2日目 いい天気です!
ホテル(8:30発)
ホテルのバスで 今治港へ送ってもらいます。
チャーター船の、「ゆきひめ号」
チャーター船のガイドさん 一押しの
せっかく愛媛県に来たんだったら 見ておかないと!
愛媛県観光 NO1!
それは あの 「加計学園」今治キャンバス!ギャハハ〜〜
高い所に建っている 白い建物です。
瀬戸内海は なんとなく 内海で 穏やかな感じですが
潮流は速くて複雑な流れだそうです。
電光板式潮流信号所↓
来島海峡を通る船に潮の流れの向き、速さ、
これからの潮の流れの変化を知らせているのです。
S字の下の、灰色のアミアミの所に
「S」「1」「↑」などとと繰り返して点滅しています。
信号の意味はこのようになっています。
「S」 南流[潮の流れが北から南に流れている 安芸灘(あきなだ)→燧灘(ひうちなだ)]
「N」 北流[潮の流れが南から北に流れている 燧灘→安芸灘]
「0~9」 流速[単位はノット] 1ノット=時速1.85km
「↑」 今後、流速が速くなる
「↓」 今後、流速が遅くなる
「×」 終期[まもなく潮流が転流する]
先ほどの、「S」「1」「↑」の点灯は、
「南流で1ノット、今後流速が速くなる。」という意味になります。
潮流信号所は 関門海峡にもあります。
それでは、ガイドさんの説明を聞きましょう。
温暖な気候と穏やかな瀬戸内海は、晴れの日が多く、
島の畑には柑橘がたわわに実り、漁師が海に出れば、
魚やヒジキ、ワカメや貝類が沢山採れ、鯛やヒラメの舞い踊り。
どの島にも小さな学校があり、子どもの声が響いている。
↑瀬戸内海に抱いている大概の人達の幻想であり、
そんな事はほぼ無いに等しい…(笑)
人口減少が著しい島々には、
既に子どもが全く居なくなって久しい島も多く、
学校もなくなってしまい、
祭りすら出来なくなってしまった島も多い。
耕作者がいなくなり、荒れた畑が増えると、
猪が海を渡ってきて住み着いてしまい、
まだ耕作している畑を荒らす。
海が痩せて魚がいなくなり、
海藻類も貝類も満足に採れなくなった。
魚も柑橘も値段が上がらないのに、燃料費が上がって、
取れ高が少なくなってしまい、子どものいる若い世代が島から出てゆく。
それが この島々の現実。
[6]来島(くるしま)今治市
戦国時代の終わりごろに来島村上水軍の本拠地でした。
島全体が急流に守られた 自然の要塞です。
来島海峡大橋
八千矛(やちほこ)神社
来島城の守り神として 建立された。
海に向かって建っています。
再び ゆきひめ号で出航。
近くには 造船所があり、
ここは ゆっくり回りますから、
二階のデッキで 写真撮ってって。
ここからは スピード出すから
船の中に、入って!と、ガイドさん。
忽那(くつな)諸島 (愛媛県松山市)
[7]野忽那島(のぐつなじま)
皿山展望台は 高いところにあるみたいなので、
連れが 登って撮った写真↑
高所恐怖症の私は パス。
他にも、行かなかった方と、ぶらぶら。
港の、待合には いつのまにか、人の姿が。
お迎えの方(ピンクのエプロンの女性)
荷物が多い時のために、わざわざ
お手伝いに来ている、おじちゃん。
(麦わら帽子の方)
ガイドさんが 島の診療所に、毎日じゃないけど
船で 先生が回ってくるって言ってたけど、
おじちゃんに、「急病の時は どうするの?」
「救急艇が 来るか、ヘリコプターが 来るかだよ」
「わしも、一回乗った」そうです。
もう、乗ることがないといいね。
港に 定期船が 入港。
入港したと思ったら、人と 荷物が 降ろされ、
また島からの荷物と人が 数人乗り込み
あっと言う間に
船は 次の島へ 出航。
おじちゃんは 「今回は 荷物なかった。
また 二時間後フェリーの時間に来る」と、
チャリで おうちに 返って行った。
定期船は 1日にフェリー3便と、普通の船3便とあるみたいですが、
乗降客は 少なく、
採算がとれるのかな?
以前は 津和地島の隣の、
怒和島(ぬわじま)にも 行ってたのそうですが、
昨年の、西日本豪雨で
島の、大切な6人しかいない子どもさんのうちの
2人の子どもさんと そのお母さんが 土砂崩れで 亡くなったそうです。
ガイドさんが、その島には 観光では 行けないと。
忽那諸島 [8]津和地島(つわじじま)
江戸時代に潮待ち・風待ちの港町として栄えた島。
変なところに接岸
ここの 旅館で 昼食。
忽那諸島 [9]二神島(ふたがみじま)
かつて水軍の本拠地として栄えた集落を散策しました。
個人のお宅にある、巨大サボテン。
サボテンの根っこ。
ガイドさんは 勝手に入って行って、
私たち観光客にも、見せてくれる。
島の、自転車や バイクには 鍵が 付けっ放し。
勝手に、乗っていっても、元に戻せばいいとか(^-^)v
なんて おおらかな!
どこか分からないけど、綺麗な海岸。
このマークのある所は 海底ケーブルが ある。
写真左下の、ゲジゲジみたいに黒いのが、光ケーブル。
海からでて、砂にもぐっていく。
帰りは 迷路を 通って 帰りましょう。
狭いです。ついて行かないと迷子になる〜〜
が、ガイドさんは どこの島でも、海岸目指していけば
迷子にならないから 大丈夫!だって。
ネコさんが 毛布の下にいました。
忽那諸島 [10]斎島(いつきしま)呉市豊浜町斎島
昔あび漁が盛んでした。
人口は 2017年で、10世帯15人。
島の名前は
古くから神の宿る島として信仰を集め、
斎内親王から弊帛料を賜ったことが名前の由来だと伝わります。
帰り道、一緒になった
島の、おじいちゃんの、歌ってくれた
以前あったお祭りの 「あび 」の歌。
お祭り綺麗だったよと。
お祭りも、高齢化でなくなり、
もしかしたらもう この方しか 歌い継がれないのかも。
録音させてもらえば よかった。
このおじいちゃん、港近くで、走り出す。
え! 早い!なんで?
って思っていたら 定期船が港に 着いた。
定期船から 最後に 手押し車を 押しながら 降りてきた、
おばあちゃんを、迎えに来て いました。
おばあちゃんは 瀬戸の花嫁。
向こうの島から 斎島にお嫁に来たそうで、
80才。髪も切ってこられて、綺麗に。
「まだまだ これから!」と、お元気。
お二人揃って、仲良くおうちまで歩いて 帰る。
私たちも、船に乗り、お別れ。
島民の方との、お話は 楽しい。
また この美しい島で 静かに、暮らしていかれるのだろう。
お元気でと、お別れしました。
また 来島海峡大橋
今治城
夕食は 洋食。
魚料理と、肉料理が 一緒にのってる。
ホテル内