特別な事が無い限り
外出をした時は
「私の庭公園」を通って家に帰って来る
「私の庭公園」を通って家に帰って来る
昨日は
北風が強くまともに歩く事ができなかった
踏ん張りがきかないのである
見渡せば 皆さん寒そうではあるが 普通に歩いていらっしゃる
華麗加齢なる戦いは私1人だった
踏ん張りがきかないのである
見渡せば 皆さん寒そうではあるが 普通に歩いていらっしゃる
スーパーで買い物をしてきたのだが
レジの若者が 清算したかごを 袋詰めできる場所まで運んでくれた
私の知る限り
お年寄りや妊婦さん等への弱者に対する
お年寄りや妊婦さん等への弱者に対する
店側サイドの決まり事の行動との認識だが
初めてその親切を受けてしまった
初めてその親切を受けてしまった
とても有難かったが 気持ちは複雑である
まだ電車やバスで席を譲られた事はないが
でもそんな親切は素直に感謝します
朝の通勤時
私はまだ20代前半で元気が有り余っていた なのに
運よく座る事ができた
いつも半端ない満員電車である
忘れもしない時間は7時半ごろ
「渋谷」行きの電車内 井の頭線での事
朝の通勤時
私はまだ20代前半で元気が有り余っていた なのに
運よく座る事ができた
いつも半端ない満員電車である
忘れもしない時間は7時半ごろ
「渋谷」行きの電車内 井の頭線での事
50代に見える女性が ひょっとして40代だったかもしれないが
「明大前」より乗ってこられた
40年以上も前は その年代の女性は
40年以上も前は その年代の女性は
朝の通勤時にあまり電車に乗っていなかった
珍しい事だった
珍しい事だった
女性の ヘアスタイル 顔 服装 表情もすべて覚えている
私の前に立たれたその女性に
間髪入れず「どうぞ」と席を譲ってしまった
私の前に立たれたその女性に
間髪入れず「どうぞ」と席を譲ってしまった
その女性は会釈をして座られたが
苦笑いをしての あの何とも言えない表情が忘れられず
その後何度も走馬灯のように蘇る
苦笑いをしての あの何とも言えない表情が忘れられず
その後何度も走馬灯のように蘇る
人は誰しもその瞬間を経験すると思う
自分は自分であるが
誰もが年を重ね 自分が弱者として認識され
手を差し伸べられる最初の瞬間に遭遇する
自分は自分であるが
誰もが年を重ね 自分が弱者として認識され
手を差し伸べられる最初の瞬間に遭遇する
私は自分からは
人様に甘える事が苦手で
それは今もであるし これからもそうであると思う
昨日のスーパーでの
「重い」1歩も 決して嫌ではなかった
人様の親切に
素直に「ありがとうございます」と従い甘える自分
人生の肩の力が「抜けた」瞬間であった