講道館柔道発祥之地 東京都台東区東上野
東京都台東区散歩(浅草寺 矢先稲荷神社 下谷神社 アメ横商店街 摩利支天)
令和4年11月撮影 [Click here !↗]
嘉納治五郎(講道館の創始者)が明治15年(1882)、永昌寺(台東区東上野 )に下宿して友人や門弟らと稽古を始めたのが柔道の始まりといわれています。
【住 所】 東京都台東区東上野5丁目1-2 永昌寺境内 地図⇒Mapion
講道館柔道発祥之地


碑文
講道館柔道 發祥之地 嘉納履正書
(石碑は、昭和43年:1968に、嘉納治五郎没後30周年を記念して講道館が建立)
左の白い文字の文面
永昌寺

銀杏の下に記念碑

境内の造園

令和4年11月26日撮影
東京都台東区散歩(浅草寺 矢先稲荷神社 下谷神社 アメ横商店街 摩利支天)
令和4年11月撮影 [Click here !↗]
嘉納治五郎(講道館の創始者)が明治15年(1882)、永昌寺(台東区東上野 )に下宿して友人や門弟らと稽古を始めたのが柔道の始まりといわれています。
【住 所】 東京都台東区東上野5丁目1-2 永昌寺境内 地図⇒Mapion
講道館柔道発祥之地

講道館柔道発祥の地 東京都台東区東上野5丁目1-2 永昌寺境内
明治15年(1882), 講道館柔道の創始者 嘉納治五郎(1860~1938)が 友人や門弟とともに稽古をはじめたところが, 当下谷永昌寺の書院であった。
これが今日, 世界各国に普及し国際的な広がりを持つ講道館柔道の発祥とされている。 道場となった書院の広さは十二畳, 初年の門弟は九人であった。
同年夏, 当時の住職 朝舜法(1837~1914)の協力を得て, 玄関脇の空地に, 十二畳のバラック建て道場を新築したが, 翌16年(1883)神田に移った。
永昌寺は, 浄土宗で 永禄元年(1558)下谷長者町に創建, 寛永14年(1637)現在地に移転した。 大正十二年の大震災により 当時の建物は焼失している。
境内の「講道館柔道発祥之地」と刻む自然石の記念碑は, 昭和43年10月, 嘉納治五郎没後三十周年を記念し, 講道館が建立した。
平成十三年三月
台東区教育委員会
明治15年(1882), 講道館柔道の創始者 嘉納治五郎(1860~1938)が 友人や門弟とともに稽古をはじめたところが, 当下谷永昌寺の書院であった。
これが今日, 世界各国に普及し国際的な広がりを持つ講道館柔道の発祥とされている。 道場となった書院の広さは十二畳, 初年の門弟は九人であった。
同年夏, 当時の住職 朝舜法(1837~1914)の協力を得て, 玄関脇の空地に, 十二畳のバラック建て道場を新築したが, 翌16年(1883)神田に移った。
永昌寺は, 浄土宗で 永禄元年(1558)下谷長者町に創建, 寛永14年(1637)現在地に移転した。 大正十二年の大震災により 当時の建物は焼失している。
境内の「講道館柔道発祥之地」と刻む自然石の記念碑は, 昭和43年10月, 嘉納治五郎没後三十周年を記念し, 講道館が建立した。
平成十三年三月
台東区教育委員会

碑文
講道館柔道 發祥之地 嘉納履正書
(石碑は、昭和43年:1968に、嘉納治五郎没後30周年を記念して講道館が建立)
左の白い文字の文面
明治14年 嘉納治五郎は 東京大学を卒業 学習院に奉職したが, 翌15年2月より当寺内に居住して同寺書院を道場として学生を養柔道を中心とする訓育を始めた これが今日国際的な広がりを持つに至った唯一の国技講道館柔道の発祥である
時に治五郎は年23才 道場の広さは12畳 初年の入門者は9名 当時住職は朝舜法 大和尚であった
時に治五郎は年23才 道場の広さは12畳 初年の入門者は9名 当時住職は朝舜法 大和尚であった
永昌寺

銀杏の下に記念碑

境内の造園

令和4年11月26日撮影
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