那知熊野座神社までポタリング
2020/2/13(木) 晴
今日の最高気温予想18°天候晴れの陽気に誘われポタリングに出る。
目的地は、那知熊野座神社と田原坂攻撃官軍追跡(一の坂・二の坂・三の坂登坂)とする。
県道31蓮台寺交差点から坂を下り、JR鹿児島本線下を潜り那知地区を目指す。
那知集落に上がる道の右手崖下に蜜蜂の巣(写真1参照)が並んでいる。
その巣の後ろに横穴が見える。
この横穴は、入り口が半分以上埋まっている(写真2参照)が、古墳時代の横穴群であろうと推測する。
羨門部は無いが、この奥壁の形状(写真3参照)からして、横穴古墳群でほぼ間違いないと思う。
ヘヤピンカーブの道を上り、那知熊野座神社参道階段(写真4参照)に到着する。
鳥居扁額(写真5参照)を確認する。
鳥居右手に旧植木町標柱(写真6参照)がある。
隣の説明板に「獅子頭等の文化財は、県立美術館に寄託中」とある。
その標柱の先に説明板(写真7参照)がある。
延歴二年(783年)に、紀国那知ように熊野権現を勧請したとある。
「安徳天皇、寿栄(永)元年(1182年)菊池隆直が勧請」とあるが、勧請の神様が分からない。
社の右横に四柱の祠(写真8参照)がある。
更に北東に側に一柱の祠(写真9参照)がある。
西北側にも祠(写真10参照)がある。
「・・・山の神を遷座・・・」とある。
南西側に四柱の祠(写真11参照)がある
手前の二柱は、赤色顔料が塗布してある。
その祠を後ろ側から見る(写真12参照)
祠の赤色顔料は製作後塗布されたようだが、石は出土した古墳石を使ったようでもある。
神社境内が円形になっていて、円墳を削平したようにも見える。
「那知」の地名は元からあったものか?「熊野座」を勧請したから付けたものか?
横穴墳があり、高地性集落でもあるので、古い歴史を有する地区であろうと推測する。この後田原坂に移動するが、本日のブログはここまでとしたい。
熊本(自宅)17km→田原坂攻撃官軍第一陣地跡18km→熊本(自宅)
所要時間4.5時間(実3.5時間) 総計35km 走行累計31,392km
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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