ふきの指定席

のほほんと 生きて 来たりて 過ぎて行く
そんな人生です maybe… 

渋谷ジャンジャンと弘田三枝子さん

2020-07-28 03:44:02 | のほほんの記
1975年前後だったか…
20代の私は 何も予定がないと 
渋谷ジャンジャンに 
ふらっと訪れるのが常だった
200人たらずしか入れない 小劇場だったが
当日券を買えなかった事は一度もない
 
その日は弘田三枝子さんだった
「人形の家」のヒット曲を出されて数年が経っていたと思う
ダイエットをされ随分細くなられていた
整形されたお顔も痛々しく
パーマがきつくかかったロングヘアー
半端なしの香水の匂い
その存在に一瞬息を呑んでしまったが
彼女の人柄 
彼女が歌うスイングジャズのかろやかさに
私はいっぺんに彼女のファンになってしまった
 
数曲歌ってにこやかに挨拶をされた後
何かリクエストがありますかと客席に
一番前に陣取っていた
黒人のハーフの女の子が
「人形の家」をリクエスト
その日はジャズライブの看板だったので
周りの客からブーイングが
ミコさんはそんな観客達をたしなめ
その「女の子」に心からの謝意を示された
「人としての初々しさが残る」とても綺麗な女性だった
その女性は私と同じぐらいか 
ひょっとして歳が上だったかもしれない
「女の子」と書いたのはそんな私の印象からだ
今でもはっきりとその女性の顔を思い出す事ができる
あれから45年ほど経っているわけだから
どんな人生を歩まれたか 
一期一会の扉を紐解きたい気持ちになる
その時 私も「人形の家」を聴きたく思ったが
ミコさんは歌って下さらなかった
その女性にも
ブーイングをした人たちにも
その尊厳を保ち場を丸く収めたミコさん
すごい人でした
 
ジャズは全て原曲で歌われていたが
そのうまさに聴きほれ心も身体も痺れちょびれ
その時が 
ミコさんの歌を聴いた最後であり
お見かけした最後である
 
73歳での訃報をしり まだお若いのにと 
もっと歌を聴か無かった事が悔やまれる
 
心よりご冥福をお祈り申し上げます 
 
 
 
 
 
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8 コメント

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Unknown (teriosu231224)
2020-07-28 04:43:14
ふきさん おはようございます!
弘田三枝子さんがお亡くなりました
また、昭和の偉大な女性が消えて行きます
色々な想い出がおありでしたね、寂しいですね
少し早かった様です、も少し・・・。
返信する
Unknown (ふき)
2020-07-28 05:09:23
masaさん
おはようございます
渋谷ジャンジャンはとっくになくなってしまいましたが
青春時代の多くの時間を この場所で過ごしました
旅立たれた方も多くいて 時間の儚さを思います

70代での旅立ちは まだ早すぎます
すばらしい歌手でいらしゃるのに
弘田三枝子さんの 整形されてのお顔の印象が辛く
あの時以降 彼女の歌を聴く事はありませんでした
美の巨人たちは 私の理解を超えた 扉の向こうの存在です
あまりマスコミに登場される事もなくでしたが
ミコさんの感性はすごいとの印象は 深く私の心に刻まれたままです
ご冥福をお祈りするのみです
返信する
Unknown (harurarara)
2020-07-28 06:25:41
ふきさん、おはようございます。

渋谷ジャンジャン…私も青春の1ページでした。
当時、大好きだったシュガーベイブや憂歌団を観に行ったりで。懐かしい場所です。本当に昭和は遠くなりました。

弘田三枝子さんは、やっぱり、あのパンチのある歌声の「バケーション」ですよね。子供ながら?歌っていたなぁー私(笑)
返信する
Unknown (ふき)
2020-07-28 07:27:18
harurararaさま
おはようございます
私が渋谷ジャンジャンに足繁く行っていたのは 1970年代です

>子供ながら?歌っていたなぁー私(笑)
あれれ
念のためブログにお邪魔してお歳を再確認(爆)

