think&write ~素晴らしき日常~

自分の日常を熱く語っていくブログです!
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「コンクールの意味」(2月12日)

2012-02-12 19:48:09 | 日記
3日前だろうか。以前、作文コンクール(の様な)に出した、自分の作品が佳作をとったという連絡が入った。

実は、自分は作文コンクールは嫌いである。
これを含めて3回ほど応募しているのだが、自ら進んで出したのは最初の1回だけである。小1の頃であったか。逆に、残りの2回は団体での応募だ。これで2回とも受賞している。

で、2度目の受賞。受賞確率は66%である。前回は(順位をつけるなら)2位であった。優秀敢闘賞。これは小4であったか。「お金」のことをテーマにして書いた。

今、思えば難しいことを考えずに書いていた。
特に戦略を立てたわけでもない。そのほうが作文を書く上では良かったりすることもある。

このような文章関係に携わって8年~9年になろうとしている。
色々、思うこともあったし悩むこともあった。
でも、自分の意見を発信する上で出来ることはこれくらいだった。

今回受賞した作文コンクールのテーマは「環境」。
自分は中3である。この作文コンクールも自分の学年で終わりだ。
大人っぽさを出した。小学生の発想には敵わないところも出てくる。
そういう意味で案外、作文コンクールで中学生が賞をとるのは、あまり容易ではない。

審査員のコメントを知った。「言いたい事は圧巻。環境問題の本質を突いている。が、論旨に違和感を感じる」的な内容だった。
確かにそうかもしれない。相当悩み、苦しんだ。徹夜したこともあった。
考えすぎて多くを伝えようとする余りに、その苦しみが論旨に現れていたのかもしれない。

大賞をとった小2の子の作文を読んだ。
自然な感じで文章を読むことが出来た。
言いたいことは小2の割には、というのが正直なところ。湿ったコメントだが。
でも、作文である以上、作文で伝えるのだ。そういう視点であれば小2の子の作文が大賞をとったことには納得がいく。
考えるコンクールではない。

受賞式が再来週の土曜日にフジテレビであるらしい。
フジテレビでの受賞式。時間は懇親会と含めて2時間しかないが、全国から受賞者が集まるのだから、ワクワクする。
自分と同学年の人が受賞している。しかも北海道。是非、顔を見たいものだ。

自分は受賞したことを自慢材料にはしたくはない。
自慢するだけ、たかが知れている。更にレベルアップしなければいけない。
ただし、大賞を狙いたいとは思っていない。
文章関係は人に評価されれば賞が取れる。
しかし、評価されるのが全てか。
負け犬の遠吠えに聞こえるかもしれない。

その作文コンクールのホームページを見た。
大賞の小2の子だけ、リンクが貼ってあり、作文が見れるようになっている。
ふざけるな、なぜ他の受賞者の作文が読めないのか。
だから、作文コンクールは嫌いだ。
結果が数値化されるスポーツの世界ではない。
色々な考えがある。せめて、受賞者の作文が全員分読めるようにしないと、意見も発信されるわけが無い。
人々に伝えるために、睡眠時間を削って書いたのだ。それが発信されないのは歯がゆい気持ちだ。

一番に華を持たせる?それが作文コンクールか。
これを源として、人々に発信出来る機会が作文コンクールの役割ではないのか。
この作文コンクールもたかが知れている。

さて、気づけばこのブログのコメントが3になった。
全員知り合い。個人的には、このブログを多くの人に知られたいとは思っていない。
ただ、コメントをしてくれるのは本当にありがたい。
是非、今後も見て欲しいと強く思う所存だ。
久しぶりのブログ更新・活気も出てきたブログ。
少し、ブログの更新頻度を上げていこう。


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「綺麗恋」 (1月30日)

2012-01-30 22:57:06 | 日記
学生時代。それは、青春とも言われることもしばしばある。
更に、青春は「恋」なんていう考え方もある。

友人との話で、「恋」の話に不意に移った。
自分は顔が悪いのは自覚済みだし、縁も無いものだと思っている。
しかし、自分の年齢的には、そろそろ青春と言われる年代に差し掛かるのだ。いや、もう差し掛かっているのかもしれない。

自分の「恋」に対する考え方は、現実逃避・性欲の象徴などと、かなり批判的な考え方を持っている。
もしかするとその中には、自分には「恋」が出来ないという劣等感が故の、嫉妬が混じっているのかもしれないが。

自分は以前と比べて、音楽をウォークマンなどでよく聴くようになった。
しかし、自分が今まで歌詞を見てきた中で、(当然、見ていない作品もある)ピンとくるものは一つもない。
どうも社会や原発のことを問題視している歌の詞でも、綺麗事ばかりを並べていたり、考えが浅く本質に踏み込めていなかったり、どうも……。という感じだ。

