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とある社長のつぶやき

夢を追いかける勇気を持とう ~目標設定の大切さについて

2024-06-04 10:38:55 | 日記

今日は、目標設定の大切さについてお話ししたいと思います。私たちが充実した人生を送るためには、目標をしっかりと持ち、それに向けて努力することが大切だと考えています。

 

 

目標を設定することで、日々の生活や仕事において何をすべきかが明確になり、その達成に向けて一歩ずつ前進することができます。

 

例えば、「夏には沖縄旅行に行く」、「3ヶ月で5キロダイエットする」、「売上を前年比で20%増加させる」といった具体的な目標を持つことで、行動計画を立てやすくなり、今日や明日何をするべきかがはっきりしてきます。

 

しかし、目標自体を低めに設定したくなる気持ちになることもあるかと思います。

 

また、目標を立てても、「これは無理かもしれない」と途中でくじけそうになることがあります。

 

ですが、目標が低く設定されると行動範囲が狭くなり、やる気も減ってしまいます。

 

例えば、「甲子園で優勝するぞ!」という目標は魅力的でやる気が湧きますが、「2位でもいいぞ!」といった目標では、モチベーションも上がりません。

 

そのため、目標を設定する際には、その目標が達成されたときの素晴らしさを具体的に想像することが大切です。

 

例えば、「沖縄の青い海と空に囲まれて、親しい人と過ごす素晴らしい時間を想像する」「気に入ったかっこいい服を着こなす自分を想像する」「高い収益が会社を成長させ、働く仲間とともに笑顔になる」など、目標が達成されたときの喜びや意義を具体的にイメージしてみましょう。

 

目標が実現できるかどうかも重要ですが、それ以上に、その目標がどれだけ自分をワクワクさせ、行動に駆り立てるかが、より充実した人生を送るために重要です。

 

さらに、目標を達成するための具体的なステップを明確にすることも重要です。

 

例えば、売上を前年比で20%増加させる目標に対しては、既存顧客の満足度向上を徹底する、新しいサービスを実行する、必要のないことをやめる、といった具体的なアクションプランを立てる。

 

これにより、目標達成に向けた道筋が明確になり、実行に移しやすくなります。

 

私たちは、お客様を笑顔にし、働く仲間も笑顔にすることを目指して日々の業務に取り組んでいます。

 

社員一人ひとりが目標を持ち、互いに協力し合いながら、素晴らしい未来を築いていきましょう。

 

自動車の整備という技術と知識を活かす仕事に誇りを持ち、共に笑顔あふれる未来を創り上げていきましょう。

 


組織を強化するための責任感について

2024-05-26 12:59:51 | 日記

今回は組織の強化において重要なテーマである「責任感」についてお話ししたいと思います。このコラムを通じて、我々がさらに一歩踏み出して考え、行動するきっかけになれば幸いです。

 

 

責任感とは、自分の役割や業務に対して義務を果たす意識のことです。単に仕事をこなすだけでなく、結果に対して自ら責任を負う姿勢が大切です。自分の行動や結果に対して意識を持ち、他者に依存せずに自分自身で解決策を見つけ出すことが重要です。

 

しかし、しばしば見受けられるのは、自分の行動を棚に上げ、権利を主張し、義務を果たすことを疎かにする態度です。例えば、仕事が思い通りにいかない時、その原因を他者に求めることがあります。このような態度は、自己成長を阻むだけでなく、チームワークを損なう原因となり、組織の士気を低下させます。

 

アメリカの思想家ラルフ・ワルド・エマーソンの言葉に、

「人はその行動の全責任を負わねばならない。成功も失敗も、すべては自己の責任である。」

があります。この言葉は、個人の責任感がいかに重要であるかという事を示しています。

自らの行動に対する責任を自覚し、その結果に対して真摯に向き合うことが、プロフェッショナルに近づくための一歩であると思います。

 現状で満足するのではなく、もう一歩踏み出して、行動する。問題が発生したり、実績が思うように伸びない場合、その原因を他者に求めるのではなく、自らの役割を見直し、どうすれば改善できるかを考える。このような積極的な責任感は、組織をより強固にし、信頼感を高めることにつながります。

 

企業理念の大切にする価値観に、「考えながら動く」があります。この価値観を実践し、責任感を持って業務に取り組むことで、組織全体の成功に寄与することができます。

 

皆さんと共に、私自身も役割に対する責任感を高め、組織全体の成功に寄与したいと強く考えています。これからも一緒に、もう一歩踏み出して深く考え、責任感を持って業務に取り組み、「働く仲間(従業員もPAさんも)を笑顔に」していきましょう。


