think&write ~素晴らしき日常~

自分の日常を熱く語っていくブログです!
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「綺麗恋」 (1月30日)

2012-01-30 22:57:06 | 日記
学生時代。それは、青春とも言われることもしばしばある。
更に、青春は「恋」なんていう考え方もある。

友人との話で、「恋」の話に不意に移った。
自分は顔が悪いのは自覚済みだし、縁も無いものだと思っている。
しかし、自分の年齢的には、そろそろ青春と言われる年代に差し掛かるのだ。いや、もう差し掛かっているのかもしれない。

自分の「恋」に対する考え方は、現実逃避・性欲の象徴などと、かなり批判的な考え方を持っている。
もしかするとその中には、自分には「恋」が出来ないという劣等感が故の、嫉妬が混じっているのかもしれないが。

自分は以前と比べて、音楽をウォークマンなどでよく聴くようになった。
しかし、自分が今まで歌詞を見てきた中で、(当然、見ていない作品もある)ピンとくるものは一つもない。
どうも社会や原発のことを問題視している歌の詞でも、綺麗事ばかりを並べていたり、考えが浅く本質に踏み込めていなかったり、どうも……。という感じだ。

「福笑い」という曲を東日本大震災後にYOUTUBEで嫌悪感を抱くくらいに聴いた。
これは、震災後に売り上げが急速に伸びた作品として有名だ。
その当時は、震災で心のムードが沈んでいる自分や被災者には丁度良かったのかもしれない。が、「きっと世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」というフレーズも今思えば、綺麗事に聴こえるし、世界の本質には言及できていない。
人々は名フレーズだと語るが、これに共感していることに次元の低さを感じてしまう。
環境問題が笑顔で解決できるのか、だとすれば現実逃避もいいところではないか。という理由だ。

話は逸れてしまったが、「恋」もこんな要素を含んでいる。
だから、「恋」に僕は批判的なのだ。

学校で一人、席に座って、あえて友達と話もしようとせず、黙って人間観察をしている時がある。
これは見ていると非常に面白い傾向がある。
テスト期間中などは、成績が近い人と喋る傾向が強い。
よって、成績上位層と下位層が喋っていることは稀だ。
テスト期間中に限らず、これは休み時間でもそうだ。
あるいは、テストに縛られていないときは、話が合う人と喋る傾向がある。
例えば、好きなゲームの話・スポーツの話・部活の話……など。

つまりは人間観察をしていると、「友達」間では、利害関係で成り立っているのだ。
利害というと、素っ気無い言い方だが、見ているほうからすれば、自然と非情な世の中に見えてくる。
自分は、「恋」は友達の延長線上であると考えている。
なぜなら、お互いに縁が無いと出会うことも無い。これは共通だ。
つまりは、「恋」も利害関係なのだ。

「恋」を人々が求める理由……、それは年を重ねるごとに、無味乾燥になっていく社会に人々は「恋」という甘い蜜を吸っていたいのではないか。
しかし、人々は気づいていない。これは、今ある現状を逃避している。

豊かな生活になって、『綺麗』を求める日本人。
甘い蜜を吸って、人々は現実逃避しているくせに、学校や国に批判を物申す。生意気もいいところではないか。

世間で一握りの、とことん考える人が悩んでいくこの時代。
甘い蜜を吸って物事を言っていられる人々の存在が甘い蜜だと苛立ちを感じる。


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「疲労のヒーロー」 (12年1月16日)

2012-01-17 02:57:23 | 日記
 前夜の睡眠時間は4時間だった。だから当然眠い。寒さも上乗せされるから、学校で一日過ごしていてもいつ睡魔にかかってもおかしくないような状態だ。
ただ、前日が休日であるから助かった。これが、平日ともなると寝起きの悪さは尋常では無くなる。「不幸中の幸い」だ。
ゆえに今日の寝起きは、睡眠時間の割には上出来だった。
しかし、起きようとすると自分がどこの世界にいるのか分からなかった。頭がグルグル回っている感じだ。夢の世界から離れられていないようである。
前夜の睡眠時間が今日ぐらい短かった時、時々そのような感覚がする。


 現実を確認するのに、起きてから時間を10分程費やしてしまった。1秒の違いでさえ、朝は勝負を分けるようなものだから、10分ともなると結構な事故だ。
早く寝れば済む話なのだが、どうしても自分は早く寝られない。
簡単に言えば、要領が悪いといえば話は早い。
ところが自分は要領が悪いクセして、やることを増やす。
消化出来ないこともある。まだまだ子供だと感じる。
このブログだってそうだ。1日分を仕上げるのに1時間前半~2時間はかかる。慣れていないから仕方無いと、これは自分でも妥協している。このおかげでしばらくは寝起きはかなりのハードルになっている。ほぼ毎日そのハードルにつまづいているのだが……。
しかし、ブログ更新は自分の趣味のような感じになっている。ハードルもつきまとってくるのが辛いものの。


