小さい頃のわたしは、ここに線があって~と、
意味不明なことを話す変な子で、親はすごく心配したらしい。
小さい子だって、自分が感じてることを表現したい。
でも表現するとお母さんが悲しそうな顔をする。
だから表現できなくなってしまう
という人は、けっこうたくさんいると思う。
「わたしには何もないの」と言う人はすごく多いけど、
その人は本当に「何もない」んじゃなくて
小さいときに、大人の心配な表情を読み取ってしまって、
表現するのを止めて、そのまま忘れちゃったの。
でもだからって、それは大人が悪いわけじゃない。
ここ、すごく大事なひと言なんだけど、
今は自己紹介だから、うしろの方でちゃんと書くね。
小さなわたしも表現するのを止めたんだけど、
カトリックの幼稚園に通ってて、毎日お祈りがあるし、
きれいなお御堂に入れてもらえる時間もあって、
そこはわたしが感じる何かが、とてもとてもきれいだった。
卒園しても教会所属のガールスカウトになって、
高校を卒業するまで、ずっと教会に通い続けたからかな?
表現しなくても忘れずに、そして、
よく分からない何かを感じるのを止めずに済んだ。
大人になって、シュタイナーの著書に出会い、
シュタイナーが創設に力を貸したキリスト教団体とも出会って、
「わたしはキリスト教に護られてきた」と強く感じている。
なのでこのブログには
「キリスト教のこと」というカテゴリーを作った。
大人のわたしにとって、とても大切なことは、
さっき書いた
でもだからって、それは大人が悪いわけじゃない。
ということ。
それはわたしの辛くて苦しい子ども時代を作った
親や学校の先生を許すことであり、コンプレックスの昇華であり、
シュタイナーが語った「時代の困窮」の認識でもある。
この認識がないから、シュタイナー教育の人たちは
「表現すること」を重視する。
幼少期に表現を止めさせられたことを無意識に知っていて、
自分に何もないのは周囲の大人が悪いのだから、自分は親として、
または教育者として、
子供たちの表現する力をしっかりと伸ばしてやりたいと思ってる。
それは確かに素敵だと思う。
だけどね、たいていのシュタイナー教育の人たち、
「何もない」自分を作った大人を許してないし、屈辱忘れてないし、
自分は悪い大人じゃない、悪い大人になりたくない、
と思って行動してる。
「時代の困窮」の認識なく、たぶん誰も変わることはできない。
だからわたしがシュタイナー教育の世界に足を踏み入れたとき、
わたしの生涯のするべき使命となったのは、
子どものための教育ではなく、
大人が悪いわけじゃない、と大人たちに知ってもらうことだった。
to be continued・・・・
意味不明なことを話す変な子で、親はすごく心配したらしい。
小さい子だって、自分が感じてることを表現したい。
でも表現するとお母さんが悲しそうな顔をする。
だから表現できなくなってしまう
という人は、けっこうたくさんいると思う。
「わたしには何もないの」と言う人はすごく多いけど、
その人は本当に「何もない」んじゃなくて
小さいときに、大人の心配な表情を読み取ってしまって、
表現するのを止めて、そのまま忘れちゃったの。
でもだからって、それは大人が悪いわけじゃない。
ここ、すごく大事なひと言なんだけど、
今は自己紹介だから、うしろの方でちゃんと書くね。
小さなわたしも表現するのを止めたんだけど、
カトリックの幼稚園に通ってて、毎日お祈りがあるし、
きれいなお御堂に入れてもらえる時間もあって、
そこはわたしが感じる何かが、とてもとてもきれいだった。
卒園しても教会所属のガールスカウトになって、
高校を卒業するまで、ずっと教会に通い続けたからかな?
表現しなくても忘れずに、そして、
よく分からない何かを感じるのを止めずに済んだ。
大人になって、シュタイナーの著書に出会い、
シュタイナーが創設に力を貸したキリスト教団体とも出会って、
「わたしはキリスト教に護られてきた」と強く感じている。
なのでこのブログには
「キリスト教のこと」というカテゴリーを作った。
大人のわたしにとって、とても大切なことは、
さっき書いた
でもだからって、それは大人が悪いわけじゃない。
ということ。
それはわたしの辛くて苦しい子ども時代を作った
親や学校の先生を許すことであり、コンプレックスの昇華であり、
シュタイナーが語った「時代の困窮」の認識でもある。
この認識がないから、シュタイナー教育の人たちは
「表現すること」を重視する。
幼少期に表現を止めさせられたことを無意識に知っていて、
自分に何もないのは周囲の大人が悪いのだから、自分は親として、
または教育者として、
子供たちの表現する力をしっかりと伸ばしてやりたいと思ってる。
それは確かに素敵だと思う。
だけどね、たいていのシュタイナー教育の人たち、
「何もない」自分を作った大人を許してないし、屈辱忘れてないし、
自分は悪い大人じゃない、悪い大人になりたくない、
と思って行動してる。
「時代の困窮」の認識なく、たぶん誰も変わることはできない。
だからわたしがシュタイナー教育の世界に足を踏み入れたとき、
わたしの生涯のするべき使命となったのは、
子どものための教育ではなく、
大人が悪いわけじゃない、と大人たちに知ってもらうことだった。
to be continued・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます