童門冬二さんの書いた「人望力の条件」を読みました。童門冬二さんは歴史への造詣が深く、歴史街道という雑誌などにも連載をお持ちの方です。旧制中学卒業後、東京都庁に勤め、退職後に本格的に作家活動をなされた方です。
さて、この本ではいくつかの歴史の偉大な人物の行動学より、学びを悟るものです。その中で新たにためになったことを紹介します。
織田信長は地域の豪族の子供を人質として小姓(主人に使え、身の回りのお世話をする)として使いました。ここで、信長は次のように試します。
小姓を呼び、「爪を切った。拾って捨てろ。」と命じました。
そこで、小姓はちり紙を出し、爪を包み込みましたが、なかなか立ち去りません。
小姓はしばらく考え込んで「爪が1つ足りません。」と言います。
そして、それを聞くと信長は「ほう。」と言って、足りない爪はここにあると手の中に隠しておいた爪を差し出すのです。
ただ爪を拾うという単純作業でも細心の注意を払うことは何が起きるか分かれない戦国時代に些細なことでもに気づく能力を試したのかもしれません。
もうひとつ。松平定信の忠義を尽くし、人を育てる能力は抜群だと思いました。
松平定信は田安定信と言って、徳川吉宗は紀州徳川家の出身だが、尾張徳川家との将軍の座を争い、これに懲り、自分の子孫を将軍職に就けるよう御三卿と言われる「一橋家、田安家、清水家」と分家を作りました。
一橋家の当主の治済(はるさだ)が自分の息子家斉を将軍にするためにとても優秀と言われた田安定信を時の老中田沼意次と図り、奥羽白河(福島県)の松平家の養子に出させます。
これにより、一橋家斉は将軍となりました。家斉は世論に押され、賄賂で汚れた田沼意次を追放し、ともすれば将軍になっていた優秀な松平定信を筆頭老中として迎えました。
白河にいるより江戸に松平を呼んだほうが安心だと考える家斉の器量もすごいですが、使えた松平は役人の綱紀粛正を行い、自分が判断して決裁してもかまわない案件も将軍に持っていきました。
そこで家斉に判断を仰ぐのですが、家斉が即断すれば「しかし、そのように行いますとこういう障害がでます。」と押し返し、「では、これではどうだ」というと「前よりも結構な案ですが、こういう支障も起きると考えられます。」といい再考を促します。
家斉も困ってしまい「定信ならどうするか?」と答えも求めても、定信は「では一晩お考え遊ばせ。明日おうかがいしましょう。」と言い、ヒントを残し、結論を考えさせました。
ティーチングではなく、コーチングし、帝王学を学ばせませた。清廉潔白で優秀、不条理な待遇を受けても国のために仕えた松平定信という人物に尊敬の念を抱きます。
さて、この本ではいくつかの歴史の偉大な人物の行動学より、学びを悟るものです。その中で新たにためになったことを紹介します。
織田信長は地域の豪族の子供を人質として小姓(主人に使え、身の回りのお世話をする)として使いました。ここで、信長は次のように試します。
小姓を呼び、「爪を切った。拾って捨てろ。」と命じました。
そこで、小姓はちり紙を出し、爪を包み込みましたが、なかなか立ち去りません。
小姓はしばらく考え込んで「爪が1つ足りません。」と言います。
そして、それを聞くと信長は「ほう。」と言って、足りない爪はここにあると手の中に隠しておいた爪を差し出すのです。
ただ爪を拾うという単純作業でも細心の注意を払うことは何が起きるか分かれない戦国時代に些細なことでもに気づく能力を試したのかもしれません。

もうひとつ。松平定信の忠義を尽くし、人を育てる能力は抜群だと思いました。
松平定信は田安定信と言って、徳川吉宗は紀州徳川家の出身だが、尾張徳川家との将軍の座を争い、これに懲り、自分の子孫を将軍職に就けるよう御三卿と言われる「一橋家、田安家、清水家」と分家を作りました。
一橋家の当主の治済(はるさだ)が自分の息子家斉を将軍にするためにとても優秀と言われた田安定信を時の老中田沼意次と図り、奥羽白河(福島県)の松平家の養子に出させます。
これにより、一橋家斉は将軍となりました。家斉は世論に押され、賄賂で汚れた田沼意次を追放し、ともすれば将軍になっていた優秀な松平定信を筆頭老中として迎えました。
白河にいるより江戸に松平を呼んだほうが安心だと考える家斉の器量もすごいですが、使えた松平は役人の綱紀粛正を行い、自分が判断して決裁してもかまわない案件も将軍に持っていきました。
そこで家斉に判断を仰ぐのですが、家斉が即断すれば「しかし、そのように行いますとこういう障害がでます。」と押し返し、「では、これではどうだ」というと「前よりも結構な案ですが、こういう支障も起きると考えられます。」といい再考を促します。
家斉も困ってしまい「定信ならどうするか?」と答えも求めても、定信は「では一晩お考え遊ばせ。明日おうかがいしましょう。」と言い、ヒントを残し、結論を考えさせました。
ティーチングではなく、コーチングし、帝王学を学ばせませた。清廉潔白で優秀、不条理な待遇を受けても国のために仕えた松平定信という人物に尊敬の念を抱きます。

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