2019/9/2(月) 曇/晴
走行累計3万kmまで後600km程。150km/月走行できれば年内に到達できる数値になった。
そういうことで、体力の回復と走行距離を稼ぐため、午後2時半からポタイングに出る。
走行所用時間3時間、往復30km程度と遠くへは行けないので、近場で魅力的な所を探す。
次に向かった所は、北区植木町の七本柿木台場薩軍墓地(写真11参照)
説明板(写真12参照)には、「明治10年(1877年)の西南戦争には熊本からも熊本隊、共同隊及び龍口隊などが参加した。この周辺の戦いは3月初めから吉次、田原坂付近で戦われいる。3月20日田原坂の戦いが終わると、吉次、木留、植木などを中心に戦われた。この墓地には、3月14日七本で戦死した熊本隊3番小隊長城市郎ほか、この周辺で戦死した薩軍311名が埋葬されている。玉東町原倉にも薩軍の墓がある。」とある。
ひと際大きな石の碑は「西南戦争薩軍戦没者墓碑」(写真13参照)
墓碑側面には墓碑改葬の由来(写真14参照)が刻んである。
北東の隅にも一基(写真15参照)あり、四面に文字を刻んであるが拓本でも採らなければ読めない。
敷地南西方向(写真16参照)からは、半高山、横平山、瓜生田方面がよく見える。
説明板(写真17参照)では、吉次峠の激戦と、政府軍が瓜生田の砲兵陣地から田原坂方面を攻撃したことを伝えている。
時刻は16時半近く、日没までに帰宅するよう帰途に就く。
今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)17km→七本柿木台場薩軍墓地14km→熊本(自宅)
所要時間3時間(実2.5時間) 総計31km 走行累計29,427km
七本薩軍墓地
2015/5/25(月) 晴
天候は晴、気温が下がる夕方午後4時半出発。2~3時間の予定で方向は北。
熊鹿ロードから県道31を北へ走る。万楽寺町入り口で道祖神(写真1参照)を見る。道路拡幅ですっかり新しくなっている。
昔の素朴な道祖神も良かった。並べて置いてあったら尚良かったと思う。
万楽寺町は、薩軍が木留の本営を撤退した後一時的に本営を置いた場所。
万楽寺町は西谷川の谷間の集落で地理的は不便な条件下にあるが、この川の上流の大多尾にも薩軍は布陣していたという。
布陣していたというよりも、隠れていたという方が実態に近いのではなかろうかと考えられる。
木留地区まで来て、目的地を考える。
半高山も選択肢としてはあったが、この時期蜜柑山は消毒の季節。消毒財の臭いは苦手だから田原坂公園を選択する。
田原坂公園手前左方向の七本薩軍墓地(写真2参照)を見る。薩軍311名が埋葬されているという。
個別の墓碑はない。
自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。
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