私には渋谷ジャンジャンが先にあり の後にアーチストの方が続きます
時間があれば 誰かまわずの場でした
harurararaさんと シンクロしていたかもしれませんね

昭和はいい時代
渋谷はいい場所
私にとっても 懐かしい青春時代が そこにありました
返信する
Unknown (ふわり)
2020-07-28 18:21:22
こんばんは。
弘田三枝子さんが整形されたのには
びっくりしたことを覚えています。
わたしからすると可愛いお顔立ちでしたが
ご自分では想うことがおありだったのでしょうね。
歌はテレビ番組でですがよく聴きました。
あの、ほら、あの歌…
ああ…題名が出てこない。
横文字の軽やかな歌。
歌っている笑顔が浮かびます。
ご冥福をお祈りいたします
返信する
Unknown (ふき)
2020-07-28 18:38:38
ふわりさん
話はぶっ飛びますが
母の女学校の同級生が 中学の時の数学の先生でした
その先生鼻の整形をしていて 
3年間その不自然な鼻ばかりを見て過ごしました
クラブの顧問でもあり 父親と麻雀仲間の先生でもありました
まだご健在です
で それから数年後の 弘田三枝子さんのお顔
今から45年ほど前の事でした
整形しなくても 可愛い女性なのに
実際拝見した時 かなりのショックを受けてしまいました
でもそれを凌駕するほどの アーチストでもありました
ブログに書かせて頂いた その日の事は 鮮明に記憶しています
ふわりさん
皆 順番に逝ってしまいますね  
返信する
Unknown (デ某)
2020-07-31 10:31:42
カメコメ失礼します。
日常的に?お訪ねするのはやめ 直近のブログ記をまとめて拝読しています。

「渋谷ジャンジャン」には反応ナシ!ながら 「弘田三枝子さん」に感電!
彼女、私のピッタリ!同世代です。
様々な思いをこめて心から彼女のご冥福をお祈りします。

多くの方と同様 私の彼女との出会いは「VACATION」でした。
中学校の英語でこのスペルを間違える生徒は皆無でした。
ジリオラ・チンクエッティやミーナのカヴァー曲も素晴らしかったです。
あのパンチと笑顔、屈託のない語り、仕草…すっかり惹かれました。

ですから整形され表情をなくされてからの彼女に 失望しました。
「弘田三枝子を奪った」整形美容を憎みました(今も!)
「人形の家」は整形美容そのものを連想させ聴きたくありませんでした。
でも整形したご自身に彼女は彼女で納得していたのかなぁ、とも思います。
整形も含めてそれら総てが弘田三枝子さんであるなら
私は弘田三枝子さんの本当のファンとは言えません。

弘田三枝子さん「砂に消えた涙」… 聴きながら少し苦しくなりました。
https://www.youtube.com/watch?v=kpSJkpMLQ9s
返信する
Unknown (ふき)
2020-07-31 13:50:00
デーさん
今リコメを書きあげたんですが 消えてしまいました
ザク😢

ミコさんの歌を 今一緒に歌っていました
歌詞がなくても 半世紀振りに聴いても 
覚えていました 
脳の仕組みは複雑だけど 偉大でありますね
当然 今の事は全然ダメです

渋谷ジャンジャンでのあの一コマは
人生で何度も思い出します
ミコさんの歌は圧巻でした
整形も圧巻でした 
当時でも不自然に口の周りはパンパンの状態
それ以降も整形を何回か繰り返されていますが
その心理は私には理解できません

今でもはっきりと覚えていますが
歌番組で舟木一夫さんが「ミコちゃん太っているね」と
ご本人の前で揶揄したのが放送されてしまいました
それからすぐミコさんは ダイエットそして整形の道に…

いろんな事を 人間は気遣い乍ら 生きていかねばならないのですね
その時私も学びましたが
失敗ばかりの人生であります
ここに来て
コロナ禍で のほほんな日々に 
楔を打ち込まれ身動きできなくなるとは
予想だにしませんでした
悔しいですね

ミコさんの歌を歌っていると
不思議と元気になれそうな気がします

デーさん ご自愛下さいますように o^―^o
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