「福笑い」という曲を東日本大震災後にYOUTUBEで嫌悪感を抱くくらいに聴いた。
これは、震災後に売り上げが急速に伸びた作品として有名だ。
その当時は、震災で心のムードが沈んでいる自分や被災者には丁度良かったのかもしれない。が、「きっと世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」というフレーズも今思えば、綺麗事に聴こえるし、世界の本質には言及できていない。
人々は名フレーズだと語るが、これに共感していることに次元の低さを感じてしまう。
環境問題が笑顔で解決できるのか、だとすれば現実逃避もいいところではないか。という理由だ。

話は逸れてしまったが、「恋」もこんな要素を含んでいる。
だから、「恋」に僕は批判的なのだ。

学校で一人、席に座って、あえて友達と話もしようとせず、黙って人間観察をしている時がある。
これは見ていると非常に面白い傾向がある。
テスト期間中などは、成績が近い人と喋る傾向が強い。
よって、成績上位層と下位層が喋っていることは稀だ。
テスト期間中に限らず、これは休み時間でもそうだ。
あるいは、テストに縛られていないときは、話が合う人と喋る傾向がある。
例えば、好きなゲームの話・スポーツの話・部活の話……など。

つまりは人間観察をしていると、「友達」間では、利害関係で成り立っているのだ。
利害というと、素っ気無い言い方だが、見ているほうからすれば、自然と非情な世の中に見えてくる。
自分は、「恋」は友達の延長線上であると考えている。
なぜなら、お互いに縁が無いと出会うことも無い。これは共通だ。
つまりは、「恋」も利害関係なのだ。

「恋」を人々が求める理由……、それは年を重ねるごとに、無味乾燥になっていく社会に人々は「恋」という甘い蜜を吸っていたいのではないか。
しかし、人々は気づいていない。これは、今ある現状を逃避している。

豊かな生活になって、『綺麗』を求める日本人。
甘い蜜を吸って、人々は現実逃避しているくせに、学校や国に批判を物申す。生意気もいいところではないか。

世間で一握りの、とことん考える人が悩んでいくこの時代。
甘い蜜を吸って物事を言っていられる人々の存在が甘い蜜だと苛立ちを感じる。


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「疲労のヒーロー」 (12年1月16日)

2012-01-17 02:57:23 | 日記
 前夜の睡眠時間は4時間だった。だから当然眠い。寒さも上乗せされるから、学校で一日過ごしていてもいつ睡魔にかかってもおかしくないような状態だ。
ただ、前日が休日であるから助かった。これが、平日ともなると寝起きの悪さは尋常では無くなる。「不幸中の幸い」だ。
ゆえに今日の寝起きは、睡眠時間の割には上出来だった。
しかし、起きようとすると自分がどこの世界にいるのか分からなかった。頭がグルグル回っている感じだ。夢の世界から離れられていないようである。
前夜の睡眠時間が今日ぐらい短かった時、時々そのような感覚がする。


 現実を確認するのに、起きてから時間を10分程費やしてしまった。1秒の違いでさえ、朝は勝負を分けるようなものだから、10分ともなると結構な事故だ。
早く寝れば済む話なのだが、どうしても自分は早く寝られない。
簡単に言えば、要領が悪いといえば話は早い。
ところが自分は要領が悪いクセして、やることを増やす。
消化出来ないこともある。まだまだ子供だと感じる。
このブログだってそうだ。1日分を仕上げるのに1時間前半~2時間はかかる。慣れていないから仕方無いと、これは自分でも妥協している。このおかげでしばらくは寝起きはかなりのハードルになっている。ほぼ毎日そのハードルにつまづいているのだが……。
しかし、ブログ更新は自分の趣味のような感じになっている。ハードルもつきまとってくるのが辛いものの。


疲れた。今日はもう休もう。


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「Tea Time」 (12年1月15日)

2012-01-16 01:22:18 | 日記
そう言えば、家でも外でもペットボトルといったら「伊右衛門」をよく飲む。
余談だが、「伊右衛門」は伊賀の国の右衛門(皇居諸門の護衛などをつかさどる役所)という意味なのだろうか。味もそんな地味な感じだ。だとしたら、面白いネーミングである。
今日も勉強をしながら、机の片隅には「伊右衛門」のペットボトルを置いていた。インテリアみたいな感じになっている。
冬でも1日2ℓは飲む。自動販売機でも売店でもそればかりを買う。
友人がそれを見ると「またかよ……。」という顔で、「伊右衛門」より渋い反応が見て取れる。友人も慣れて来たのか、最近ではノータッチ。
ゴクゴク飲める純粋な渋さがたまらない。渋い!と片付けるてしまうと言いすぎだ。
急須に入れて飲むお茶ともなると、もっと渋い。味わうという意味では良いのだろうが、毎日飲みたいとは到底思えない。
ちなみに「伊右衛門」以外にもペットボトルのお茶はご存知の通り、沢山ある。
「綾鷹」「おーいお茶」「爽健微茶」「烏龍茶」(サントリー)「天然ミネラル麦茶」などなど・・・。同じジャンルでも挙げればきりが無い。
しかし、自分の中ではダントツで「伊右衛門」だ。そういうところだけはブレない自分を切なく思う。


