東北大学名誉教授の田中英道は流石である!
日本人の起源は中国・韓国からの渡来人というのは一説の域である!
歴史を捏造する韓国のネトパヨ本に騙されるな!
20世紀初頭、義和団事件で中国が混乱している隙間に侵入して火事場泥棒の如き西欧列強が北京を侵略し様々な国宝を強奪していたときに、日本軍は中国の国宝を守ったという真実。
YouTubeのCMでよく流される識者による正真正銘の歴史本。
5世紀の倭国人(日本人)は外交文書を読めないし書けない(文字がないから)←12000年前の縄文時代にはカタカムナと言う古代文字がありますが、朝鮮半島には何がありましたかね?藁
実際に朝鮮半島の国々や中国と外交を行っていたのは渡来人(朝鮮・中国人)であるという指摘。
明治以降の、現在の日本人が絶対に認める現実である。
この国は文字・製鉄・稲作・医療・律令制度・都市整備・仏教・建築技術・灌漑・開墾技術、果は天皇という言葉と概念さえ様々に中国や朝鮮から導入してきた国なのだ。
白村江の戦いに大敗した天智天皇(中大兄皇子)の方針は、国内の諸勢力をまとめ支持基盤を固めるために、朝鮮半島を唐が侵略し倭国も侵略されるぞ、外国の脅威を煽ってパフォーマンスをしてみせたわけだが、現代日本の倭国(日本)の見識がある国民ともども。
日本にとって、朝鮮と中国という野蛮な侵略国は大昔から厄介な病原菌だったわけだ。
秦の始皇帝の「皇帝」は大帝国、世界帝国の王として相応しい尊称だが、日本の「天皇」は身の丈に合っている、東アジアの小さな島国の帝としては立派すぎる。
中国の道教における「天皇大帝」をなぞらえて作られた代物だと現代日本人の大半は知っている。
所で、衛氏朝鮮と言う紀元前2世紀に勃興したのだがそれ以前の朝鮮半島の歴史は皆無である。
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所でこれを見てね!!
日本鳥取県が青谷上地遺跡から出土した弥生人の頭蓋骨を根拠に復元した弥生人の顔(左側)と28日に開かれた弥生人とそっくりの人選抜大会で優勝したヨシダマサヒロ(35)さん。鳥取県ホームページキャプチャ
日本の鳥取県が約1800年前、弥生時代の遺跡から発掘した頭蓋骨を基に復元した顔とそっくりな人を公開募集して、人気を集めた。
28日、毎日新聞など日本メディアの報道によると、この日、鳥取市では弥生人とそっくりの人選抜大会の最終イベントが開かれた。全国の応募者の中から選ばれた10名の候補が現場に招待されて、審査員及びインターネット投票を通じて、大阪に居住する会社員ヨシダマサヒロ(35)さんが優勝した。医療関連で営業職のヨシダさんは、弥生人と似せて見せるために、髪の毛とひげを伸ばして、体重も6キログラム減量したという。鳥取県は今後、弥生遺跡行事で広報大使としてヨシダさんを招待する計画だ。
日本鳥取県が青谷上地遺跡から出土した弥生人の頭蓋骨を根拠に復元した弥生人の顔の形に似た男性を見つけるイベントを開いた。写真は28日に開かれた最終イベントポスター。鳥取県ホームページキャプチャ
鳥取県は、日本の青銅器・鉄器時代に該当する弥生時代の遺跡研究と保存に努めている。国家の史跡である青谷上地遺跡では、弥生人の頭蓋骨などが出土した。県はこの頭蓋骨をもとに顔の形を復元して、昨年1月に公開した。「現代のどこかにもいそうな顔」とインターネット上で大きな話題になると、県は「青谷弥生人大捜索作戦」という名称で、そっくりの人を募集した。昨年11~12月に全国から応募した215人のうち、人工知能審査委員が最終候補10人を選定して、インターネット投票などを経て、28日に決選が行われた。
復元された弥生人は、父は縄文人、母は渡来系(古代韓半島など外部から日本列島に渡った人々)の血筋だとみられて、鼻が低い弥生人の特徴を持ったと県は明らかにした。弥生人たちは、縄文時代に韓半島から日本に渡ったと知られている。紀元前10世紀頃から九州など西日本地域を中心に集落を形成して、大陸から文化を伝来して弥生文化が生まれた。
東京=チェ・ジンジュ特派員
韓国日報(韓国語)
https://n.news.naver.com/mnews/article/469/0000677674
引用元: http://awabi.2ch.sc/test/read.cgi/news4plus/1653828365/
