あるみ館

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ます、ました

2024-03-28 11:30:31 | 日記
言葉を勉強する時に一番苦戦するのは、たぶん「自分の話す言葉にない要素」を身に着けることだと思う。
それは発音だったり、文法的なルールだったり、言葉の変化だったりする。

私が日本語を教えている相手の国の言語は動詞に過去形やらがないようで、そこがなかなか身に着かない人が一定数いる。
例えば

私「昨日の夜何時に寝ましたか」
相手「10時に寝ます

といった感じだ。
そこで私が正解ではない反応を示すと大抵の人は何を間違えたか理解する。するのはいいのだが、次にこんな発言をされることがある。
相手「

これはつまり、自分の答えに足りないのは「た」であり、それを補えば正解になるという考えなのだろうと思う。英語で過去形にとりあえずedをつけるノリに近い。
ただそうなると「寝ます+た」となり、突然古代インターネット人みたいな喋り方になってしまう。
要するに理解が雑なのだけど、それは万事そうなので都度「た、じゃなくてました、だよ」とその場で修正を試みてきた。
なのだけど、つい先日少々頭を抱える光景を目にしてしまった。

簡単に言うと、彼らは教師に言われた通りにしていたのだ。

ここで言う教師というのは日本人ではなくてこの国の人で、つまり「日本で日本語を使って英語を教えている教師」と概ね同じ立場の人だ。

職員室で待機していた際、職員室を出ようとした学生が「失礼します」と言ったところ、ある一人の教師がまぁまぁの語気で「た!」と言ったのを見てしまった。
その場では内心「えぇ…」と思いつつ、その人に「それだと『失礼しますた』になっちゃうので、せめて『ました』とかにしてもらえると…」と伝えた。
が、それから数日後、別の人も同じことをしているのが目に入ってしまった。

良く考えなくても、複数のクラスで同じことが起きていたのだから当然一人だけがそうしていたわけではない。そうなのだけど、実際にそういう現実を目の当たりにすると何もしてないのに疲労が溜まる感じがする。とりあえず、一人ひとりに言ってもしょうがないのでまとめ役を担う人にその旨を伝えた。

こういう時に思うのは「また口うるさいと思われるんだろうなぁ」とか「自分だって完璧ではないのにあれこれ上から言ってるみたいだよなぁ」みたいなことだけど、かといって言わなかったら根本的な解決ができないので、そうなれば私はずっと細かいストレスを抱え続けることになる。それが積み重なってどうかした場合の方がよっぽど問題なので、言うしかない。

つくづく、教師というのは自分を棚上げにして物を言わなければならない仕事だなぁと感じる。そうは言っても私は基本的に勉強だけ教えていればいいので、気楽なものである。

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