ところで、皆さんはお茶に何を求めるだろうか。「美味しさ」だろうか、「安さ」か。
そんなことを考えることは当然の如く皆無であろうが(笑)、「美味しさ」も「安さ」も、それは求めるが、もっと突っ込んでいくと「お米の感じ」を求めたい。
お米は、日本人なら日常でよく口にするもので、主食になっている。多くの人が日常で飽きずに食べることが出来る。
主食といえば、ライバルとしてパンはあるが、毎日飽きずに食べる人はお米のほうが多いはずだ。
お米は味が無い。確かに、美味しいお米と比べたら若干の違いはあるであろうが、大差はないはずだ。外形も種類によってそれほど違いは無い。
パンには種類がある。種類があるだけ、味も変わる。それらをまとめてパンと言う。フランスパンからクロワッサン……。外形も様々だ。
だから、味も外形も同じ主食にもなると米くらいのような気がする。
お茶は液体だから形も無いが、日常で飲むとしたら「お米の感じ」を多くの人が求めるのではないか。


しかし、お米でもお茶でもそうだが、今の日本人はこだわりが失われている。
洋風化したせいか選択肢も広がり、「飽きたら変える」というような自由な感じだ。
世界に通用する人間が少なくなっているとも聞く。日本人はナメられている感じが外交などで外国からも見受けられる。ただでさえ輸入便りだから、ますますそういう印象が増大する。
「スペシャリスト」もいない。大相撲でもオリンピックの柔道など個人競技も、日本人は衰退化している。国技も国技とはいえなくなってきている。日本に限った話ではなかろうが。
便利な時代になった。仮に失業しても、保険がある。少しの世話はしてくれる。客観的に見れば、このブログのタイトルにもなっているが、「素晴らしき日常」なのだ。
この国の「伊右衛門」たるものも税金で派手に暮らせる。


しかし、「素晴らしき日常」になったがゆえに、親も選択肢を増やして、それぞれから吸収していく教育に美学を感じているような気がする。
自分も習い事も何個もしていた時期があった。親の意向もあったような気がする。
しかし、大体は辞めた。親も辞めさせてくれた。何を得たのかも分からない。
だから、嫌でも続けてみるのも面白かったかもしれないと思う。親は辞めさせてくれた。


生活も裕福だと、選択肢も増える。しかし、それが人材の枯渇にもつながっている。
だからいっそのこと、選択肢を増やさないような切り詰めた生活を推進するのも面白い。
選択肢を増やさないように、親が縛り付けるのも面白い。
「強制」が次世代に向けての教育のカギと、自分は思う。
つまり、親はドSキャラで、北朝鮮で、『巨人の星』であるべきだ。


日本人を「強制」して、「米」にする。
とにかく洗脳化させてまでも意識改革することだ。


「先入観」(2012 1・13)

2012-01-13 22:38:35 | 日記
夜の帰り道。人がいないせいか、いつもよりやけに静かだ。
夜空を見上げると、星達の輝きが否応無く視界に入る。
中には暗闇に紛れて、輝いているのか定かではない星達もある。
今日は月が出ていたらしいが、見えなかった。
普段は月に目が行ってしまうから、星が蛍の光のような存在になってしまう。
しかし、今日は星が違う味を醸し出している。


こうすると案外、普段見ているものでも実際は見ていなかったりする。
「見る」という行為も難しいものだ。
気が付けば先入観に負けてしまっている。
刺激的な存在に目が行ってしまう。
それは本能だ。


例えば昼間、たまに肉眼で太陽と月が一緒に見えることもある。しかし、その状況で月を見ると、太陽の存在に押されてしまって月の夜の輝きは失われる。
が、月の輝きは案外キツくはないことに太陽によって気づかされる。
星や太陽などの刺激的な存在とは違い、何か地味なベテラン魂を感じる。


このように、夜では存在感を放つ月が世界を変えると、太陽という主役によって隠れてしまう。
それは月と太陽を「比較」しているともいえる。
また、その中で月の違った味が生まれたりすることもある。


換言すると、存在感を放てば放つほど先入観に支配され、違った視点で味を見出すことは難しくなることもある。そのような存在にこそ、多角的な視点で物事を捉えていったほうがいいのかもしれない。


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