関連付けられたら不愉快だよな
そうなんだよ。弥生人と朝鮮人は1ミリの関連性もない
弥生人の民族ベースは南方、稲作、、海洋、漁労
いっぽう朝鮮人は北方、狩猟(農耕は後付け、漁労は併合以降)
朝鮮人は入浴、沐浴の習慣がなく泳げない異民族
いまだに洗脳されたままの人が多くて残念だ
そんなに日本が好きなんだ。それなら正直にそう言えよ。
人種別の研究で日本人のサンプル集める時、在日が隠れて紛れ込んだりしてる。
結果が思いっきり朝鮮人グループに被るからすぐバレるけど
今の朝鮮人は北方アジア系の狩猟民族の末裔
DNA的にも文化的にも赤の他人
・・・数千年前の朝鮮半島には朝鮮民族などまだ形成されていなかった。
本当に韓国はキモすぎる。こっち見んな。
とか言いたいのだろうな。
キモい。
ベーリング海を経由してアメリカ大陸に渡る前の集団(のちにアメリカ先住民族になる)
と、中国南部で突然変異で生まれた集団のミックスということが判明している。
あとはポリネシア系民族その他が少々というところだな
どうにか日本に勝てるものを探してる必死さが哀れ
いいね?
人種じゃないしな
弥生って土器か出土する地層の区分でしかないし。
古代、朝鮮半島南部に住んでた(のちに滅ぼされる)百済とか新羅といった国家は
日本から北上した集団と、さらに流入した中華系が合わさって成立した。
さらにそのあとに流入してくる北方民族に乗っ取られ、痕跡は済州島辺りにわずかに残すだけになった。
かれらは遺伝的には日本人により近い可能性が示されている。
何でこいつらそれはウリたちにそっくりニダとホルホルしてんだ?
妄想に必死だな
しつこすぎる
現在の「日本人」のルーツは「3つ」ある?
日本人のルーツは長い間、論争が続いてきた。主に社会学・文化論からのアプローチと考古学・遺伝学からのアプローチがあるが、DNAなどを用いた分子考古学からの分析も進められてきた。今回、ゲノム解析によって新たな日本人のルーツ仮説が提唱された。
論文(※1)を発表したのはアイルランドのダブリン大学トリニティ・カレッジなどの研究グループで、鳥取大学や金沢大学、日本各地の博物館や考古学センター、教育委員会などの研究者が参加している。同研究グループによれば、日本人は従来のルーツ仮説に加え、もう一つ重要な人口流入があったのだという。
ルーツに関する「二重構造モデル」とは
最近、沖縄で発見された旧石器時代(紀元前1万4000年頃まで)の港川人の人骨から得たミトコンドリアDNAを分析したところ、港川人は縄文人や現在の日本人とは遺伝的に異なり、直接のつながりはなさそうだという論文(※2)が発表された。この論文を発表した研究グループによれば、港川人は縄文人と同じルーツを共有するものの、その遺伝子(母系)は後に伝えられずに途絶えたことが推察されるという。
日本人が日本列島にどこからやってきて、その後、どんな混血を経て現在の日本人になったのか。この議論については長く論争が続いているが、天皇史観に強く影響を受けた戦前はともかく、戦後になって土器や遺物、遺跡などの研究が進み、主に東南アジアからやってきた縄文人に、弥生時代(前10世紀〜3世紀中頃)以降に北東アジアから渡来した集団が混血することで現在の日本人が形成されたという説が有力だ。
この仮説は埴原和郎(東京大学名誉教授)が1991年に提唱したもので「二重構造モデル(Dual Structure Model)」と呼ばれている(※3)。このモデルは、従来の論文や学説などをもとに多変量解析(Multivariate statistical methods)によって日本各地の集団の分岐などを解析したものだが、縄文人がいつどこからやってきたのか(東南アジア以外からではないか)、二重構造以外の人口流入があったのではないかなど、依然として議論が続いている。
冒頭で紹介した論文は、この議論に新たに加えられた仮説だ。論文によれば、従来の二重構造モデルをより洗練させ、現在の日本人には3つの祖先集団があり、弥生時代以後、古墳時代(3世紀中頃〜7世紀頃)に大量の人口流入があったとする「三重構造モデル」になっている。
古墳時代の祖先が3つ目のルーツ