管理とはコントロールすることではない

2024-05-21 10:07:58 | 日記

これから私が大切にしている考え方や学んだこと、皆さんと共有したいことについて不定期にこのような形でお伝えしたいと考えています。このブログを通じて、誤解や価値観のズレから生じる不信感をなくし、組織の持続的な成長を皆さんと共に築き、より良い人生を歩んでいけるようにしたいと思っています。(過去にもブログを書いてきましたので、ご参照くだされば幸いです)

 

 

管理とはコントロールすることではない

最近、ディズニーの元CEOロバート・アイガー氏の本を読みました。アイガー氏は、ピクサー、マーベル、ルーカスフィルム、21世紀フォックスといった企業を買収し、協力関係を築き、業界のトップを走り続けました。その中でも特に「誠実であること」の重要性に共感しました。

 

管理とは、業務の進行状況を把握し、目標達成のために必要な調整を行うことです。一方で、マネジメントはチームやプロジェクトを成功に導くための包括的なプロセスです。ロバート・アイガー氏も「リーダーシップとは信頼を築くこと」と語っています。信頼は命令や強制では生まれません。誠実であり続けることが信頼構築の鍵です。

 

私たちの仕事では、時に命令や強制が必要な場面もありますが、それは一時的な効果しかもたらしません。命令がないと動けない人材を作り出してしまう恐れがあるからです。アイガー氏の言葉を借りれば、「謙虚さと尊敬の念を持って人々と接すること」が重要です。

 

私が「共創共栄」の理念を掲げているのは、持続的な事業運営を確かなものとするためです。私たち全員が協力し合い、共に成長できる環境を作ることが大切だと考えています。仕事は多くの人との関係構築で成り立ちます。特に仕事は縦に流れることが多く、部下、PA会の皆さん、お取引先の方々との関係が大切です。対等な立場で接することが信頼関係を築く鍵です。

 

お互いに協力し合い、理解を促し、自発的に動ける環境を作ることが「目指すべき管理」の姿です。権力や経験だけに頼らず、常に学び続ける姿勢を持ちましょう。アイガー氏も「常に学び続けることの重要性」を強調しています。共創共栄の理念を実践することで、持続的な成長を実現できると信じています。

 

管理とは、人間をコントロールすることではありません。誠実であり続け、謙虚さと尊敬の念を持って接することで、信頼関係を築き、持続的な事業運営を目指していきましょう。管理とマネジメントのバランスをとりながら、より強い組織を作り上げることができます。共に学び、成長し、より良い人生を歩んでいきましょう。

 

 

以上


人生100年シリーズ⑪ 今回は、「人生をより良いものとする究極の方法」

2022-03-26 15:41:00 | 日記

人生100年シリーズ⑪ 今回は、「人生をより良いものとする究極の方法」をご紹介します。

 

ここに資格試験に不合格となった人が二人いたとします。

・A君 →「このままではダメだ!」「成長したい!」「もっと勉強しよう!」

・B君 →「自分には向いていない。」「もうやりたくない!」「やめよう」

 

 このように起きたことは同じであっても、捉え方次第で全く違った発想となり、その人の人生は大きく変わる事と思います。「資格試験に落ちた」「トラブルが発生した」となれば、多くの人はネガティブな感情を抱き、自分の不幸を呪うことでしょう。

 

 しかし、一般的に悪い事と言われるようなことでも、ポジティブに捉えることは「考え方次第で」出来るはずです。自分の思い通りに行かない時こそ「運が良い」と考える。

 

 このような習慣が身に付けば、多くのチャンスを捉えられるようになります。「失敗は失敗と思った瞬間に失敗になります」失敗のおかげで成長の機会が与えられたと考えましょう。

 

 逸話を一つ。

 ある若者が「幸せを求めて旅」をしていました。そこで、とある町に着き、出会った老人に「私は幸せを求めて旅をしています。この町は良い街ですか?」と聞きました。

 

すると老人は「あなたのいた町はどうだったか?」と聞き返します。

 

若者は「私のいた町は最悪の町でした。人は不親切で、私に意地悪な事ばかりします」と答えました。

 

老人は「この町も君のいた町と変わらない」と答えます。

 

それを聞いた若者はガックリと肩を落として、この町に入ることなく、違う街に向かいました

 

 またしばらくすると、別の「幸せを求めた若者」が老人に「ここは良い町か?」と尋ねたので、老人は「あなたのいた町はどうだったか?」と聞きました。

 

 若者は「私がいた町はとても良い街でした。人は皆親切で、優しい。他の町も見てみたくて、旅をしています。」と答えます。

 

 すると老人は「この町も君のいた町と変わらない」と答えました。

若者はとても喜び、胸に期待を膨らませて街に入っていった。ということです。

 

 この話は何を示唆(しさ)しているのでしょうか。

若者に起きた事は同じでしたが、ストーリーは真逆の展開です。 

 

