最後に、友人Kの車で仙台へ向った。 

 国道ではよく、自衛隊の物資輸送車とすれ違った。

 Kとは長い間会ってない期間があったけど、昔私が仙台にいた頃にしょっちゅうつるんでいた。

 震災後もよく連絡を取ってたので、仙台の状況は聞いていた。

 宮城県に入り、はじめは言われないと気付かないくらいの地盤沈下だったけど、

 だんだん 建物の崩壊やガラス破壊、痛々しいコンクリのビルが目立った。

     宮城野区
 
 何年ぶりかで多賀城市に入ったけど、あまり覚えていない。

 ここは信号がまだ不通で、警官が交差点で手指示をしていた。

 この辺も津波の高さが1Mまで来ていた水跡が、建物に残っていた。

 だんだん、不自然な位置にある自動車が見え始め、映像で見たような船が陸に乗り上げた姿があった。

       

 景色が変わった。 すっかり何もなくなっていて、どこだか分からない。

 Kが驚き気付いた。 そこは荒浜海岸の入り口だった。

 セブンイレブンとスタンドが向かい合っていた交差点は、みごとになくなっていた。

         海岸へ続く道

 昔、この荒浜には夏に海水浴などでよく通った。 

 想い出の場所が・・・ショック・・・ただ 足元が震え 愕然とした。

 震災から1ヶ月半経ったころで、直後に比べれば道も通れて、状況が見えるが

 津波がもたらしたものは、家も人も全部を流すほどの破壊力を改めて思い知らされた。

     住宅があった地、ここの住人達は・・・

 海岸に向う1本道、すれ違う車もちらほらあり。

 道端で車を降り、歩いた荒浜海岸は、おどろくほど静かでなんら変わらない春の海だった。

      

 普通の波打ち際に立ち、自然のもつ脅威について、考え、手を合わせた。
  
   
             
 
 
 それから、いつもの友人だちとの宴にむかった。 ゆる集合のゆる飲み。

 友人みんなの無事を知ってから、次に会ったらまず飲むべ! と。

 ここ近年、仙台に寄った時、7・8人は集う定番になってきた。

 お互いの震災時の話に、不憫な生活と孤独と不安、泣く者もいたり・・・
 
 だけども大笑いがあったり、久々に笑いつぼを刺激され頬骨が痛むほど笑った。

 なんだかんだで7時間は居たか、広瀬通の和民。 動きたくない人ばかりで・・・

 こうして、酔っ払いのできあがった友人宅で1泊して、東京に帰ってきた。

  と、すぐあとに風邪を引いたせいで、ブログ更新にズレが出てしまった・・・。


 


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