久米平内堂(浅草寺) 東京都台東区浅草
久米平内堂は久米平内(粂 平内(読み同)とも表記)をまつるお堂で、浅草の縁結びの神様として知られています。
久米平内(1616年2月20日 - 1683年7月29日)は、兵藤平内兵衛長守(通称は平内兵衛)といい、江戸時代前期に実在した日本の武士、剣術家。お堂には平内の石像が納めるられている。(参照:wiki、蔵前天文堂、他)
久米平内堂
住所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
平内堂の歴史
江戸時代(貞享年代1684〜87年頃)に建てられた。
安政三年の震災により破壊、その後再建。
昭和20年 東京大空襲で焼失
昭和54年 現在のお堂を浅草寺開創1350年記念に浅草観光連盟が建立・寄進
久米平内堂(浅草寺) 令和6年2月1日撮影
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堂に納められている久米平内の石像(キャプチャー:浅草うまいもの会)
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久米平内堂 説明掲示を記載
台東区浅草二丁目三番一号 浅草寺
久米平内は江戸時代前期の武士。『武江年表』によると、天和三年(一六八三)に没したとされるが、その生涯については諸説あり、実像は明らかではない。
平内堂には次のような伝承がある。平内は剣術に秀でており、多くの人をあやめてきた。後年、その供養のために、仁王坐禅の法を修行し、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこんだという。臨終にのぞみ自らの姿を石に刻ませ、多くの人々に踏んでもらうことによって、犯した罪を償うために、この像を人通りの多い仁王門付近に埋めたと伝える。
その後、石像はお堂に収められたという。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸時代中期以降、とくに縁結びの神として庶民の信仰を集めた。
平内堂は、昭和二十年三月の戦災で焼失した。現在のお堂は同五十三年十月に浅草寺開創千三百五十年記念として再建されたものである。
平成十八年三月 台東区教育委員会
作品名:「粂の平内 松本幸四郎」絵師:歌川豊国 情報源:東京都立図書館
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久米平内堂は久米平内(粂 平内(読み同)とも表記)をまつるお堂で、浅草の縁結びの神様として知られています。
久米平内(1616年2月20日 - 1683年7月29日)は、兵藤平内兵衛長守(通称は平内兵衛)といい、江戸時代前期に実在した日本の武士、剣術家。お堂には平内の石像が納めるられている。(参照:wiki、蔵前天文堂、他)
久米平内堂
住所 東京都台東区浅草2丁目3番 地図☞☞Mapion
平内堂の歴史
江戸時代(貞享年代1684〜87年頃)に建てられた。
安政三年の震災により破壊、その後再建。
昭和20年 東京大空襲で焼失
昭和54年 現在のお堂を浅草寺開創1350年記念に浅草観光連盟が建立・寄進
久米平内堂(浅草寺) 令和6年2月1日撮影
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堂に納められている久米平内の石像(キャプチャー:浅草うまいもの会)
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久米平内堂 説明掲示を記載
台東区浅草二丁目三番一号 浅草寺
久米平内は江戸時代前期の武士。『武江年表』によると、天和三年(一六八三)に没したとされるが、その生涯については諸説あり、実像は明らかではない。
平内堂には次のような伝承がある。平内は剣術に秀でており、多くの人をあやめてきた。後年、その供養のために、仁王坐禅の法を修行し、浅草寺内の金剛院に住んで禅に打ちこんだという。臨終にのぞみ自らの姿を石に刻ませ、多くの人々に踏んでもらうことによって、犯した罪を償うために、この像を人通りの多い仁王門付近に埋めたと伝える。
その後、石像はお堂に収められたという。「踏付け」が「文付け」に転じ、願文をお堂に納めると願い事が叶うとされ、江戸時代中期以降、とくに縁結びの神として庶民の信仰を集めた。
平内堂は、昭和二十年三月の戦災で焼失した。現在のお堂は同五十三年十月に浅草寺開創千三百五十年記念として再建されたものである。
平成十八年三月 台東区教育委員会
作品名:「粂の平内 松本幸四郎」絵師:歌川豊国 情報源:東京都立図書館
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