ぜひ、この話を例文にして「若者を自分」に、「町」を「自分の身近な何か」に置き変えて、自分自身はどちらの若者なのか、考えてみて下さい。

 

 お金持ちも貧乏な人も、頭がいい人も悪い人も、元々起きている事は大して変わらないはずです。

その後にどう考えるかが大切であって、全ては受け止め方次第なのです。

 

 

 

納税者番付日本一になったこともある「斎藤一人さん」の詩をひとつご紹介します。

 

「私はいつも小さな幸せを数えます。一つ数えると一つ花が咲きます。二つ数えると二つ花が咲きます。たちまち私の心は一面のお花畑にかわります」

 

 こうなれば幸せになる。お金持ちになれば幸せになる。などと、幸せの条件を決めるといつまでも幸せにはなれません。

 

 「ご飯が食べられて幸せ」「住むところがあって幸せ」「目が覚めて幸せ」「仕事が出来て幸せ」と、このように今の幸せを数えるのです。

 

 人生は才能で決まるものではなく、学歴でもありません。もちろんお金でもありません。自分自身の考え方で決まります。

 

 何かつらいことが有ったとしても、次は必ず成功する。何とかなる!とポジティブに考える。これが「人生をより良いものとする究極の方法」ではないでしょうか。

 

 

戦争は理解に苦しむが、全く他人事とも思えない自分もいる

2022-03-10 09:02:13 | 日記

 ウクライナで現在起きている出来事が、これまで生きてきた経験からすると、余りにも非現実的すぎて、ショックを受けています。

人類は歴史的にその発展段階において住む場所や食料を求めて、多くの戦いを繰り広げてきました。その中でも中世から近現代に至る多くの戦争は「戦士や戦闘員」が一般市民の暮らす場所とは別の場所で、敵か味方かを識別する為の「戦闘服」や、「指物(さしもの)」呼ばれる「敵味方を識別する旗」を立てて行うなど、基本的には市民生活とは別の場所で行うものでした。

 

しかし、先の世界大戦末期では、市民を標的にした「空襲」や「原爆投下」などの大量破壊兵器が使われたことを世界中が反省し、一般市民を攻撃する戦闘は建前上行わないことになりました。ところが現在報道されている映像を見る限り、一般市民の生活場所を躊躇(ちゅうちょ)なく攻撃する映像が多く流されており驚きます。

人それぞれ価値観は異なると思いますが、ロシアの行っている行為を例えるなら、隣の住民が突然やってきて「そこの土地は100年前、俺の先祖の土地だった」と言って、武器を持ちながら「出ていけ!」と言っているように感じます。

世間にはロシアを擁護し、喧嘩両成敗的な評論をする人もいるようですが、このような事が、自分や家族に起こったとしても、同じような事を言うのだろうか?人と違う意見を言う自分に酔っているのか、マウントを取りたいのではないか?理解に苦しみます。

早く、このような理不尽な事が終わることを願うばかりです。

 

福沢諭吉は「天の上に人を造らず、天の下に人は造らず」と有名な言葉を残しています。

これは「万人は皆同じ地位と資格を持ち、生まれながらにして平等である」という事を言っていると思います。しかし、現実は生まれた時は平等でも、次第に格差は広がってしまう。

だからこそ福沢諭吉は「学問をすすめる」と言っているわけですが、それ以前に個人の「心構え」としては何が必要なのでしょうか?

 

大きな要素の一つとして、個人的には「自立心(独立心)」ではないかと常々感じています。自立心の無い人は、信念がありません。信念が無ければ「人を納得させること」が出来ません。

また、自立心の無い人は、他人をあてにします。他人をあてにする人は、相手を気にしてお世辞を言います。自分の意見を持たなければ、他人の意見に左右され、人を見た目で判断し、時に「おじけづき」足元を見られれば、利益を奪い取られることもあるでしょう。

 

 人間の自立とは「衣食住を自分で行う」ことだけではありません。それでは昆虫の「蟻(あり)」と同じですね。蟻でさえ巣を作り、食糧を貯えます。

人として「自立」するというのは「経済的独立」と言った表面的なことではなく、「社会の一員として、その立場を自覚し、相互の幸福のために高い目標を掲げ、自分の存在に誇りを持ちつつ、社会や家族、友人や仲間のために貢献する」ことではないでしょうか。

 

ウクライナで起きている出来事は、「自分の利益のためなら、他人から奪い取っても手に入れる」という本来人類が目指すべき方向とは真逆のように思えてなりません。しかし、人間は弱い生き物です。いつか自分がエゴイズムに侵され、傲慢(ごうまん)な存在に変化してしまう事もありえると思います。今回の戦争はとても理解に苦しむ出来事ですが、全く他人事とも言い切れない気もしています。

 以上