エゴン・シーレ「 Egon Schiele」1912年-1918年の絵画まとめ
エゴン・シーレ(1890年6月12日 - 1918年10月31日)は、オーストリアのウィーン分離派の象徴主義、表現主義の画家。
1912年4月、少女の誘拐の嫌疑でシーレを逮捕された。
結果的に、誘拐の容疑は成立しなかった。
しかし 警察がシーレのところに大量の猥褻な絵が見つかった。
一般的な道徳に反しているという理由で、シーレは24日間の拘留されることになった。
1913年、拘留された影響で子供を描くことがほとんどなかった。
シーレはこの時期、糸を引っ張られた操り人形のような作品があった。
1914年の作品は線より丸みを帯び、しっかりと、そして官能的、肉感的、立体的に描かれるようになった
1915年6月17日、エーディト・ハルムスとの結婚式を挙げた。
その3日後、兵役に徴集された。
1916年から1917年半ばまで、上司や軍隊の同僚たちを描いた肖像画が多かった。
輪郭線は正確な再現を守り、表現主義の度合いは最小限に抑えられた。
1917年の後半にシーレが初めてヌード絵画における自然主義的な傾向を見ることができる。
1918年10月に、当時半年妊娠していたシーレの妻エーディトは、インフルエンザにかかり、その月の28日に死去。シーレも同じ病に倒れ、3日後の10月31日、シーレは亡くなった。彼は28歳でした。
最後の3日間で、シーレはエーディトのスケッチをたくさん描いた。
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