今朝はしとしとと雨が降っている。満開少し前の桜にはいい休養となるであろう。このところだいぶ春の気配が見え始めてきたが、まだ冬の名残が見えることもある。
一昨日には、地震後初めてゆっくりと羽咋、志賀方面の海岸へシギの様子を見に行った。残念ながらシギは未だであったが、長手島では凪の沖合を群れで泳ぐシノリガモを見つけた。





春の凪の沖合で小さな群れで仲良く泳ぐシノリガモ
今シーズンは何度か見たが波やうねりがあり、あまり明瞭な写真は撮れていなかった。今回も長手島の沖合であったが、凪であったため、幸いかなりはっきりと撮ることができた。もう北へ旅立ったものと思っていたがまだいてくれたので何となく嬉しくなった。群れは泳いだり潜水したりのんびりと春の日を楽しんでいた。
岩礁の近くをよく見るとウミアイサもいることに気づいた。

沖合のウミアイサ
今シーズンは出遭っていなかったので驚いた。シノリガモより遠かったがうまく撮れた。子供たちはもう旅立ったのかもしれない。

ウミアイサのペア
岩礁を突っつく鳥がいるのが見えた。

岩礁につく海藻を食べるヒドリガモ
岩と鳥の色が似ているのでうまく取れなかったが、ヒドリガモであった。岩についている海藻を引っ張って食べているようであった。
別の岩礁ではヒドリガモやカルガモが休んでいるのが見えたが、写真をよく見ると、ハマシギ(?)も一緒に休んでいた。

岩礁で寛ぐ鳥達
寒さが去り、急に暖かくなった春を貪っているようであった。
安部屋に向かうと、狭い田の畔の木の枝にジョウビタキが見えた。

ジョウビタキ、メスであろう
目を田に移すと、アオサギ?違う!ナベヅルだ!!!


1羽だけ悠々と餌を摂るナベヅル
若い個体のようであるが、群れから逸れたのであろう、一羽だけであったが悠々と餌を摂っていた。


堂々と活動するナベヅル
今年は地震の影響で邑知潟などを訪れることができなかったので冬の間は何処に居たかは定かではないが、きっと冬を越したのであろう。春になったから急いで帰ろうなどという気配はない。
ふと朝刊の「人生の目的」、定年からの人生の目的という本の宣伝を思い出した。「老・病・死を超えた幸せ」と書いてあった。私は人間、歳をとると「老・病・死」は素直に受け入れるべきものと思っている。超えるなんてとんでもない。こと其処に至るまで己の生を楽しめば十分である。ナベヅルは一羽になっても、その環境を受け入れて己の生を全うしている。自然界はそうしたものであろう。人間、他人から学ぶより自然から学ぶことの方が多いと感じた午後であった。