なんにもない主婦のなんにもしない日記

何もない自分でありますが、どんな出来事にも幸せな意味があるから、毎日、楽しみに生きている日記。

あさはかな女

2016-03-02 | 結婚ものがたり


当時、付き合っていた人と
年齢的にも時期的にもお互いのタイミングが
合ったところで、

「結婚しましょう」となりました。

相手の実家が遠く、島であったため
挨拶に行ったのですが
車で12時間かけて
午後の11時に到着とか、すっごい疲労でした。

でも、「彼のご両親なんだから良い人に決まっている」
と信じて疑わなかった私は

いつもより控えめなメイクと、ネイルは塗らずに
大人しめの服装で、緊張のまま対面の時を迎えました。


そりゃ、気が軽いわけなく
心細く、味方は彼だけ、そんな状態の午後11時すぎ。。


ご両親に玄関で「はじめまして!」と引きつりながら笑顔をつくり
挨拶をしてみると

両親とも、ニコリともせず
父親の「おこしやす」と言う言葉だけで
母親は、そのまま私を無視して息子である彼を見て
なんだかんだ話しかけて
三人で奥に入っていくので
私はあわてて後から付いて行ったわけです。

ていうか
到着時間にミスがありましたね。
そんな時間に

私たちは遅くまで起きて遊んでいる年代ですが
ご両親はたぶんもう就寝時間だったかもしれません。

息子が帰ってくるというので
その姉夫婦と子供二人まで遊びに来ていたわけで。。


お腹が空いているわけもないのに
夕食で姉夫婦たちも食べたであろう
エビフライと、コロッケとキャベツを
応接室のような場所で出され

目の前にご両親ふたりが座ってじっと見ている

食べれるわけねーし!

しかも私は、異常にくるんとしたエビフライに
気を取られてしまい

「なんでこんなに曲がってるんだろ」と
そればかり考えていました

こちらの緊張とか不安とか
まーーーったくわかっていない風な彼が
やっと

「こないだ電話で話したけど、この人なんよ」

って。簡単な、言い方だわね。。


ご両親は何がそんなに気に入らないか
もったいないか
威嚇したいのか

顔はむすっとしたまま、談笑なんぞもってのほか!的な感じで
母親が

「一人っ子と聞いてますけど、そうなると、今の姓は消えることになりますね」

と、まず、確認してきたので

「親にも、それは承知のことで育ててきたので気にしないと言われました」と
笑顔で答えてみたが

能面のごとく固まった顔

次に
「ひとりであれば、自分の親の面倒はどうしますか」と言うので

「みます」と答えると

「では、私たちの面倒はどうしますか」と聞かれ

「みません」と答えればどうなっていたかは今ちょっと興味あるけど

「みます」と答えました。

そうすると
「両方、みるって言ったってねぇ」って、何が望みだったんだい?


今もこういう世界は存在しているんですね
って、私は疲れていたし眠かった記憶しかもうありません。


「あんたには、私たちの面倒みてもらわにゃならん」って
最初からそこなんだ~

父親は何か話していたのかすら覚えていない
笑うことができなかったのは
眠かったからなのかもと、今はそう思うことにします。


やっと、冷えたエビフライを前に食べることもなく
お話だか、威嚇だか、確認だかが終わり
その日は泊めてもらうことになっていたが。。



寝る支度をあれこれしている間も
彼は私のそばにはいてくれず、ひとりくつろいでいたのでした。

私の布団の用意をしてくれて、その横に母親がもうひとつ布団を持ってきて

「私も一緒に寝ます」と言うではありませんか!!

それを聞いて支度をしてくれてた彼の姉が

「えー。今日は長時間車だったし、疲れてるだろうから寝かせてあげれば?」
と言ってくれたのです。

しかし母親は

「あら、私と寝るのいやですか?」と私に聞いてくるという反則行為。。

「いやです」と言ってみたい今ですが
「いやなわけないですよ」と笑顔引きつり言うしかないしね~でした。


そんな状態である私のなんとも、今すぐ帰りたいような気持も知らず
向こうからくつろいだ彼が
「俺はどこで寝ればいいん?」ってにやついて言いに来るというね。。


なんなんだ、ここは、この現実はなんなんだ!!と心の叫び
誰にも届かず。。


そうして初対面、能面、面接官の母親と布団を並べたのですが
母親から
「東京での息子の様子なんかを聞かせてちょうだい」と言われ

様子ってなんじゃ?知ってるのは私といる時のことだけで
あとの様子は知りませんけど、、と思いながらも
何かひとこと、二言、話したかどうかも覚えていないくらい

そのまま眠っていたみたいです。
そりゃ寝るよね。。

時すでに午前1時にはなっていたでしょう。

とにかく早く去りたかった。
来た意味あったのだろうかと思いながら

結局、私に対して能面のまま、帰り際も息子にだけ話しかけ
私には一瞥もくれなかったことが、かなり印象的でした。
この一瞥もない行動は、ずっと続いていくんですけどね、ははは。。

てか、私何もしてないのに
存在だけで否定的だったのでしょうかね。


その後も、たびたび、彼は親から「結婚反対」の意見をされ
何度も話していたようです。

「こっちに帰って、見合いすれば?」とか
本気で言っていたのかなぁ
いや、あの人なら、本気だったんだろうなぁって今思います。

そして

「あの人はちょっと浅はかなんじゃないの?」
あの人って私ですけど。

浅はかの意味って知ってますか。

思慮の足りないさま。だって!なんだって!浅はかってか!!

今でしたら、「そうかもしれませんね」と言えそうですけど
そう言われたと教えてもらったのはだいぶ後のことでした。


そんな風に、私のことを初めから認めようとも見ようともしなかったのは
息子が勝手に決めてきたから気に入らなかった、のかもしれません。


最初が肝心って、本当にそうですね。

あの頃の私は、なんていいお嬢さんだったんでしょうか
頑張っていたと思います。


そんなものがたりは、ここから30年続くのでした。

昨日のことのように、しかも自分のいいように
記憶されてる気もしますがね。。。


ありがとうございました。







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