ひねくれて考えたり
他の人の言うことを上から目線的に決めつけて見てしまったり
聞きながらジャッジしてしまったり
何でそっちを認めるのかななどと先生みたいな存在の人にまで文句をつぶやいたり
散々こういう自分の闇をみてきたので
ずっと
素直になれるといいなと思っていました。
素直になるとは
他の人の考えも認めたり
自分の考えも伝えたり
どうなのか質問したり
もっと謙虚になったり
などのイメージです。
だから「素直になる」とは
自分の中のさっき書いたような存在が消え去ることだと思っていました。
だけど
自分の中にある『素直じゃない』って感じる存在が
急に消えるわけもなく
素直になりたい
という願いを持てば持つほどに
自分は素直ではないという呪文を自分に発しているに等しい状況になっていました。
まさしく悪循環に陥っていました。
だけど
それこそ
最近書いた リフレーム
視点を変えてみてみました。
自分の中に闇と言えるような存在がなければ素直と言える
自分はこう思い込んでいたのです。
だけど
これは本当なのか????
そもそも自然に沸き起こってくる
そういったささやき声を無理矢理に消し去ろうという考え方自体こそが
素直とは言えないとなるのではないでしょうか?
自分の中の闇と言えるような存在があるのに必死にないと思おうとしたり
消え去れって思ったりする行為自体が素直ではありませんでした。
何かしら批判めいたささやき声をするから素直ではない
とやってしまったので苦しかったのですね。
批判めいたささやき声を「そう感じるんだね」って受け入れる考え方を
素直としてみる。
そうすれば
無理やり消し去る思考 とか そんな事を考えてしまう自分に駄目だしする行為が
なくなりますね。
批判めいた自分のささやき声も受け入れてしまうと
気持ちが凄く軽くなります。
そうすると
リラックスした軽い気持ちで聞けるようになるのだから
他の人の素敵な感じ方も余計に感じられるようになりそうです。
批判めいた受け止めはそのまま抱きつつ
違った感じ方も受け入れれば
自分の考えが新しく変化したり
より深まったりしていきそうです。
しかも
全然苦しそうではありません。
素直になるって、こんな簡単なことだったのですね。
呪いの呪文がとけた気分になりました。
昨日書いたように春の開放感も関係しているのかもしれませんね。
素敵な気づきができて感謝です!