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僕の大好きな日本人画家 ByBoss

2011年02月22日 | 日記 By BOSS
それは佐伯祐三です。

佐伯は画家としての短い活動期間の大部分をパリで過ごし、フランスで客死した。
1898年(明治31年)大阪中津生まれ。
旧制北野中学(現・大阪府立北野高等学校)を卒業。橋下知事と同じや!、
1918年(大正7年)東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学し1923年(大正12年)に同校を卒業した。

佐伯はその後満30歳で死去するまでの6年足らずの画家生活の間、2回パリに滞在し、代表作の多くはパリで描かれている。第1回のパリ渡航は1924年(大正13年)1月から1926年1月までで、約2年の滞在であった。1924年のある時(初夏とされる)、佐伯はパリ郊外のオーヴェール・シュル・オワーズ(ゴッホの終焉の地として知られる)に、フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪ねた。佐伯は持参した自作『裸婦』を見せたところ、ヴラマンクに「このアカデミックめ!」と一蹴され、強いショックを受けたとされる(その後、何度か彼の下に足を運んでいる)。事実、この頃から佐伯の画風は変化し始める。この第一次滞仏時の作品の多くはパリの街頭風景を描いたもので、ヴラマンクとともにユトリロの影響が明らかである。佐伯はパリに長く滞在することを望んでいたが、彼の健康を案じた家族らの説得に応じ、1926年にいったん日本へ帰国した。パリでの友人である前田寛治、里見勝蔵、小島善太郎らと「1930年協会」を結成する。

2度目の滞仏はそれから間もない1927年(昭和2年)8月からであり、佐伯はその後ふたたび日本の土を踏むことはなかった。佐伯は旺盛に制作を続けていたが、1928年3月頃より持病の結核が悪化したほか、精神面でも不安定となった。自殺未遂を経て、セーヌ県立ヴィル・エヴラール精神病院に入院。一切の食事を拒み、同年8月16日、衰弱死した。

現在、佐伯の作品は大阪市立近代美術館建設準備室50点、和歌山県立近代美術館14点など、全国34ヶ所に所蔵されている。
以上Wikipediaからの参照でした。

僕の大好きな作品は当然これです。

自宅の玄関にも飾ってあります。


明日2月23日は福田典之のニューアルバム『Smile Again』の発売日です。
ポップスセンスにあふれた素敵なミュージック。
是非お買い求めください。
店頭にない場合は
流通:ダイキサウンド
品番ARCD-1032
ご予約ください。