目の前に巨大な壁が立ちはだかっている
このブログの中でも結構書いてきた表現の一つです。
片付けにとりかかろうとするけど、何から手をつければよいのか分からない😱
やらなきゃいけない仕事があるのだけど、取り掛かろうとしても気が思い😫
みたいな状況になっていた時に
自分からよく
この表現を使って自分の状況を言い表してきた。
巨大な壁が目の前にデーンって存在している
こんなイメージ映像は
簡単に持ててしまいますよね。
実際には
そのような高い壁など見上げた経験も過去にはないのですが
経験がなくとも
簡単にイメージできてしまいます。
すると
何が起こるか?
と言う質問がふと頭の中に浮かんできたのです。
そりゃあ
そんな巨大な壁が目の前にありゃ
圧倒されてしまいますよね。
その圧倒的な存在感やら大きさやらを感じてしまったら
当然
自分に対するメチャクチャ小さい無力感を受け取ってしまいます。
巨大な壁の前で無力感を醸し出している自分のイメージが入った瞬間に
余計に
片付けやら
やらなきゃいけない仕事に
立ち向かおうなどという気持ちは
ショボショボにしぼんでしまいます。
そりゃあ
余計に先延ばししてしまうし
とてつもないエネルギーを注入しないと
取り組めないよね。
自分は自分に対して
とんでもなく間違った魔法をかけていたと
気づいたのです。
ここで
壁をないものと思えとか言っても
それは難しいですよね。
何やらとてつもなくやりたくないことやら
大変に思えてしまうことに対しては
巨大な壁に例える傾向は
私だけじゃなく
結構持っている人も少なくない感じです。
私達人間は
進撃の巨人の超大型巨人じゃないのだから
壁に対して小さく感じてもよいのです。
あまりにも小さいから
無力だ!!
この考え方がいけません!
深呼吸して考え直せばよいわけなのですね。
そもそもですよ
先に進むために
その巨大な壁を
全て破壊する必要は
ないのですよね。
つまり
巨大な壁が存在していたって
その巨大な壁全てを消滅させるとか壊すっていう
途方もなく現実離れしたことは
最初から放棄すればいいんですね。
ただただ
圧倒的に小さい自分ができることは何だろうって考えればよかったんですね。
そしたら
色々なストーリーが見えてきませんか?
200mくらい横に歩いたら、壁がそこで切れているのかもしれません。
切れていなかったとしても、どこかに穴が開いているのかもしれません
扉を見つけることができるかもしれません。
そもそも高さは巨大だけど秀吉の一夜城みたいにハリボテの可能性もあるわけで
自分で自分に難しいという魔法をかけ続けてきたのだなあと
気づきました。
巨大な壁が立ちはだかっている と言った瞬間に自分の敗北が決定
っていうイメージでしたからね。
なぜ
自分にダメージを与えるようなたとえを
わざわざ使ってきたのか????
今度からは
巨大な壁が立ちはだかっている とイメージしてしまったら
だからどうしたんだ?
全部壊す必要は全然ないぞ とつぶやいてみます。
自分でかけてしまった魔法は
自分でときましょう。
こう考えてみると
他にも色々と
面白い行動をしているのでしょうね。
こんな感じの部分に気づいていけるようにすると
面白そうです。