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エッセイ『独白』八八千景

2022-04-01 21:00:47 | 日記

 

 性的マイノリティと題した枠組みは、自分にとって都合が良い自己表現だった。自身の喪失とともに突如として姿を現し、不要に熟慮させ、時に断行する。
 過去から引用した規定の型に、変容し続ける現代人が収まるはずがない。人間とは日ごとに変化するが、変化に抗う旧人類の行いで、日ごとに、生きづらい社会を生成していく。残念ながら。しかし、社会とはそういう、腐ったものでもある。腐っているから社会と呼ぶ。
 普及したインターネットに守られるように、昨今では様々なことが明るみになる。以前ならば隠し仰せていた社内のハラスメント、問題行動が、一個人の手で世間の目に晒されるようになり、時として途方もない数の世論を敵に回すことにもなる。
 一方で、「いちいちそんなことを気にしてパワハラだなんだと言われても困る。これでは何一つ会話が出来ないではないか」と声も耳にした。これは、忌々しい前職でだ。
 いちいち気にしている、のではない。これまで水面下に隠れていた・隠していた・揉み消されていた弱者の声が、ようやくこの時代になって目に見えるようになっただけである。これで「会話に困る」と宣うのなら、自分は他者を卑下することでしか会話ができない愚かな人間だと公言していると気が付かないのだろうか。
 弱者の声が世論になる。
 便乗するように、様々な「かつて弱者だった者」たちの声も顔を出す。水を得た、魚のように。ここで声を出さなければ、闇に葬られることを知っていたから。
 ハラスメント、暴力、虐待、体罰、虐め。
 様々なものが明るみになり、様々な人が便乗し、そして、様々な人が自己を知る。
 ひとりで抱えていたはずのものに味方が増えた。
 弱者にとって、それは大いなる一歩だった。
 そんなことを考え、それから、自分が弱者側の人間だと知った。

 繰り返す。
 性的マイノリティと題した枠組みは、自分にとって都合が良い自己表現だった。

 過去より、自分と他人との間に圧倒的な境界を欲しがっていた。他人との差があれば良い。少々目立つ名前、少数派の利き手、性別に沿わぬ好み、遊び。
 女の子らしくと言われれば言われるほど、反発した。嬉々として、反発した。普遍的な女児ではありたくないと思っていた。「普通ではない」と思われたかった。それだけだ。そこに、性自認が男だから、女ではないから、などは微塵も含まれない。
 ただ、周囲とは違う存在でありたかった。

 入学と卒業を三度繰り返し、企業への入社等を通して、徐々にその思いは廃れていく。社会というのは「右へ倣え」を好んでいる。逸脱した個人は扱い難いために全て統一される。その過程を「教育」と呼んだ。

 私がもっとも嫌うものだった。

 くだらない社会に辟易していたとき、そんな社会に反発している人間がいた。生きづらさのために声を上げている人々だった。彼らは悩んでいたのだ。性別としての役割を押し付けられることに。肉体からの情報をだけで力量まで判断されることに。
 所詮、肉体は脂肪と水分の詰まった肉袋にすぎない。そんなことは誰だって理解している。理解していると思っていた。しかし、そんなことも理解していないのが、社会だったと知った。
 時代の波に乗り、反発する彼らに羨望を感じた。
 自分たちは奇怪だ(普通ではない)、と豪語しているように私には聞こえた。(しかし普通というのは、右へ倣えの教育が生み出した単なる機械人間のことを指すため、実際には『奇怪な人間』の方が大多数に違いないのだ。)
 ただ、普通では「ありたくない」との思いのために、私も彼らの枠組みに参入することにした。

 なぜ男児の遊びを好んだのかの理由を彼方に追いやり、無駄に、自己の精神に問いかけた。そうであってくれとの願いも込めた。
 枠組みへの参入は何も無駄ばかりではなかった。人間の三大欲求のひとつである性欲への関心が微塵も存在せず、それは「普通ではない」ということ。しかし為になったのはそれだけだ。

 私は彼らになりたかった。
 彼らと同じ精神を持ち合わせたかった。

 それは冒涜だと、今の自分なら理解できる。真剣に悩む彼らの背中に、笑顔で槍を射すようなものだ。口が裂けても羨ましいとは言えない。だが、羨望は止まない。

 奇異を望み、彼らのフリをしたところで、所詮、私は私でしか有り得なかった。
 しかし、かつて所属していた社会で出来た自己表現はこの程度のものだったのだ。アクセサリー禁止、染髪の禁止、揃えられた制服、制限された多くのもの。外見の表現が禁止されているなら、精神の殻だけでも表現していなければ、保たなかった。
 しかしそれも、禁止事項のひとつだった。

 死を覚悟したところで退職した。
 辟易していた。

 退職したことで彼らに対する病的なほどの羨望は止み、新たな自己表現を模索している。
 奇怪なものを好み、普遍的なものを嫌い、許されざる悪しき文化に心を躍らせる。それは、たかが性別ひとつの範疇を越えた、暗く美しい奇異なる精神だ。

 前職で抑圧し続けた精神の果てに、喪失した自己の片割れ。私は今も、片割れを探している。


※一部、性的マイノリティに関して侮蔑的だと感じる文章がある可能性がありますが、私自身に侮蔑の意思はございません。ご容赦ください。



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