ミラレパ 茶房

★ミラレパとは、チベットの偉大なるヨガ行者の事である。
Milarepa a great saint of Tibet

VOL. 327 信州で田植えとその後の訃報。

2013-06-16 | Weblog
 私が患ってしまったうつ病とは脳の病気である。

 非常に厄介だし、完治不明らしい。

 一時良くなったと思い込んでも、また何かの衝撃によって再発してしまう。

 それは、100人いれば100通りの症状があるという。

 この病を経験した人であれば、きっと辛さについては分かるだろう。

 もはや、気分を上げてなんぼの世界でないことも。。


 今は薬で治療中なので、それしかないというからそうしよう。

 いつ何時おかしくなるか分からないから、不安である。

 
 そんな中、信州にいる旅友がある村の協力隊としてがんばっている様子を知り、

 田植え行事に参加させてもらうことにした。

 土にまみれ、アルプスの自然を前にしての田植えは、とにかく夢中になった。

 知らない人たちと一緒に苗を植え、お昼には産地の食材を使った品々に囲まれた。

 みんなで腰をまげてひたすら植えた。それはとてもいい疲労だった。

 友人とは旅でも共に苦楽を味わった仲だったので、こうしてステキな信州の地で

 再会できるのも至福の時間だった。

 日々の東京では決して味わえない時間を、とても感謝している。

   
 
   
  信州 小川村の棚田、田植えと昼食。そして北アルプス。


 そんなリフレッシュをしてから1週間目に、訃報が入った。

 実家のおばあちゃんが亡くなったのである。

 数週間前に入院してから、意識もあまり戻らずにそのまま永眠してしまった。

 私は5月に帰って会った時は、多少の老いを感じながらも、まだ普通だった。

 急変した知らせを聞いてから、ある程度の覚悟はしていたけど。

 それはちょうど私が救急車で運ばれたりした騒動の後と聞いた。

 なにか、ただ事でないものを感じるし、ばあちゃんの存在が近くにあったのかもしれない。

 でも、私も良く分からない症状に悩まされていろいろ深く考えるのも良くないと思い、

 因果関係に結び付けてはいけないと思った。

 おばあちゃんの亡骸をみても、辛くはなかった。

 これで、安心して天国に行けるんだね。という送る側になっていたから。

 生前の日々が、やはり時より辛そうだったこともあって
 
 気力もだいぶ奪われていたように思う。特に膝を悪くしてからは。

 ただただ、おばあちゃんには感謝している。

 生前に言ってあげられなかったのを悔やみながら、ありがとうと。

 家族が減ってしまうのは寂しいけど、人間はいずれ死ぬ。

 それが遅かれ早かれ、必ずやってくる。

 悔いのない人生を。。

   
 実家の庭には宿根草の花たちが自生している。 右)うどの新芽、天ぷらで食べた。


 偉大なる祖母へ

 ある部分が自分と似ていたせいか、ぶつかってしまうことがよくあった。

 けれど、そんな部分もいまでは私が受け継いでいる。

 いい方に生かせらせるようにしたいと思う。

 幼い頃から一緒に居る時間が多かったのに、離れてしまったけど、
 
 いろいろ覚えている記憶を大事にしたい。

 田植えだって、その昔ちょっとだけ手伝ったことがある。

 野良仕事に熱中する祖母の姿は、とにかく一生懸命だった。

 
 わたしは、自身に起こっている事柄を忠実に受け止めるしかない。

 さまよう精神に、これからどうしたいのかを決断させなければいけないのだと。

 周りにどう思われても、悔いのない生き方ができるか分からないけど、

 生き延びるために。。


 おわり。

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