1975年前後だったか…
20代の私は 何も予定がないと
渋谷ジャンジャンに
ふらっと訪れるのが常だった
200人たらずしか入れない 小劇場だったが
当日券を買えなかった事は一度もない
その日は弘田三枝子さんだった
「人形の家」のヒット曲を出されて数年が経っていたと思う
ダイエットをされ随分細くなられていた
整形されたお顔も痛々しく
パーマがきつくかかったロングヘアー
半端なしの香水の匂い
その存在に一瞬息を呑んでしまったが
彼女の人柄
彼女が歌うスイングジャズのかろやかさに
私はいっぺんに彼女のファンになってしまった
数曲歌ってにこやかに挨拶をされた後
何かリクエストがありますかと客席に
一番前に陣取っていた
黒人のハーフの女の子が
「人形の家」をリクエスト
その日はジャズライブの看板だったので
周りの客からブーイングが
ミコさんはそんな観客達をたしなめ
その「女の子」に心からの謝意を示された
「人としての初々しさが残る」とても綺麗な女性だった
その女性は私と同じぐらいか
ひょっとして歳が上だったかもしれない
「女の子」と書いたのはそんな私の印象からだ
今でもはっきりとその女性の顔を思い出す事ができる
あれから45年ほど経っているわけだから
どんな人生を歩まれたか
一期一会の扉を紐解きたい気持ちになる
その時 私も「人形の家」を聴きたく思ったが
ミコさんは歌って下さらなかった
その女性にも
ブーイングをした人たちにも
その尊厳を保ち場を丸く収めたミコさん
すごい人でした
ジャズは全て原曲で歌われていたが
そのうまさに聴きほれ心も身体も痺れちょびれ
その時が
ミコさんの歌を聴いた最後であり
お見かけした最後である
73歳での訃報をしり まだお若いのにと
もっと歌を聴か無かった事が悔やまれる
心よりご冥福をお祈り申し上げます