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熊本から気ままに山と自転車のブログ

清原神社

清原神社
2018/5/20(日) 曇

市立図書館の図書返却期限日であることを思い出し、本の返却のため夕方ではあるが自転車で出かけた。
私のなかでは、30km未満は記録として残さないとしてきたが、このところ自転車走行距離の記録がのびていないので、近場でもブログネタを探し記録することにした。
そのような訳で、思いついたのが北岡神社の薩軍本営跡と清原神社。
大江から白山通りを熊本駅方向に走る。
駅前を通り北岡神社南西の隅の「西郷隆盛先生本営跡」の石碑(写真1参照)を見る。


説明板(写真2参照)では、2月22日からの熊本城総攻撃のため2月23日にここ北岡神社神官光永大膳宅に本営を移した。ここは北岡の山陰にありはじめは安全であったが、3月11日以後は砲火が集中するようになり、急遽二本木に本営を移したとある。


次に訪れたのは、北岡を北側に廻った崖下にある清原神社(写真3参照)


標柱(写真4参照)では、
清原元輔は肥後国司として寛和2年(986年)か、ら正歴元年(990年)まで治めていた。
清少納言の父でもあり、36歌仙に数えられるほどの歌人で、また当時の肥後の女流歌人桧垣とも交流があったと伝えられており、鼓ヶ滝や藤崎宮の歌等が歌集に残っている。正歴元年に亡くなったときは83才でしたとある。
79才で赴任したことになるが、そうとうの高齢である者を赴任させる社会とは、どういう社会制度であったか興味深い。
また、細川幽斎(ゆうさい)の生母が元輔の子孫清原いと(マリア)の大伯母に当たり、いと(マリア)は忠興の妻となった明智珠に自ら洗礼を授け、珠はガラシャの洗礼名を得た(Wikipediaより)


今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)11km→田崎橋7km→熊本(自宅)所要時間2時間(実2時間) 総計18km 走行累計24,758km


自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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