kuborami

5年

東日本大震災から5年たちました。

5年前の3月11日14:46、
日本の観測史上最大のM9.0の
超巨大地震が発生しました。
最大遡上高40.1メートルにも上る巨大な津波が発生し、
東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に
壊滅的な被害が発生しました。

2016年(平成28年)3月10日現在、
死者は15,894人、重軽傷者は6,152人、
警察に届出があった行方不明者は2,561人であると警察庁は発表した。

若くして、なくなった方も多く、
さぞかし、無念だったでしょう。
未だ、行方不明者は2,561人。


震災はつらいです。
今でも、テレビで、
三陸や福島第一原発のある福島浜通りの姿を見ると、
胸が締め付けられます。

まだまだ、復興にはほど遠く、
又被災された方々の心は、
いまでも非常にお辛いと思います。

それでも、懸命に暮らしている人達がいます。
決して忘れてはいけません。


お寺に行ってきました。

あの時人間の影で、沢山の動物達も
命を落としました。





5階建てのビルを見て、想像して下さい。
あの大津波は4階までも、飲み込みました。

中日新聞に載っていた、
照井翠さんの俳句です。

照井さんは、岩手県釜石市在住。
高校教師として勤務するなか東日本大震災に遭遇。


もう何処に立ちても見ゆる春の海

春は壁乗り越えなくていいですか





宮城県との境の、福島県新地町。


福島第一原発20km内の 大熊町
帰還困難地域からの、
お友達が住んでいます。







そして、今日の平和の俳句です。

こちらは、千葉県野田市のYさんです。


入り口も出口も見えず原発忌







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東日本大震災・福島の事故、忘れない
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コメント一覧

にゃごやん
うさぎのしっぽさんへ。
この時期、うさぎさん気持ちが滅入りますよね。
本当におつらいと思います。
この日本に人の住めなくなった所があるということを、
忘れないようにします。
新地町の写真は、鶴瓶の家族に乾杯の写真です。
新地町には誰も来ないって、鶴瓶さんが言ってました。
はまにゃん、落ち着いているのですね。良かったです。
ふうちゃんもうさぎさんのお陰で元気なのね!
やっぱりうさぎさんは優しいわ(#^.^#)
まだまだ寒いから、あったかくして、身体に気を付けてね。
新地町の方は、新地町で歩いている人はいないと、言ってました!(◎_◎;)
うさぎのしっぽ
お久しぶりです(^-^)
此のところの特番や色々な方の発信する記事などに目をやりながら、気持ちも滅入りました。

早く帰れるようになるといいのにね
そんな言葉をかけられてもちっとも嬉しくもなかったりしました。

新地町の津波の映像はお初です・・・
電車がくの字に曲がった映像は当時みました。

私が来た時には家もがれきも片づけが進んでいました。今は沿岸部には入れませんというか、工事車両がいっぱいです。

今年中には電車も開通して仙台に行くのには少しは楽になるでしょうか・・・たまにしか行かない仙台ですが、楽しみにしています。

わが町はどうなっていくのかと気になりながらも
私には成す術もなく
家にも1年帰っていません。
ストリートビューで見たら背丈の高い草が生い茂っていました。

ほまにゃんの耳も(日光皮膚炎)強酸性水のお水をスプレーしてあげてます。大分良くなってきました。
出血してもひどくはないので、このまま続けてみようと思っています。

外にゃんこのふうちゃんにはお隣に内緒で餌あげています。
あげない!と思うのですが、やっぱり姿をみると、お腹すいてくるのかな?とあげちゃいます。

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