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可哀想という言葉

「かわいそう」という言葉を頻繁に使う人がいますね。

心理学的には【かわいそう】という感情や言葉は【同情】を現すと言われています。

辛い大変な状態や状況に同情します といった意味や気持ちで「かわいそうに・・」と使うことは悪いことではないと思います。

でも、それを直接相手に伝えてしまうと相手を傷つけたり、不愉快にしたり、自分の価値や大切さを失わせてしまうといった危険もありますね。

「かわいそうに」という言葉は自分の中で感じるものであって、相手に直接伝えるべきものではないと私は思っています。

【同情】といった意味ではなく【普通じゃない=かわいそう】といった使い方をする場合も多いのではないでしょうか?

私はできるだけ少ない物で生活することがとても安心で平穏なのですが、物に囲まれていて安心で幸せという人達からはよく物が少ないことに驚かれ【かわいそう】と言われます。

食事に関しても私は手術後からたくさんの量を食べられなくなりましたが、少しの食事でいつも満足できています。
でも、たくさん食べられて幸せな人達からは【病気になってからたくさん食べられなくなってかわいそうね】と言われます。

1人っ子なことに対しても【ひとりっこでかわいそう】と子供の頃から呪文のように言われ続けてきました。

【子供がいなくてかわいそう】という言葉、これには長年とても辛い悲しい気持ちになっていましたが、今は子供に語学を教える仕事にも就いていますので自分に子供がいなくても別の関わりで子供達ととても楽しい時間を共有できていますので子供がいなくてかわいそうという言葉にも傷つくことは全くなくなりました。

物がたくさんあって溢れていることが安心で幸せ=普通
たくさん食べられることが幸せ=普通
兄弟姉妹がいることが安心=普通
子供がいることが幸せ=普通

といった固定概念やそれがなければ不幸せでありかわいそうといった偏見を強く持つ人がその感情で人を「かわいそう」と括るのだと思います。

そういった固定概念や偏見で「かわいそう」と決め付けられて、それを自分でも決め付けてしまい、

「自分はかわいそうな人間なんだ」と洗脳されてしまう人もとても多いです。

「かわいそう」が口癖の人達に、自分はかわいそうじゃないと反論すると必ずと言っていいほど「頑固だ」とか「偏屈」だと返されます。

それはその人の中にある「かわいそう」の定義が覆されることを嫌い怖れるからだと感じます。

自分がこんな状況や状態になったら「かわいそう」と感じていることは正しいと強要したいのだと思います。

ですから、「かわいそう」と言われても、その言葉に洗脳されて「かわいそうな人」になる必要は全くないことを知って欲しいです。

一般的にそれが幸せだとされていることでなくても、自分が幸せに感じること、安心できることを貫くことはとても大切だと思います。

人は誰しも自分の感情が正しいと信じて勝手なことを言う傾向にありますから、それに振り回されていてはいつまでたっても【自分らしい生き方】を得ることはできません。

だからといって人の話を全く聞かずに自由奔放我侭勝手に生きることが【自分らしい生き方】ではないことにも注意です。

耳を傾けなければならない言葉と、そうではない言葉とをしっかり区別できることも重要ですね。



最後まで読んでくださりありがとうございました。
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