埴原和郎の二重構造モデルとはどう違うのか、同研究グループの中込滋樹氏(トリニティ・カレッジ医学部、金沢大学古代文明・文化資源学研究センター)にメールでコメントをいただいた。
──今回のご研究で埴原和郎の二重構造モデルが修正されたということでしょうか。
中込「はい。現在の日本人のルーツは、ある程度は二重構造モデルを維持しつつ、古墳時代の東アジア系を入れた『三重構造モデル』ということになります。また、この古墳時代の日本人は、縄文系・北東アジア系・東アジア系の3系統の祖先によって構成され、三重構造の構成としては、縄文系・北東アジア系(弥生時代に移入)・東アジア系(古墳時代に移入)の祖先であり、この多重構造が古墳時代に成立し、現代においても同様の構造が見えているというのが我々の発見したことです」
──三重構造モデルということは、縄文人+弥生人+古墳人が現在の日本人になったということでしょうか。
中込「それは違います。我々の論文では、現在の日本人は、縄文人の祖先に加え、弥生時代と古墳時代それぞれに大陸からやってきた集団がもっていた祖先が合わさって三重構造を構成していることを議論しております。これは、現代日本人が縄文人+弥生人+古墳人という表現とは異なります。なぜなら、少なくとも今回分析対象とした個体に関しては、弥生人および古墳人がそれぞれ独自の祖先をもっているわけではなく、縄文人の祖先と大陸の祖先が混血した状態であったからです」
──それぞれの祖先集団がそもそも大陸で混血していたということでしょうか。
中込「表現として、二重構造モデルあるいは三重構造といったことを示す際には、縄文系と北東アジア系の祖先、縄文系・北東アジア系・東アジア系の祖先という表現にしていただけますと、論文の内容をより正確に反映したものになるということです」
──ご研究では、縄文人が長く大陸から隔絶した期間が続き、孤立化と遺伝的なボトルネックが生じたとありますが、弥生系、古墳系との混血になんらかの影響を与えたのでしょうか。
中込「これについては現在のところ、正確に答えられる科学的根拠を持ち合わせておりません。縄文人が長い期間日本列島に隔離され(少なくとも遺伝的には)、集団サイズが小さかったことで独自の進化を遂げてきたことは十分に考えられます。それは必ずしも適応進化とは限らず、むしろ遺伝的浮動の効果(筆者注:自然選択や性選択などではなく偶然による無作為な遺伝子の多様性)によって縄文人の系統としての独自性が維持・蓄積されてきたと考えられます。そして、その独自性が、混血において何か影響を及ぼしたかどうかは我々の研究テーマとなっておりますので、次の我々の論文でそうした内容の成果をお届けすることができたらと思っています」
今後は古墳時代のエリート層を調べる
──古墳時代はヤマト朝廷の成立まで含むわけですが、古代国家の成立時に東アジア系からの大量流入があったとしたら、その時どんな「イベント」が起きたと「想像」できるでしょうか。
中込「大陸からの移入が、どの程度国家の成立に影響を与えたのかは今後の課題です。我々がゲノムデータを生成した古墳時代の個体は前方後円墳ではなく、横穴墓に埋葬されておりましたので、我々の研究では、おそらくエリート層ではない個体の遺伝学的背景をみていたことになります。今後、エリート層のゲノムを調べていくことで、階層社会において大陸からの影響がどこまであったかを議論することができると考えております」
日本の考古学では、縄文時代、弥生時代の時代区分についても依然として議論が続いている。縄文土器や弥生土器、あるいは稲作の遺構などの遺物や遺跡の調査による区分があったが、おおまかな時系列はわかっても、それらを使用する文化の強弱や地域ごとのズレなどの整理が必要で区分ははっきりとできない。実際、稲作は縄文時代の終わり頃にはすでに始まっていた。
先日、宮内庁と大阪府堺市は、世界文化遺産である「百舌鳥・古市古墳群」の「大山古墳(仁徳天皇の陵墓とされる古墳)」の発掘調査の開始を発表した。堺市によれば、保全や修復のための調査だが、以前発見された円筒埴輪の状態など考古学的な調査も行うという。
今回、発表されたゲノムによる研究により、日本人のルーツも次第に全体像が俯瞰できるようになってきた。いわゆる邪馬台国論争などもそうだが、弥生時代後期から古墳時代の調査は陵墓での考古学的な研究がなかなか進まないこともあって議論がつきない。今後は分子考古学と発掘調査による実証を組み合わせ、過去がはっきり見えてくるようになっていくだろう。
