
新府
3月末のよく晴れた日、新府城跡(山
梨県韮崎市)を訪ねました。
JR中央本線新府駅(無人駅)で下車、
10分程歩くと新府城跡の石標がありま
した。
赤い鳥居の先の長い階段を上ると、本丸
跡地に藤武稲荷神社が建立されています
。

新府城は、甲府盆地西部の七里岩台地上
に立地する平山城。石垣は使われていま
せん。
七里岩突端部の南北7~8キロ、東西2
キロという周辺の自然地形全体が軍事的
意味をもつ大規模な城です。
武田家を代表する甲州流築城術の集大成
となる城といわれています。
戦国期に拡大した武田領国においては中
枢に位置します。

武田勝頼が、1581年(天正9年)か
ら築城を開始し、年末には普請なかばで
入城しました。
1582年織田・徳川軍の甲斐侵攻によ
り、勝頼は未完の城ではもはや大軍を支
えきれないと判断、3月岩殿城に移るた
めに、城に火をかけます。
勝頼は武田氏ゆかりの天目山(甲州市)
へ追い詰められ、28代続いた名門武田
氏は滅亡します。495年目の落日です
。
辞世は「おぼろなる月もほのかに雲かす
み晴れて行くへの西の山のは」
享年37.

(武田勝頼公霊社)
同年6月には本能寺の変により信長が
死去。
徳川家康と北条氏直が甲斐へ侵攻。
徳川勢は新府城を本陣とします。
10月には徳川・北条同盟が成立し、
北条勢は甲斐から撤兵しました。

関ヶ原の戦いを経て、甲斐は徳川氏が領
し、甲府城が甲斐の政治的中心地となり
、新府城は廃城となりました。

近年発掘調査により、土塁や堀跡などの
遺構が確認できるようになりましたが、
門や建物の痕跡は確認できていないそう
です。

新府駅で次の列車を30分程待ちました。
ホーム間近に満開の桜、遠方には残雪の
八ヶ岳連峰が見えました。
(新府城は「続日本100名城」に選定
されていますが、本ブログでは便宜上、
「日本100名城」ジャンルに入れまし
た。)
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