都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

湯島御霊社 〈東京都文京区湯島〉 

2013-02-28 08:25:51 | 都内散歩
湯島御霊社  東京都文京区湯島

【住 所】 東京都文京区湯島2-11-15 地図⇒Google地図
【御祭神】 
八所御霊(崇道天皇(すどうてんのう)[別称:早良親王]
他戸親王(おさべしんのう)[別称:他部親王]
井上皇后(いのうえこうごう)[別称:井上内親王]
藤原大夫神(ふじわらだいふのかみ)[別称:藤原広嗣公(ふじわらのひろつぐ)]
文屋宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)
橘逸勢(たちばなのはやなり)
火雷天神(からいてんじん)[同類:菅原道真公]
吉備真備(きびのまきび)[別称:吉備大臣]  

【由 緒】 境内掲示より
旧く怨霊の活動を鎮めるため御霊祭が行われるようになり、特に著名なものは貞観五年(863)の神泉苑での御霊会とされている。これを契機に華やかな祭礼が営まれるようになった。
奈良時代から平安時代にかけては都を中心に盛んになり近世にはいると宗教家によって各地方に御霊信仰が説かれて広がりをみせるようになった。六所御霊または八所御霊の名称があるが、御霊は習合する傾向をもち中小御霊は、より強力な御霊に統合されるという教義から出た名称である。
当御霊者は縁起によると旧く御霊八所神社と呼ばれたが大正十二年の御霊神社と改めた。通俗には「畑の稲荷」と呼ばれ祭神は崇道天皇、他戸親王、橘逸勢、火雷神、吉備大臣、吉備真備、文屋宮田麻呂、藤原大夫の八座で合殿に與財惠稲荷並に大己貴神を祀っている。
宝永七年(1710)輪王寺宮の御隠殿を当所に営ませる時に上野より写されたものである。
・・
例年大祭を毎年九月十八日に執り行う。
文京区
文京区観光協会

湯島御霊社   平成25年2月25日撮影










私の理解のためのメモ
御霊とは、怨霊を鎮め、怨霊を押さえることによる守り神。怨霊とは死んで出てくる、たたり、疫神。

御霊会
御霊会(ごりょうえ)とは、思いがけない死を迎えた者の御霊(ごりょう)による祟りを防ぐための、鎮魂のための儀礼であり、御霊祭ともいわれる。奈良時代から平安時代(710-1192)にかけて京都を中心に流行し、疾疫や飢饉の頻発と関連して頻繁に行われたようだ。

御霊会と祇園祭
貞観5年(863)、早良親王、伊予親王など政争によって非業の最期を遂げた6名の怨霊を鎮め慰めるための官主導の御霊会が、神泉苑で行われた。なかでも疫病を退治する神である八坂神社(明治時代以前は牛頭:ごず天王を祀る祗園社)の御霊会が一番の賑わいを見せていた。
貞観11年(869)全国的に疫病が流行した際に、卜部日良麿が当時の国の数に準じて66本の矛を立て、更に神泉苑にて祗園社のお神輿を迎えて牛頭天王をお祀りし、病気平癒・開運除災・五穀豊穣を祈ったのが祇園祭の起源であると云われています。
それから約1世紀後の天禄元年(970)には御霊会は毎年の恒例行事とった。
(http://sans-culotte.seesaa.net/を借用し、一部省略しています)

湯島御霊社縁起
ここに御霊社の創建された経緯は次のようなことだそうです。
上野の山に徳川家の新しい墓所を建設するのに伴い、輪王寺宮御隠居屋敷(輪王寺宮とは、徳川将軍の菩提寺であり江戸の仏教界に君臨する「上野寛永寺」の住職のこと)がなくなることになったため、代替地としてここに隠殿(隠殿とは別邸・休息所のこと)が設置された。そして、隠殿と同時に上野からこの御霊社も同時に移されたということです。その後、輪王寺宮は間もなく亡くなったため隠殿は廃止され、跡地は菜園となり大根畑・御花畑と呼称された。しかし、御霊社はそのまま残り、周辺住民の崇敬をあつめ産土神として今日に至っている。
由緒にある様に「御霊八所神社」と呼称していたが、大正12年に「御霊神社」に呼称を改めた。



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