※1:Niall P. Cooke, et al., "Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations" ScienceAdvances, Vol.7, No.38, September, 17, 2021
※2:Fuzuki Mizuno, et al., "Population dynamics in the Japanese Archipelago since the Pleistocene revealed by the complete mitochondrial genome sequences" Scientific Reports, Vol.11, 12018, June, 13, 2021
※3:Kazuro Hanihara, "Dual Structure Model for the Population History of the Japanese" Japan Review, Vol.2, 1-33, 1991
いしだまさひこ:医科学修士(MMSc)。近代映画社から独立後ネットメディア編集長、紙媒体の商業誌編集長などを経験。横浜市立大学大学院医学研究科博士課程在学中。元喫煙者。日本医学ジャーナリスト協会会員。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(集英社、監修:小畠郁生)、『遺伝子・ゲノム最前線』(扶桑社、監修:和田昭允)、『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』(ポプラ社)など、人文系単著に『季節の実用語』(アカシック)、『おんな城主 井伊直虎』(アスペクト)など、出版プロデュースに『料理の鉄人』(扶桑社)、『お化け屋敷で科学する!』(扶桑社)、『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。
3万8000年前、日本人の祖先は意外な方法で日本にやってきた
従来の定説を覆す新理論が解き明かした真実
いきなりだが、「日本人の祖先はいつ、どこから来た?」と訊かれたら、あなたはどう答えるだろうか?
この根源的な疑問に昨年、新理論で答えを出した研究者がいる。国立科学博物館の人類史研究グループ長、海部陽介氏だ。
我々人間が、ホモ・サピエンスという一種の人類であることはご存じの方も多いだろう。そのホモ・サピエンスはアフリカで生まれ、世界中に広がったのだが、日本にやってきた時期やルートははっきりしていなかった。
海部氏の著書『日本人はどこから来たのか?』では、この道のりについての新説が切れ味鋭く語られている。その謎解きはまるでミステリのようだ。
「日本の遺跡は改めて吟味すれば、世界に例を見ないほど充実しています。初期のホモ・サピエンスが活動していた旧石器時代の遺跡は1万ヵ所以上ある。そして、そのほとんどが、3万8000年前以降に爆発的に現われているのです。これは、我々の祖先が3万8000年前に到来したとしか考えられません」(海部氏)
3万8000年前、日本人は
「船」で日本にやってきた
本州には3万8000年前、沖縄列島には3万年前に祖先が現われた。彼ら「最初の日本人」たちはどうやって到来したのか?
その方法は「航海」だった。これは海部氏が初めて明確に指摘したことだ。
実は日本の学界では、沖縄列島が大陸とつながった「陸橋」になったときがあり、その際に人間が歩いてきた……という常識が根強くあったのだが、当時の海面の高さの研究などから、その定説はくつがえされたのだ。
「4万~3万年前は今よりも寒く、海水が極地で凍りついて海面が下がっていたのは事実です。しかし最新の研究では、日本への“入り口”になった対馬や、日本最西端の与那国島も、まったく大陸とつながってはいなかったことがわかりました。皆さん旧石器時代の人と言うと、『はじめ人間ギャートルズ』ではないですが、山の中などにいるようなイメージが強いですよね。しかし意外なことに、最初の日本人は舟でやってきたのです」(海部氏)
航海という意外な行動について、さらなる証拠もあるという。