黄櫨山大城之神・七本薩軍墓地
2019/9/2(月) 曇/晴
走行累計3万kmまで後600km程。150km/月走行できれば年内に到達できる数値になった。
そういうことで、体力の回復と走行距離を稼ぐため、午後2時半からポタイングに出る。
走行所用時間3時間、往復30km程度と遠くへは行けないので、近場で魅力的な所を探す。
フードパル北側の台地の山裾に、こんもり盛り上がった土手(写真1参照)が見える。
台地の山裾から僅かに染み出す水を溜める農業用の溜池だ。
その水源の上には、水神さんの御堂(写真2参照)が建つ。
水量は決して多いとは言えないが、古い時代にあってはこれでも貴重な水源であったことを思わせる。
その御堂の横を通り台地に上がる道を辿ると、古墳とも思える塚(写真3参照)がある。
その塚に上がると祠(写真4参照)が祀ってある。
鳥居の扁額(写真5参照)を見ると、「黄櫨(こうろ)山大城之神」とある。
Webを検索したところ、「山櫨はわが国にも自生するが、ハゼノキ(琉球櫨)が枝も大きく茂り、果実も大きくロウ採取原料としては優れるため、江戸時代は藩の貴重な財源であった」とあった。細川藩には櫨方という役職もあり、熊本城には櫨方門という城門も残る。
仮定の話だが、大城さんという琉球の人が黄櫨(琉球櫨)を持って来熊し、栽培を指導した。その方の功績に感謝し、お墓(写真6参照)を造り、神様としてお祀りしたのであろうと推測した。
道を少し進むと屋敷神(写真7参照)が祀られている。
更に道を北に辿ると社(写真8参照)が見える。
鳥居の扁額(写真9参照)は、霜神社とある。
これもWeb検索する、阿蘇市の霜神社がヒットしたが、他にない。
拝殿の傍の景観(写真10参照)は、境内の一部が少し盛り上がった所と、その向こうに墓所がある所かして、もしかして産土神社か?とも思う。
熊本県は内陸性気候で、「霜野」という地名もあることであり、霜の神に冷害回避を祈ったかもしれない。
黄櫨山大城之神・笹尾のシダレザクラ
2017/3/30(木) 晴
天候は晴れ。午後3時から2時間限定のポタリングに出る。
熊鹿ロードを北へ走り、さて、ブログのテーマになりそうな所と考えて、26日に部分開通した熊本西回り環状道路(県道342)を見に行く。
和泉町の台地に上る坂の先端に円筒形の珍しい石塔が見えた(写真1参照)ので立ち寄ってみた。
「黄櫨山大城(坊?)之神」の扁額を掲げた鳥居(写真2参照)がある。
墳丘に一部と思える土塁と信仰の対象にされている石塔(写真3参照)がある。
正面には仏教のお題目と、側面には「無縁法界之塔」の文字が刻んである。
崩壊された古墳の跡を信仰の対象として整備したものと考えた。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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