バリ記 

英語関係の執筆の合間に「バリ滞在記」を掲載。今は「英語指導のコツ」が終了し、合間に「バリ島滞在記」を連載。

バリ記25 ブサキ寺院・妊娠した

2020-01-06 11:45:43 | バリ記
2000年4月29日
ブサキ寺院


 ブサキ寺院は、バリヒンズー教の総本山である。五年前に二百年に一度と言われる盛大な祭りがあったが、今年も何やら大きな祭りが一週間にわたってあったようだ。
 会社の女性スタッフたちが、夜の十時に店を閉めてからみんなでブサキ寺院にお参りに行くという。着飾り、化粧をし、女たちだけで行く。どうして、男友達ともいっしょに行かないのか、と尋ねたら、頭を指して、祈りに集中できないから、ダメとされているようで、彼女たちもそう思っている。祈りの場所はデートの場所ではないと言いたいようだ。
 朝の六時までブサキ寺院内で時を費やし、その日は約二時間の睡眠だったらしい。
さて、神への祈り、神への捧げ物のことに話は移るが、供物に入れる花々は香り花や化粧花ばかりだ。女たちは着飾り、香水をつけ、化粧をする。神々は女性を好むのだろうか。どこか妖しい交歓の雰囲気がある。

2000年5月3日
妊娠した


 バリ・ヒンズー教では、堕胎は禁じられている。
この頃のバリ島の若い世代の親は子供は二人で上等だと思っている。
リゾートしている側から見れば、バリ島は時間がゆっくりと進み、人々は神々に祈りを捧げて、一日がなんと平穏に過ぎてゆくかと思われるだろうが、そこには劇場国家たるゆえんのところである。
人々は、観光客側から見れば演じ手の一人だという風になる。
確かにバリ島は豊かである。お金がない、貧しいとマデやニョマンが言ってもこちらから言えば「そんなはずねえだろ」となる。
 「バナナがそこら辺に生えていて、庭のあちこちにハーブがあり果物があるところなんて、めったにないだろ」と言いたくなる。
 さて、堕胎についてである。スタッフの二人が妊娠した。Aは二人目の子供。Tは三人目の子供ができているのかも知れないのである。今日、病院の検査でわかる。
 Aはこの成り行きを、人に気持を表すことなく自分の中で受け止めて、淡々としている。一方、Tは仕事場でも、時に泣き、堕ろしたいと言い、それはダメだと若い人から言われ、ただただ三人目の子供ができることによって現在の家庭や家計、あるいは夫に及ぼす影響が大であることを気にして病んでいる。
 昔は三人や四人、五人の兄弟姉妹はざらだった。日本も同様である。それでもなんとか生活ができていった。しかし、今のバリでは三人は相当苦しそうである。教育を受けさせたい。テレビなども買って楽しみたい。できたら親と離れて核家族化したい。亭主は安月給で、職も転々とする。自分も働かなければならない。

 Tはどうするのか、僕にはわからないが、ほんの二ヶ月程亭主がシンガポールへ行くと言って出て行って、悲しみ、嘆き、よし一人で頑張ろうと思っていたら、またふと帰ってきて、元のサヤに収まり、という顛末の後のことだった。
 Tのマッサージ技術は素晴らしく、そんじょそこらのマッサージ師ではない。天性のものをもっている。
日本人以上に倫理的であり、宗教的だから、普通生活者の立場との板ばさみでTは悩む。男はどんな顔をしているのか見たいものだが、案外ケロッとしているのかも知れない。バリ島は女の方がよく働き、よくやる、という印象が僕には強いのだ。Tは今日は休み、明日はどんな顔をしてくるのやら、心配である。


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