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幸せのちゅちゅ

もったいないを疑ってみました

先日

コロッケとかお野菜の煮物とかを残しました。

もう食べられないではなく

ここでやめておこうと思い残しました。




自分は

家での食事でも外食の場合にも

残すというのは

ものすごく罰当たりなことだと思っていました。

そもそも

勿体ないです。

だってね

残すイコールごめんなさにで捨てることになるからね。


おじいちゃんが生きていた頃

お茶碗についたお米粒まで

一粒も残さずにきれいに食べなさいと言われたのが

印象に残っている。


稲刈りをした後にも

田んぼ中歩き回り

稲の先っぽが落ちているのを集めまくっていた。


だから

残すなんてありえないと思っていました。


そもそも結構な量を食べれるのもあって

とにかく残さないを

大事にしてきました。


でも

残さずに食べれるのは事実なのですが

たくさん食べ終わった後

必ずと言っていいほどやってくるのは


眠気です。


そして

食べ終わった瞬間の満足度は

実は

それほど高くないのですね。


だって

「ああー、美味しかった」

っていう食事を楽しみ幸せに浸る感覚よりも


「前部食べれて残さずによかった」

義務を果たせてよかったという

食事とは一見無関係に見える感覚を感じる。



そして

満腹の度合いが高ければ高いほど

不思議なことに

「さあ次は何を頑張ろうかな」という思いが湧いてこないよね。


行動欲求が出てこなくなり

眠くなるか

眠くならなくても

食べ終わった場所でできるようなことをやる。

大体が

ネットサーフィンだったり動画を見たりという

いわゆるダラダラ時間に突入する割合がかなり高い。


これ時間の使い方とすると

すごく勿体ないですよね。


おまけに

食事の美味しさとかも

食事に対する満足感も

それほど

味わっていない。


これもすごく勿体ない。


食事を残す勿体なさと比べると

どちらのほうが本当に勿体ないことになるのか

と思ったのです。


そもそも

おじいちゃんの時代に

食べ物が余るなんてありえなかったのでしょう。

大げさに言えば

食事ができるだけでありがたい

そんな状況では

お米粒一粒だって大切な食料

身体を動かしてくれるエネルギーとなりますものね。



現代は

ありすぎるんですよね。

外食行けば

頼みすぎ

家でも

多く作りすぎ


だから

大量の食べ物を用意すること自体が

勿体ないとなるのでしょうね。


昔から伝わる

畑で取れる野菜を


漬物にしたり

干して保存したり

という知恵を


見習っていきたいと思いました。


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