疲れた。今日はもう休もう。


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「Tea Time」 (12年1月15日)

2012-01-16 01:22:18 | 日記
そう言えば、家でも外でもペットボトルといったら「伊右衛門」をよく飲む。
余談だが、「伊右衛門」は伊賀の国の右衛門(皇居諸門の護衛などをつかさどる役所)という意味なのだろうか。味もそんな地味な感じだ。だとしたら、面白いネーミングである。
今日も勉強をしながら、机の片隅には「伊右衛門」のペットボトルを置いていた。インテリアみたいな感じになっている。
冬でも1日2ℓは飲む。自動販売機でも売店でもそればかりを買う。
友人がそれを見ると「またかよ……。」という顔で、「伊右衛門」より渋い反応が見て取れる。友人も慣れて来たのか、最近ではノータッチ。
ゴクゴク飲める純粋な渋さがたまらない。渋い!と片付けるてしまうと言いすぎだ。
急須に入れて飲むお茶ともなると、もっと渋い。味わうという意味では良いのだろうが、毎日飲みたいとは到底思えない。
ちなみに「伊右衛門」以外にもペットボトルのお茶はご存知の通り、沢山ある。
「綾鷹」「おーいお茶」「爽健微茶」「烏龍茶」(サントリー)「天然ミネラル麦茶」などなど・・・。同じジャンルでも挙げればきりが無い。
しかし、自分の中ではダントツで「伊右衛門」だ。そういうところだけはブレない自分を切なく思う。


ところで、皆さんはお茶に何を求めるだろうか。「美味しさ」だろうか、「安さ」か。
そんなことを考えることは当然の如く皆無であろうが(笑)、「美味しさ」も「安さ」も、それは求めるが、もっと突っ込んでいくと「お米の感じ」を求めたい。
お米は、日本人なら日常でよく口にするもので、主食になっている。多くの人が日常で飽きずに食べることが出来る。
主食といえば、ライバルとしてパンはあるが、毎日飽きずに食べる人はお米のほうが多いはずだ。
お米は味が無い。確かに、美味しいお米と比べたら若干の違いはあるであろうが、大差はないはずだ。外形も種類によってそれほど違いは無い。
パンには種類がある。種類があるだけ、味も変わる。それらをまとめてパンと言う。フランスパンからクロワッサン……。外形も様々だ。
だから、味も外形も同じ主食にもなると米くらいのような気がする。
お茶は液体だから形も無いが、日常で飲むとしたら「お米の感じ」を多くの人が求めるのではないか。


しかし、お米でもお茶でもそうだが、今の日本人はこだわりが失われている。
洋風化したせいか選択肢も広がり、「飽きたら変える」というような自由な感じだ。
世界に通用する人間が少なくなっているとも聞く。日本人はナメられている感じが外交などで外国からも見受けられる。ただでさえ輸入便りだから、ますますそういう印象が増大する。
「スペシャリスト」もいない。大相撲でもオリンピックの柔道など個人競技も、日本人は衰退化している。国技も国技とはいえなくなってきている。日本に限った話ではなかろうが。
便利な時代になった。仮に失業しても、保険がある。少しの世話はしてくれる。客観的に見れば、このブログのタイトルにもなっているが、「素晴らしき日常」なのだ。
この国の「伊右衛門」たるものも税金で派手に暮らせる。


しかし、「素晴らしき日常」になったがゆえに、親も選択肢を増やして、それぞれから吸収していく教育に美学を感じているような気がする。
自分も習い事も何個もしていた時期があった。親の意向もあったような気がする。
しかし、大体は辞めた。親も辞めさせてくれた。何を得たのかも分からない。
だから、嫌でも続けてみるのも面白かったかもしれないと思う。親は辞めさせてくれた。


生活も裕福だと、選択肢も増える。しかし、それが人材の枯渇にもつながっている。
だからいっそのこと、選択肢を増やさないような切り詰めた生活を推進するのも面白い。
選択肢を増やさないように、親が縛り付けるのも面白い。
「強制」が次世代に向けての教育のカギと、自分は思う。
つまり、親はドSキャラで、北朝鮮で、『巨人の星』であるべきだ。


日本人を「強制」して、「米」にする。
とにかく洗脳化させてまでも意識改革することだ。


「先入観」(2012 1・13)

2012-01-13 22:38:35 | 日記
夜の帰り道。人がいないせいか、いつもよりやけに静かだ。
夜空を見上げると、星達の輝きが否応無く視界に入る。
中には暗闇に紛れて、輝いているのか定かではない星達もある。
今日は月が出ていたらしいが、見えなかった。
普段は月に目が行ってしまうから、星が蛍の光のような存在になってしまう。
しかし、今日は星が違う味を醸し出している。


こうすると案外、普段見ているものでも実際は見ていなかったりする。
「見る」という行為も難しいものだ。
気が付けば先入観に負けてしまっている。
刺激的な存在に目が行ってしまう。
それは本能だ。


