もう20年以上前のことになるだろうか。
(パソコン、外付けのHDにバックアップをとっておいた記録が
いずれも使えなくなった)
毎日新聞の現地記者(日本人)の署名記事。その内容は、
①パレスチナの少女が小学校へ朝登校している時に、
占領者兵士、特にその指揮官によって自動小銃の弾がなくなるまで
撃たれ続け死んだ。(いつもの道が占領者によって通行禁止になった)
②パレスチナの少女が家で母親と料理している時に、占領者の狙撃兵に
によって頭を撃たれ死亡した。
③小学校へ砲撃され多くの子どもが命を失った。
衝撃を受けた記者の息づかいと記事を書く震える指を想像できた。
サラ・ロイを知ったのは、それからしばらくしてだった。私も日本で開かれた小規模の講演に参加した。
彼女の言葉を紹介したい。
サラ・ロイ:
「私にとって神とは何なのか」というのは、それとしていい質問だとは思います。
しかし、いま世界中にある、このような痛みや苦しみを考えたとき、
われわれが、より問うべきことは、
われわれこそが神にとって何者なのか、
私は神にとって何者であるのか、
ということではないでしょうか。
(* 「講演」の後、質問に答えたもの)
SARA ROY ”Failing Peace Gaza and the Palestinian-Israeli Conflict ” 2007
前回の記事で紹介した文章の後も、それから、その前から、そしてずっと今に至るまで
彼女は、顔を背けないで立ち向かっている。
彼女に限らず、人種、宗教、国籍の違いをこえて、そうした人々がいるということを忘れずにいたい。