例えば昼間、たまに肉眼で太陽と月が一緒に見えることもある。しかし、その状況で月を見ると、太陽の存在に押されてしまって月の夜の輝きは失われる。
が、月の輝きは案外キツくはないことに太陽によって気づかされる。
星や太陽などの刺激的な存在とは違い、何か地味なベテラン魂を感じる。


このように、夜では存在感を放つ月が世界を変えると、太陽という主役によって隠れてしまう。
それは月と太陽を「比較」しているともいえる。
また、その中で月の違った味が生まれたりすることもある。


換言すると、存在感を放てば放つほど先入観に支配され、違った視点で味を見出すことは難しくなることもある。そのような存在にこそ、多角的な視点で物事を捉えていったほうがいいのかもしれない。


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「準備」(2012 ・1/12)

2012-01-12 20:52:34 | 日記
朝7:20。珍しく、夢見心地の頭に、襲いかかるようなアラームの前に目覚めた。


そして、いつものように毛布から出ると、何とも言えない冷たい空気が、心まで冷やしていく。


今日は休みであった。
しかし、10:15に待ち合わせ。
それは、第1回目のバンド練習のためである。
バンドと言っても、プロを目指すわけではない。
あくまで、学園祭レベル。
学園祭は今年の9月。オーディション(予選)は8月らしい。
まだまだ、追い込む時期ではない。
しかし、不安だらけだ。


自分のパートはメインボーカル。
歌には、カラオケで多少の自信はあるが、たかが知れている。
おまけに、バンドは初めてだから、楽器の知識は乏しい。分からないことだらけだ。
こんな状態なのになぜ、バンドを…?
「?」以外に思い当たる感情が見つからない。


そんな疑問やマイナス思考を心に背負い、通勤ラッシュを終えた電車に乗り込む。
車内はガラガラ。だから、足を組んで堂々と座る。カッコつかないくせに。


そして、待ち合わせたメンバーとも会い、練習場所へ。
どうも朝はテンションが異様に低い。


バンドのメンバーは4人。ドラムがいない。
と、言うことで今日はドラムを、本来ベースをやっている人に他のメンバーがお願いした。彼はうちの正規のメンバーではない。しかも、ドラムの経験はほぼ皆無。
思えば自分にとって代役もバンドのメンバー2人とは、最初は面識など無かった。
なのに、なぜこういう接点が生まれたのかと思うと、また「?」だ。
ただ、一名程バンドに詳しいメンバーがいるから、少しは安心材料になる。


練習場所に着いた。手袋を貫通するような寒さ。しかし、中に入れば快適な環境。よく考えれば、恵まれた世の中だ。


マイクのコード1本つなぐだけなのに、セッティングに20分を費やした。
行動が相変わらずトロい、「大トロ」だ。寿司屋では重宝されても、大人社会ではすぐに廃棄処分だろう。


最初はフリー練習。
やたらと音がデカい。楽器が爆弾に感じた。
それが普通らしいが…。
いざマイクを通して歌ってみても…、思ったよりヘタクソに聞こえた。
「理想」はあくまで、「理想」でしかないらしい。


いざ、合わせてみる。
すると、ドラムの経験がほぼ皆無の代役が、やたらと上手い。
他のパートも未完成のところはありつつも、startの割にはなかなかだ。
ただ、1曲目のワンコーラスだけで、まだスタートラインだ。
しかし、特にドラムに衝撃を受けた。
冗談に見えた。
これが世間でいう「ビギナーズラック」か…、いや「ビギナーズセンス」である程だ。
そして、彼はこのバンドのサポートメンバーになってくれた。
サポートを抜いて頂けると、有りがたかったが。


しかし、メンバーに聞いたら、これでもクオリティーは低いらしい。
次回の全体練習は、お互いに都合がこの時期はバラバラだから、恐らく3週間くらい後だろう。


歌い終えた爽快感であろうか、冷たい空気が清々しく感じた。未来への不安は溶けていなくとも、気持ちは180度変わってしまったようだった。


人は、どうしても本能として、未来を見てしまう。しかし、どう考えても自分が思ったようにはならない。良い意味でも、悪い意味でも。
それでも未来を見る理由…、それは未来を可能な限り想像し、今出来ることをして、自分で未来への希望を持つため。
つまりは未来への「準備」だ。
スポーツでは「準備」が重要視される。
「準備」は自信につながる、とも言われる。
そして、未来への希望を持つ。
そうすると、良い精神状態で望める。
テストやスピーチなどで、病んでる状態で結果を残せる人はいるだろうか。
鬱状態よりは、自意識過剰のほうが良いのだ。


希望を持てるように行動(準備)しなければならない。
未来をイマジネーションするだけでは、妄想人間だ。
歌い疲れた身体で、ふとこう思った。


さて、風呂に入らなければ…。


ps
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